上遠野浩平原作「ブギーポップは笑わない」(2019年版)の話です。「ブギーポップ」シリーズは現在新装版が何冊か出ててこれらは加筆修正されたものですが、以下の文章における引用は旧版を出典としています。
- もう長いこと原作小説を読んでない読者は記憶があやふやである/原作のどこの段階に忠実なのか
- 原作本文と原作イラストの矛盾
- 他作品とのクロスオーバー
- 大ヒットしたアニメはそれ自体が原作だと勘違いされる
- じゃあ2019年版は全部原作に忠実なのか?
もう長いこと原作小説を読んでない読者は記憶があやふやである/原作のどこの段階に忠実なのか
まず、「ブギーポップ」は20年前に刊行を開始した。現在もシリーズは続いているが、これだけ長いと途中で振り落とされたファンも多い。既刊22冊の内、12冊目『ジンクス・ショップへようこそ』(2003)か13冊目の『ロスト・メビウス』(2005)辺りが契機だったのではないか、と言われる。そういう状態で当時の情報を更新することなく、既に原作本も手放した状態でアニメを視聴すると、原作準拠でも、あれっ記憶の中の原作と違う、となってしまう。もっとも、そこらへんを確かめようと新装版を買ったりするのだから、悪いことばかりではないのだが……。
具体的に取り違えやすいのは、キャラクターに関することだろう。例えばこの小説は分かりやすい勧善懲悪の物語ではなく、ブギーポップも正義のヒーローなんかではないという思い込みが見受けられる。確かにブギーさんは何かというと小難しいことを口にするし、善悪という枠に留まらないところはある。シリーズが進むにつれてそういう傾向はますます強くなっていく。
ブギーポップというのがなんなのか、本作でも身も蓋もない解説があるし、推測もされるし、結論さえ出ているのだろうが、しかしどうにもそれが収まりが悪い。どの説明も微妙にそこからはみ出す。さっき“その人”とかいったが、いわゆる“人”なのかどうかも不鮮明である。己の周囲はフィクションの中の出来事だと自覚しているメタ的キャラクターのようでもあるし、逆に全然自分の立場をわきまえていない下手くそな役者のようでもある。それまで書いてあったことと、次に書いてあることが矛盾する。
名前の由来も(…)イギー・ポップというアーティスト名がもうそのものじゃないのかと思うが、ブギー・バップという言葉もあったような気がするし、ブギー・ウギーというオバケもいる。その辺の結合なのだろうが、付けた瞬間にその辺の根拠が全部消し飛んでしまったような感じである。
一方で、少なくとも初期は「変身ヒーロー」そのものであったし(彼氏視点)、街なかで倒れてる「サイコさん」に手を差し伸べて、彼を遠巻きに見て助けようとしない連中に向け「君たちは泣いている人を見て何とも思わないのかね!」から始まる演説をぶつ、熱血漢めいたところもあった。
ブギーポップは、タイトル通り笑わない。しかし彼氏の竹田くん視点では「目深に被った帽子の下で左眼を細めて、口元の右側を吊り上げた。藤花では絶対にしない左右非対称の表情だった」「あの表情は苦笑いだったのかも知れないと気づいたが、そのときはわからなかった。ただ、妙に皮肉っぽい、悪魔的な感じのする表情だなと思っただけだ。」と言われている。この表情の映像での再現はなかなか難しいだろうが、これらを踏まえれば今回のアニメブギーも「まあこういう風になるのもしょうがないかな」程度には思えるはずだ。思えない? そう……
「ストーリーは忘れても個性的なキャラクターはいつまでも記憶に残る」という。有象無象の登場人物の中にあって、【不気味な泡】ブギーポップは私達に強烈な印象を与え、今も忘れられていない。しかし、当時の記憶を更新しない限り、読者が覚えているのは諸々の例外が削ぎ落とされた、記号的なイメージでしかなかったりする。「厨二キャラの権化」みたいなね。
なお私は一応最新刊までずーっと追い続けてますが、鳥頭なので三日経ったら全体のストーリーもキャラクターも忘れちゃってますねヤッター。だからこの文章もびくびくしながら書いてます。