周回遅れの諸々

90年代育ちのオタクです

ミステリー風の雰囲気アニメ「聖ルミナス女学院」 深夜アニメ黎明期の徒花 

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前回前々回と、「lain」と「ブギーポップ」について書いた。この二作は共に「トライアングルスタッフ」という会社が制作に関わっていたのだけど、もう一作、同社の制作で忘れられないのが「聖ルミナス女学院」だ。

深夜アニメのはじまりの時代


このアニメの情報に初めて触れたのは「lain」最終回後の新番予告だった。時に、1998年。「エヴァ」ブームを中心として、アニメ人口が拡大。96年の「エルフを狩る者たち」の成功から、翌年にはテレビ東京系だけでも一気に10本近くの深夜アニメが放映される。それまではOVAでしか観れなかったようなマニア向けの作品が多数テレビで放映されるようになるまで時間はかからず、アニメファンは嬉しい悲鳴を上げた。


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これを資金面から支えたのが製作委員会方式、実製作の面から支えたのが作業のデジタル化だったが、一方で「ロスト・ユニバース」のように質に問題がある作品も散見された……と、ここまではwikipedia頼りの知ったかぶり。


この時期の代表的な成功例が、深夜ならではの前衛的でスタイリッシュな映像を見せてくれたのが「lain」だった。一方で、その後番の本作は……まあ、お世辞にも成功とは言いがたいだろう。

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新作アニメも放送されるし、「ブギーポップ・ファントム」の話をします

ブギーポップは笑わない Boogiepop Phantom」は「ブギーポップ」シリーズのアニメ第一作である。前回取り上げた「serial experiments lain」の二年後、2000年に放送された。


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ブギーポップ/宮下藤花役は岩倉玲音と同じ清水香里。制作にも「lain」のトライアングルスタッフが大きく関与している。さらに同じテレ東深夜枠とあって、当時の私は「lain」の「次」と見做し、実際に観てがっかりしてしまったところがある*1


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今となってはおかしな話だ。制作会社が同じだったとしても、監督やシリーズ構成などのメインスタッフが違っては、(画面はともかく)お話作りにおいては「次」を望むべくもない。だからこの二作も、本来は比較対象になるようなものではないのだけど……当時の私はそういう見方をしてたということで、勘弁してもらいたい。

原作『笑わない』を読んでいないと理解できないアニメオリジナルストーリー


「BoogiePop Phantom」は原作シリーズの第1巻『ブギーポップは笑わない』のその後を描く*2。原作には「VS.イマジネーター」や「歪曲王」といった続刊が存在するわけだが、それらとも違う。アニメオリジナルの「笑わない」続編という、なんとも難儀な代物だ。なのだけど、所々で原作「笑わない」後に登場するキャラクター――スプーキーEや織機綺や来生真希子らが断片的に登場する。それも、原作の展開と齟齬を起こさない程度に。原作がこの手のクロスオーバーをウリにしているのを模倣したのだろう。電撃文庫から発売された『シナリオ集』を読むと、脚本の村井さだゆきは原作を相当に読み込んでいることが伺える。このアニメ自体、原作に組み込んでみてそこまで違和感ないだろう。



でも、原作とのクロスオーバーについては、言ってしまえばそれだけというか……感心はしても*3、そこまで面白くはなかった。

エヴァ以降」の暗さ

このアニメは終始暗い。内容以前に画面が薄暗い。セピア調で、霞がかかったようにぼんやりしている。それは、あの忌まわしい表現……「エヴァ以降」を連想させるに十分な暗さだ。EDテーマは「未来世紀(秘)クラブ」。6500年前の生命の誕生から未来へと想いを馳せる歌だけど、映像は世紀末どん詰まり感バリバリ。登場人物は暗闇の中をゆらゆら漂っているというか蠢いているというか、そんな感じ。



これらは、「ブギーポップ」を知らない人が抱くパブリックイメージそのものだ。それだけに、最終回、文字通り靄が晴れたように画面が明るくなるのが印象的なんだけどね。


あの頃、「セカイ系」という言葉が大流行した。元々は「エヴァ」の影響を受けた作品を指す言葉だ。「ブギーポップ」もこの系統の作品として数えられることがある。私はもう随分長いこと「……なんで?」と思ってたのだけど。ブギーポップ(宮下藤花)とその彼氏、竹田先輩の関係は、セカイ系の特徴として挙げられるところの戦場の少女/銃後の少年、という構図に近いかな? 「ブギーポップ」を評するのによく言われる「世界の命運が自分と関係ないところで決定されていく、自分は決して主役になれないという疎外感を抱えた登場人物への共感」とか、セカイ系っぽいと言えばそれっぽい。

影が薄いよ! ブギーさん!


でも、ブギーポップ」という作品はやっぱりブギーポップという強烈なキャラクターがいてこそなのだ。たとえデウスエクスマキナ的な存在に過ぎないとしても。出番自体は少なかったとしても。彼は自分では成しえないことを一般人に託し、叱咤激励する。そこにこの小説のジュブナイルたる所以、健全な精神がある。



ひるがえって、「ファントム」のブギーポップの存在感は薄い。このアニメはタイトル通りブギーポップのファントム―――ありていに言って偽物*4が登場するわけだけど、本物のほうがいまいち冴えない。黒帽子に黒マント、黒いルージュの出で立ちは、ぼやけた画面の中に沈んでしまい、目立たない。「lain」において、岩倉玲音というキャラクターが強い牽引力を発揮し、ストーリーを引っ張っていったようなことはしなかった。


ブギーポップ」は元々群像劇の色合いが濃いし、玲音とブギーでは役割が違うのだと言われれば、それまでなのだけど……。ブギーポップの影の薄さが、フィルムをますます病的なものにしていく。


声優ファンの間では、このアニメはちょっとした伝説となっている。小林沙苗福山潤能登麻美子田村ゆかり折笠富美子。2000年時点とは信じられないくらいフレッシュな面子が集結していた。特に能登麻美子という声優は、殿村望都という極度の潔癖症の女子高生を演じた声優として、私の中にその名を刻まれ、現在に至っている。自身もまだまだ新人である清水香里は……ブギーポップ(不気味な泡)は、その中に違和感なく溶け込んで「しまって」いるように見えた。

スレイヤーズ」の監督が作った「ブギーポップ


監督の渡部高志は、それまでどちらかというとコメディー色の強い作品を作ってきた。代表作はTV版「スレイヤーズ」など。「ブギー」の作品制作、特にシナリオ面では村井さだゆきらが中心となり、渡部が合流した時点で既に大方は完成していたそう。彼は最初これまでの仕事との違いに戸惑ったというが、新たな挑戦に腰を据えて取り組むことになる。

普通アニメの演出は、ほとんど本能的というか刷り込みされたように、過剰に盛り上げようという心理が働きます。これが効果的に作用するジャンルの作品、たとえば私がこれまで手がけてきたようなジャンルの作品群もありますが、新たな試みとしてこの「盛り上げ」という本能をあえて徹底的に否定してみたのです。
そこに生じるのはまさに負の盛り上げ、つまりある感情を想起させる情報・現象をこれでもかというぐらい多様に提示し、しかしその解釈は提示しない。いわば盛り上げの基準を断定的解釈の量から解釈材料の量の増減にシフトしたわけです。
結果として固定されない解釈が不安感を煽り、ハイティーンが抱いている独特な茫漠とした不安感を擬似的に再現しました。


私は、監督が言うほどアニメ本編で盛り上げが否定されてるとは思わない。BGMやSEは自己主張しすぎだと感じるくらいだ。でど、そういう演出意図の元に、ああいうアニメができあがったということについては、納得するしかない。


まとめると、原作の「ストーリー」を尊重してはいるけど、キャラクターや作品の雰囲気は所々解釈違い、必要以上に暗くしすぎ*5、という感じ。でも最終回は大好きで、そこだけ折に触れては観返してます。「宮下藤花には悪いことをしたな」じゃねーわよ、全く……


*1:一応「ブギー」の原作読んでたし今も読んでます

*2:正確には実写映画「ブギーポップは笑わない」の

*3:原作を知っててもシナリオ集を読まないと分からないようなクロスオーバーも

*4:このブギーポップの偽物というモチーフは原作では2巻目「vs.イマージネーター」で早くも使われていて、以降も何回か形を変えて登場する

*5:これについては制作サイドも実際に放映されたものを観て、想像以上に暗くなってることに驚いたとか

岩倉玲音が(レインが)(れいんが)(lainが)好きだー!

インターネットがようやく普及しだした頃。常時接続すらまだまだまだおぼつかない時代に、今日のWebの――特にSNSのあり方を予言したアニメが「serial experiments lain」だ。物語は、「ワイヤード」と呼ばれるネットワークに覆われた近未来社会で、人々の繋がりのありかたを問う。ホラー風の演出にサイケな映像、突然宇宙人がどうこうといった方向に突然話が飛ぶ濃ゆ~い内容*1は多分にカルト的。ではあるものの、高い評価を受け、名作として語り継がれてきた。


今年は放送20周年! ということで、有志によるクラブイベント*2やインターネット同時視聴会、脚本担当小中千昭による当時の回顧録など、大いに盛り上がった。


yamaki-nyx.hatenablog.com


かく言う私も同時試聴会に参加し、数年ぶりに全13話を観返した。「lain」という作品の魅力はいくつか挙げられる。

  • ガチギークなスタッフによる、ツボを心得たハードウェア(作中では「NAVI」)やネットワークの描写。
  • 登場人物はいずれも妙に実在感が強く、キャラが立ちまくっている。
  • 生々しさを追求した音響が、登場人物の痛みや恐怖、不快感をダイレクトにこちらに伝えてくる。バーチャルYoutuberの鳩羽つぐちゃんがしばしばlainっぽいと言われるのは、同じ音響へのこだわりを感じられるからっていうのはあると思う。
  • 番組終了後には、その後放送される天気予報「ウェザーブレイク」と絡めた提供イラスト「お天気こわれてる?」が映される。こういったものに象徴されるような遊び心は、難解な内容にどっと疲れた視聴者をほっとさせてくれた。
  • lain」は現実が善で虚構が悪だなどという単純な二項対立を描かない。既に両者は混じり合っていて境界線など存在しないのではないか、という視点が全編を貫いている。
  • にしてもネットワークに神様が潜んでる、というのはいかにもまだ「アングラ」が存在してそうだった当時の発想だよなあ。今、私の見てるネットで「神」といったらエロ画像をアップしてくれる人のことだ*3。でも、普及率ということに関して言えばあの世界のWIREDのが、現実のインターネットよりずっと高そうなのに、そういう部分がまだ残ってるってのが不思議と言えば不思議。余談。


などなど。魅力も多いが、情報量も豊富……豊富すぎるとも言えるのが「lain」という作品である。1クールとは思えない濃密かつゼンエイテキでジッケンテキな内容は、初視聴者を「あ、これ俺向きじゃないわ」と思わせるに十分だろう。ストーリーは混み入っていて、私自身理解できてるとは言い難い。それでも最初に視聴した時、挫折することなく最後まで辿り着けたのは、ひとえに主人公・岩倉玲音に魅了されたからだ。

*1:ちゃんと本筋とつながって入る

*2:作中に登場するクラブ「サイベリア」を模したもの

*3:いやそれももう古いか

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星野源と「スレイヤーズ」と宮崎勤についてのメモ

ダ・ヴィンチ」最新号の星野源特集に、乙一が寄稿している。氏は星野のことを自分とは遠い文化圏の人間だと思っていたが、エッセイで「スレイヤーズ」や「ドラゴンマガジン」について触れているのを読んで、親近感を持つようになったという。



そのエッセイ「蘇る変態」にはこう書かれている。

小学校低学年の頃は『コロコロコミック』や『コミックボンボン』に夢中だったが、90年代に突入し小学校高学年になると、ふと本屋で手に取った富士見ファンタジア文庫から出ていた『スレイヤーズ!』という作品に夢中になった。小説だが可愛いアニメ調の挿絵が数点あり、その時はまだライトノベルと呼ぶとは知らなかったが、つまりそういう類いの中高生向けの軽小説だった。
文章を読むのは変わらず苦手だが、性の目覚めが早かったためにその挿絵のエロ可愛さに読む気にさせられた。多少乳首なども描写されていたが、小説だしページさえ開かせなければ親にもバレないだろうという作戦もあった(後に友達が遊びにきている前でそのエロページを親に見せびらかされ、酷く恥をかいて作戦は失敗に終わった)。そして何よりストーリーが面白かった。
その後富士見ファンタジア文庫の母体となるライトノベル雑誌『月刊ドラゴンマガジン』を読み始め、後に同じ系列のコミック誌である『月刊コミックドラゴン』の読者になった。周りの同級生が『週刊少年ジャンプ』に夢中になっている頃、ひとり『月刊コミックドラゴン』に夢中になっていた。その頃はまだ「萌え」という言葉がなく、自分の中からわき上がる「わけがわからない感情に振り回された。当時の星野少年に言ってやりたい。それはただの「萌え」だ。別に変じゃない。オタク的というだけで普通の感情なのだと。

 

作家以外で「スレイヤーズ」が好きという著名人は、大抵リナに憧れている女性だ。男性は珍しいし、こういう物の見方を披露する有名人というのはもっと珍しい。でも、何度か書いた通り、イラストを担当するあらいずみ先生のイラストはごく自然にエロティックなものが散見されるし、局部は強調されてたし、今もそれはあまり変わらない。一般男性ファンとしては、総意とまでは言わないけど、特筆すべきところのない見解だとは思う。しかしこの人、林原めぐみを自分のラジオに呼んだことがあるそうだけど、どんな顔して会ったのだろうか……

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キッズアニメを愛する「大きなお友達」はいかに在るべきか

キッズアニメは誰のもの?


キッズアニメは子供に向けて作られている。これは大前提として納得できる。中には、これは「キッズアニメ」に当てはまるのか、放送時間などでは定義できない何かがあるのではないか――「ちっちゃな雪使いシュガー」とかね――という事例もなくはないけど、まあ例外と言っていい。オタクは本来の視聴者層のおこぼれに預かっているだけだ、というと言葉は悪いけど、そんなもんかもしれない。



キッズアニメは子供に向けて作られているから、「大きなお友達」は映画館や家電量販店のゲームコーナーなど、色んなところで本来のファン層「先輩」に、遠慮しなければならない。これも分かる。オタクがどうこう以前に社会的なマナーではあるだろう。


しかし、キッズアニメは子供のためのものだから、大きなお友達に受けたところで何の意味もない。このアニメにお子様人気がないことは関連商品の売上が証明している。現にウチの子は見てない。プラモデルは「大爆死」してるじゃないか……と、ここまで来ると、まあお引取りくださいお帰りはあちらですって感じかなとは思っている。


オタクが該当作品について語ってるところにやってきて、子供の評価を唯一無二のものとばかりぶつけてくる人をたまに見る。果たしてその子供というのは本当にその人の子供なのか。自分の主張のために子供をダシにしてるだけじゃないか……? 断っておくと、子供がこれこれこういう感想を持った、こんな反応をした、と聞くこと自体は面白いんですよ。でもそれは本来の視聴対象者だからオタクの意見より「正しい」というものではない。作品は子供のために作られる。作品を観た感想はしかし、あくまで視聴者一人ひとりのものだ。私というオタクは、別に子供の意見に追従したくてアニメを観てるわけじゃない。

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