周回遅れの諸々

90年代育ちのオタクです

ずっと執着してきた作品が20年ぶりに再アニメ化するけどいまだに心構えができてない

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魔術士オーフェン」が20年ぶりに再アニメ化される。そう聞いて「今さら……?」と反応する人は多い。原作者/原作イラストレータからしてそんなようなことをゆってる。ただし原作読者の、いやさ私の「今さら……?」はちょっとニュアンスが違う。


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オーフェン」シリーズは2003年に一旦完結した。その後、2011年に現在の版元であるTOブックスから新シリーズ(第4部と称される)及び新装版を刊行開始。これも2015年に完結した*1が、刊行中公式が何かと「重大発表」とぶつ度、界隈には「再アニメ化か?」という空気が流れていた。ドラマCD、コラボカフェ、さあ次は……? 実際にアニメ化してほしいかは別として、そんな雰囲気を勝手に感じ取っていた。


だから私の「今さら……?」は20年ぶりだから、ではなく「新シリーズが終わって随分経つのに……?」であり、むしろ「ようやっと来たかあ……」と言い換えたほうが近い。

男らしいかっこよさを追求したアニメ第一期


TVA「魔術士オーフェン」は1998年-1999年にかけて、TBS系列で放送された。ストーリーは原作本編「はぐれ旅」の1、2、4巻特に最初の「我が呼び声に応えよ獣」をベースにしている。


魔術士オーフェンはぐれ旅 新装版1 (TOブックスラノベ)

魔術士オーフェンはぐれ旅 新装版1 (TOブックスラノベ)

  • 作者:秋田禎信
  • 出版社/メーカー: TOブックス
  • 発売日: 2012/10/13
  • メディア: Kindle
EMOTION the Best 魔術士オーフェン DVD-BOX

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わたなべひろし監督*2は、夕方枠ということで幅広い年齢層ことにキッズ向けを強く意識したという。アザリーとチャイルドマンの関係やクリーオウのサービスシーンなど大人の雰囲気を匂わせるシーンがちらほら見られる一方で清く正しい児童向けという話数も多いのは、その辺りのバランスを取ろうとしたのだろう。古代遺跡の花園を守るロボットにオーフェンが優しさを見せるという、「ラピュタ」を彷彿とさせるエピソード「我が花園に眠れ魔物」が最たるものだ。


それに合わせオーフェンがわりと正統派ヒーローで、起承転結もしっかりしている「獣」をメインに。「行方不明の姉を一心に探す」というストーリーを主軸に、他のエピソードは最終話に至るための道のりを均すためにあるというか、言ってみれば生真面目な作品となっていた。草河先生に「女々しい」とまで言われた(笑)原作フェンのナイーヴな部分、ひねくれた部分は薄れ、男らしく、葛藤すらかっこよく。森久保祥太郎というキャスティングもそれに準じた結果ではないか。当時の原作者インタビュー*3は、アニメと原作の違いをうまく言い表している。

秋田 僕が考えているかっこよさとわたなべ監督が考えているかっこよさは、おそらくちょっと違うものだと思います。僕がかっこよさを表現する上で何をしたいかというと、かっこ悪く描くことです。かっこ悪いことがかっこいいというか、ある種のかっこ悪さを描くことで表すことができるかっこよさというのが、主人公(編注:秋田さんはオーフェンのことをこう呼ぶ)にはあると思います。


つまりアニオーフェンはかっこよすぎたのが罪。旅の仲間も歩調を合わせている。原作では序盤から有り余る才能が見え隠れしていたマジク、第一部のデウスエクスマキナ的な役割を果たしていたクリーオウは共に子供らしい活躍にとどまり、年長者=主人公の背中を仰ぎ見る構図が強調された。


その主人公の姉アザリーは篠原恵美が情感たっぷりに演じ、作品を自分色に染め上げていた。このアニメのベストアクター(アクトレス)を選ぶなら間違いなく彼女だオーフェンが真面目な分はブラックタイガーことハーティアがコメディリリーフを担っている。置鮎龍太郎の二枚目半は当時から鉄板だった。オリジナルキャラ*4のフレイムハートは「孤児」のオーフェンとは対称的に、血の繋がりに固執するマザコンに。この狂気を演じたのは子安武人。二枚目半の置鮎同様、鉄板のキャスティングだった。


「カウボーイ・ビバップ」や「アウトロースター」「トライガン」など、90年代終盤の業界は「大人の男」を推していた節がある。「エヴァ」の反動だろうか。そんな中でアニオーフェンに魅了されたファンも多く、当時はアニメ誌の人気投票などでも上位にいた。「本当の男を知ってるかい?」と問うシャ乱QによるOP「愛just on my love」や「君は魔術士?」も、あれはあれでアニメの作風にはマッチしている。はたけによるヘビーロックテイストの劇伴も、なかなか聞かせてくれる。タンポポの「ラストキッス」は言わずもがなの名曲だった。


ラストキッス

ラストキッス

  • アーティスト:タンポポ
  • 出版社/メーカー: ZETIMA
  • 発売日: 1998/11/18
  • メディア: CD


一方でアニメ本編では、ストーリー上の主軸に関係ない「既成のFTから少しズレた、濃密な設定」「魔法使い(魔術士)なのに肉弾戦メイン」「アクの濃いキャラクター」「飛び交う罵詈雑言」など、原作で受けた要素はことごとくスポイルされている*598年版アニメの世界は街並みといい水晶玉で何かを占ったりひと声ではるか彼方へ移動する便利な魔術といい、これぞ中世西洋風ファンタジー! といった感じだった。


しかし、ベースにしている「獣」自体、シリーズ全体から見るとある意味パイロットフィルムでしかなく、前述した数々の特徴はまだ薄い。それを考えると、アニメが退屈だと感じるならそれは原作序盤自体が退屈だからだ、と強弁できなくもない。かもしれない。


原作「獣」に対して、旧アニメはありえたかもしれないハッピーエンドを追求したIFのポジションにある。アザリーを救うため「ただうろうろと大陸中を当てもなく右往左往していた」原作に対し、バルトアンデルスの剣が発掘された天人の遺跡を訪れるという手順を踏んだアニメは、なるほど理にかなっている。本編以前には一年間エバーラスティン家を見張っていたことで無謀編のモラトリアムはなかったことになったが、それにより五年間寄り道しなかった一途さが強調されている。クリーオウやマジク、ハーティアやチャイルドマンといった周囲の人間たちとの関係も最終的には良好になり、一人で「思いつめていた」原作に比べ、より強くオーフェンの行動に影響を与えている。だからこそあの結末を迎えることができたんだろう。


終盤の展開について、わたなべ監督はこう語っている*6

ただ、原作の通りに作ってしまうと、アザリーの個人的な思惑だけで騒動が起こり、何人も犠牲が出たのにアザリー自身はおとがめなしってことになっちゃうでしょう? 原作ファンならその後の話を知ってるから納得できるでしょうけど、原作を知らない人が見たら、それじゃ納得できない。
だから、オーフェンが戦うべき相手を、アザリー以外に作る必要があるんじゃないかなーと。


私がここにも原作との違いを見るのは、監督が勧善懲悪的な物の見方をしているように思えるからだ。原作アザリーは「チャイルドマンを殺したこと」に対する贖罪のためにキムラックに向かったのであって、殺人という手段自体を悔いているのではない。チャイルドマンの遺志を知るためには、また別の殺人も犯している。そういう苛烈な女なのだ。アザリーは誰かに納得してもらうためとか道徳や善悪によって行動しない。アニメ最終回ではチャイルドマンの代わりとなる新たな生命を宿すことで贖罪としたが、果たしてそれが贖罪になるのか、といった疑問もある。


……あるのだが、最終回ではそんな理詰めの心情とは無関係に感動させられてしまったところもあって、やっぱりアニメーションって、絵の力ってすごいなあと思わされたのだった。


この結末は原作者が提案したものだと聞いたことがある。他に「原作をなぞるような展開にはしないでほしいとお願いしたような記憶があります」とも述べている*7。だがそれで原作読者がみんな納得したかというと――まあ心情としてそうはいかない。事はストーリーに留まらなかったし。ドラマガの特集では「アニメのオーフェンははぐれ旅無謀編コミックに続く第4のオーフェンだから全くの別人と心得よ」(大意)と書かざるをえなかったり*8第二期「Revenge」試写会の質疑応答ではその辺の不満がガンガンぶつけられた様子が伺える。

完全オリジナルだけどかえって原作テイストに近い二期「Revenge」


そう、二期である。発表時、J.C.STAFFの松倉Pは「一期立ち上げの時点から二期をやることは予定されていた」とコメントした*9。これは角川(富士見書房て)的には「スレイヤーズの次」としての期待を表すものだろうが、とはいえ発表時期的に一応一期のアレコレを見て判断したはずで、だから一期は一定の成功を見たと言っていいだろう。


第二期は99年10月から00年3月にかけて放送された。タイトルは「魔術士オーフェンRevenge」。当時西武ライオンズブイブイいわせてた松坂大輔投手の名言にあやかったのだろうが、同時に「一期ではボロクソゆわれたが今度は原作読者も満足させてみせる」的な意味もあったようなことを匂わせている。


EMOTION the Best 魔術士オーフェン Revenge DVD-BOX

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一期から二期への変化で一番目を引くのはキャラデザだ。一期は相澤昌弘の艶っぽい美麗なキャラデザ、グッドルッキングな魔術士たちが大きな反響を呼んだ。だがキャラクターの書き込みが多いことで「アニメーション」としてのコストは増大。一話から動きがなく、原作の見どころである格闘戦もほとんど見られなかった。安藤真裕や岩倉和憲ら著名アニメーターの手掛けたOPが「神OP」として今でも語り継がれる一方、本編作画(アニメーション)の話が聞かれないのはそういうことではないか*10。二期では書き込み量を減らすことで、その点の解決を図っている。


原作の特徴の一つ、魔術の設計図である「構成」が発動の瞬間背後に映るようになったのもうれしい。わたしあれすき! 今にして思うに、あの描写が優れていた……というと語弊があるな、よかったのは「あくまでオーフェンが集中した際のイメージ映像です」みたいな体で描かれていたところだと思う。魔術の構成は本来同じ魔術士にしか見えないものだから。魔法陣ではなくよく分からない幾何学模様が浮かび上がる形にしたのも正解。「オーフェン」世界では「魔法陣」とは大昔に否定された迷信に過ぎないからだ。


2期監督は「少女革命ウテナ」の監督補佐だった高橋亨*11、それっぽいヴィヴィッドな画面づくりが見られたりと「Revenge」ならではの特徴は他にもある。だがそれはひとまず置いといて。二期は原作で読者に愛された要素をアニメで出力しようとした痕跡が見られ、完全アニメオリジナルストーリーにも関わらず、テイストとしてはむしろ一期よりも原作を目指した。この点は評価している。ただ原作読者でも同じ感想とは限らなかったり、一期が好きな人は拒絶反応が出たり、色々だ。

再アニメ化に対する心構え


あれから二十年が経つ。最初に書いた通り、新シリーズ刊行中の界隈は再アニメ化するんじゃないかとざわついてたし、2005年の「スレイヤーズVSオーフェン」やクロスオーバーRPGヒーローズファンタジア」など、声付きメディアではどうしても以前のアニメが頭をよぎる。そうでなくともオタクは妄想が得意な生き物だ。再アニメ化したらどういうことになるか、それに対してどう反応するか。アニメ化が本決まりになる以前から、ずっと素振りだけは欠かさずにいた。声優は旧作と同じなのか、制作会社はどこか、全体の構成は、BD限定特典のSSやイベントはあるのか……。


上で書いた旧作の感想も、元はと言えばそうした中で生まれたものだ。20年前はとてもじゃないが冷静に語れなかった。それが、原作読者として完全に満足するのは不可能にせよ、あのアニメはあれはあれでいいところもある、くらいには思えるようになった。私の中で「オーフェン」の位置づけが「秋田禎信の代表作の一つ」くらいに収まったのも関係しているのだろう。ま


たアニメに先行して発表された矢上裕の「無謀編」コミカライズと松本慎也主演の舞台版が素晴らしく、この二本が存在しただけでもアニメの意味はあった。元は取った(?)から、後は二度と訪れないかもしれない25周年イヤーを精一杯楽しもう。そう思えた。思えたはずだった。


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……でも、だめだ。やっぱり冷静ではいられない。漫画「無謀編」と舞台版でなんだかんだ自分はこの原作にえらくご執心なんだと再認識させられてしまった。それが2020年に再アニメ化してどういう評価を下されるのか。あるいは良くも悪くも話題になることなく、気づかれない内にひっそりと終わるのか。それを自分はどういう角度で受け止めればいいのか。放送まで残り数時間。試写会で3話まで観てるというのに、いまだ結論は出ない。

*1:以降もなんだかんだメディアミックスが続いてはいる

*2:劇場版「スレイヤーズ」シリーズの監督

*3:アニメージュ98年12月号

*4:立ち位置的には原作でオーフェンをライバル視する塔の魔術士ハイドラントを置き換えたものだろう

*5:翻訳小説の影響を受けた文体は元より映像では望めない

*6:魔術士オーフェンはぐれ旅DX』より

*7:アニメージュ1998年12月号

*8:99年2月号

*9:アニメージュ99年8月号

*10:とはいえこれは「オーフェン」に限った話ではない。当時はエヴァの影響でアニメの本数が増大した時期で、「ロスト・ユニバース」などから制作が苦しいのが丸分かりの時期だった

*11:それを言い出したら相澤昌弘も「ウテナ」でバリバリやってたアニメーターなのだけど