周回遅れの諸々

90年代育ちのオタクです

「推しが武道館行ってくれたら死ぬ」「バーフバリ」「Vtuber」で知った、誰かを一心に応援したいという気持ち

特定の何かを丸ごと愛するという経験をしたことがない。オタク物心ついた頃からそうだった。「エヴァ」も「スレイヤーズ」も「オーフェン」も絶頂級にハマっている最中でさえどこかしらに不満があり、twitterなりブログなりで感想を書く時触れずにはいられなかった。そんな自分が嫌かというと、必ずしもそうでもない。どんな些細なことでもくだらないことでもいいから自分の心動かされたことを自分の言葉で書き残しなさい、というのが今はなき「俺ニュース*1が最後に教えてくれたことで、この十数年できうる限りそうしようと努めてきた。たとえそれがネガティブなことであろうとも、だ。また多くのファンは全く不満を感じないのではなく、感じても口に出さないだけなのだろう。


……それはそれとして、今でも、一度くらい作品なり作家なりを全面的に肯定してみたいなあと考えることはある。

「推しが武道館行ってくれたら死ぬ」愛すべきドルヲタの世界


漫画「推しが武道館行ってくれたら死ぬ」は、数多あるアイドル物の中でも、ドルヲタに焦点を当てているのが特徴だ。地下アイドル「Cham jam」のセンター・れおをずっと追い続けてる古参のトップオタ・くまささん、NO.2空音のガチ恋勢・基さん、そして最下位の舞菜一筋限界女オタク・えりぴよさん。主にこの三組のアイドルとドルヲタの悲喜こもごもが、繊細なタッチとシュールなギャグを交えて描かれている。「CDを積む」「接触」「繋がり厨」etcetc……。現実に使われてるドルヲタ用語が飛び交い、オタクでない読者も「現場」の臨場感を味わえる



オタクたち自身には劇的なドラマはない。つまり、人生の岐路でアイドルと出会って救われたとか、ステージで輝いている存在を見て自分も同じようになりたいと思ったとか、アイドルのお陰で人生うまく行きました的な、そういったことはこの漫画のオタクには起こらない。


彼らにとっては夢は自分で見るものではなくアイドルに託すもの、アイドルの夢が自分の夢なのだ。むしろ推しを追いかけるための時間を作るため、会社をやめてフリーターに転じたりする。そして握手券や人気投票のためCDを積んで、金銭的に苦しんでいる。彼らはひたすらに一人のドルヲタとしてアイドルと向き合い、現場を楽しもうとする。「お金を出してこその接触 気持ちいいでしょう? 1000円で買う推しの5秒 興奮するでしょう?」 と豪語し、推しと同じ電車に偶然乗り合わせたら自ら車両を移っていく。まあガチ恋勢の基さんは、それ以上の関係になりたいという気持ちもあるようだけど……彼らも聖人ではないので、「報われたい」「接触で塩対応されたくない」という気持ちは捨てられない。固定レス*2してもらえれば嬉しい。そんな人間くささが心地よい。


くまささん、基さん、えりぴよさんのドルヲタ三人組は気の置けない関係だ。四六時中自分の推しのほうが可愛いと言い合い、現場に通うためフリーターになったことをクズだと煽り合いつつも、生誕イベの時は準備を手伝う。それもこれも、推しが被ってないからこそできることだ。推しに人気が出てほしいと言いながら、彼らは自分が一番のファンでありたいと願わずにはいられない。誰もが多かれ少なかれ同担拒否*3の気質を持ってる。推しが出てる時以外でも盛り上がるのがドルヲタの礼儀だけど、つまりそれは根本的に他人の推しには興味がないってことだ。この漫画には、推し変するオタクはいても箱推しするオタクは登場しない。


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百合漫画として有名になったけど、男ヲタのバリエーションが豊富なのも楽しい


アイドルたちはファンの重い願いを健気に受け止める。自分にその気がなくともファンが喜んでくれるならと武道館を目指す*4。Cham Jamのメンバーはオタクを気持ち悪がったり握手会の後に念入りに手を洗ったり彼氏を作ったりしない*5、「模範的」なアイドルをこなしている。オタクサイドではひたすら「リアリティ」を重視してるのとは対極的な、ネガティブな感情すらきれいに描かれる世界だ。


……そうは言っても、アイドルとオタクの間の壁というのはある。「恋愛は別にしてもやっぱり自分のことを好きって言ってくれるファンのことを好きになる」と言っていた神対応の空音が、「自分のことを一番好きだと言ってくれるファンのblogを見に行ってみたら自分のことなんか全然書いてなかった」「私達は言われたことを信じるしかないのに」と嘆くシーンは、どうしようもなく重い。アイドルフェスで観客が次に出演するグループに合わせるため、その前のグループのグッズTの上に上着を羽織り、取り繕おうとしていたのを見てのことだ。彼女たちはファンの応援がないとステップアップできないから、そんな思考にもなってしまう。……とはいえ、基本的にはこの作品のアイドルとドルヲタは固い信頼で結ばれている。お互いに全部は分かりあえてなくても、とうとい繋がりがある。そういう世界を描き出そうとしている。

「響木アオ」相手がバーチャルでも応援したい気持ちは変わらない


馬鹿らしい、と思うだろうか。一人で同じCDを何枚も購入して得る繋がりを尊いと思うなんて。所詮ありえないものを実在すると思い込みたいだけなのではないか。自分の願いとアイドルの願いを混同するな。現実はこうはいかないと。正直、私もちょっと前までは自分には理解できない世界だと思っていた。いや、今も理解できてるとは思わない。でも、彼らの抱える気持ちは、案外自分と無縁のものではないのだと……そう感じるようになったのは、バーチャルアイドルの響木アオちゃんにハマってからだ。


www.youtube.com


地下アイドル(メジャーデビュー済み)」とも評されるアオちゃんとの近いんだか遠いんだか分からない距離が私を狂わせた。実際にライブに足を運んでみて、そこでは家庭用よりちょっと大きいくらいのディスプレイの中で歌い踊るアオちゃんに声援を送るファンがいた。


バーチャルなので接触はできないし、「俺の方を見てくれた」と言ってもそれは映像でしかない。絶対に手が届かない、アイドルとオタクの間には断絶がある、私たちが相手に向ける気持ちはどこまでも独りよがりで。それでも、何もかもをなげうって一心不乱に応援したい、信仰したいと思う瞬間が人生には必ず訪れる。盛り上がるオタクたちの姿を見てそう感じ、改めて自分もああなってみたいと強く思った。そんな時に読んだ「推し武道」はおよそ限界オタクの坩堝のような漫画で、まあ面白くないわけがなかったよね。

アイカツ!」女児アニメの中のドルヲタ


思えば「アイカツ!」でも、第4話「OH! MY! FAN!」、89話「あこがれは永遠に」、111話「ディア マイ ファン!」と、アイドルと市井のフアン*6の関係を取り上げた話数がお気に入りだった。120話「スター☆バレンタイン」は、既に引退し新たな人生を歩んでいる男性アイドルのところにフアンが訪ねてきて、彼の「今」を肯定するという意欲的なエピソードだ*7



キッズアニメにおいては、キッズに向けられるメッセージを作中で受け取る視聴者の似姿すなわちフアンが多く登場する。今適当に思いついた理屈だけど、そう考えるとアイドル物ってキッズアニメには向いてるのかも。まあ多分一年以上放映されるものが多いので、主役であるアイドル以外に割く話数が十分あるというだけだと思うけど。

比嘉智康作品」俺TUEE作品のモブキャラになってリアクション芸を極めたい


誰かを応援する人信仰する人が登場するのはアイドル物に限らない。ライトノベルには、比嘉智康という作家がいる。男気溢れるかっちょいい主人公ばかり……っていうのはそう珍しいことではないんだけど、彼の作品の場合女子にモテモテでやる時はやる主人公を「さすが〇〇さんだぜ!」みたいな感じで称賛するその他大勢の男どものキャラがめっちゃ立ってた。



彼らは徹頭徹尾、主人公の引き立て役であることを自分に課する。「覚えてないけど、キミが好き」で、ヒロインが主人公にお弁当を作ってきたことを羨ましがり、お年玉を全額投資してでもお弁当欲しいと駄々を捏ねる*8気持ち悪い姿は涙なしには見られない。しかし実に楽しそうだ。自らの身を犠牲にしてでも主人公を賛美する比嘉智康の作風は、俺TUEEとしても突き抜けている。


俺TUEEというと作者or読者の願望の具現化みたいにゆわれるけど、モブキャラとして彼らを褒めちぎりたいという人も絶対多いと思うんだよな。比嘉作品に限らず、上条さんとか阿良々木さんとか、さん付けで呼ばれるキャラを眺めてるとそう感じる。まあ多分に上条さん(笑)みたいな成分も含んでるにしても。

「バーフバリ」大衆は英雄の意思とは無関係に彼の名を呼ぶ


自分はステージでスポットライトを浴びる熱心なファンの側に回りたいんだ、そういう人を描いた作品が好きなんだ。そして、自分と似たような人は結構いる……ということを確信したのは「バーフバリ」だった。このインド映画は、まだ赤ん坊の頃に故国を追放された王子が返り咲くまでを描く、典型的な貴種流離譚とゆっていい。



それが去年末から今年にかけて日本でも一大旋風を巻き起こしたのは、圧倒的な強さを見せつける主人公バーフバリの魅力もさることながら、事あるごとに大衆が彼の名を呼ぶ場面を挿入していた点にあると思う。自分たちを圧政から救ってくれる英雄の登場に民衆は歓喜し、声枯れるまで偉大なその名を叫び、空も大地も宮殿も震える。アイドルがファンの応援で活動するように、英雄もまた大衆の歓呼によって生まれる。映画館という密室の中で、観客はまるでその場に居合わせているかのように大衆と一体化し、帰る頃には彼の名を口ずさんでいるようになってしまう*9


注目すべきは、大衆はバーフバリ本人の意志とは無関係に彼を担ぎ上げようとしていたということだ。彼は義兄弟バラーラデーヴァが王の座についてくれるなら、それを甘んじて受け入れるつもりだった。バラーラデーヴァはバーフバリへの嫉妬から悪役街道を一直線にひた走ってしまうが、無能な男ではない。弟と比較されなかったら、あるいはそこまで悪い王にならなかったかもしれない。彼を追い詰めたのはバーブバリ王を熱望する民衆の声だった。こういう英雄待望論が駄目な方向に行くと、平井和正の小説「幻魔大戦*10みたいになるのかもね。



「バーフバリ」は「推し武道」と違って、彼を担ぎ上げようとするファンの葛藤を描きはしない。主役はあくまでバーフバリだ。しかしこういった英雄と大衆の望みのすれ違いを描いた点では似ている。信仰するものとされるもの。英雄と大衆。アイドルとドルヲタ。私たちはきっとこれからもすれ違い続ける。それを分かっていても、きっと独りよがりをやめられないのだろう。

*1:00年代前半に人気を博した個人ニュースサイト

*2:特定のファンを見つけた時にするポーズ

*3:同じアイドルを好きな人とは仲良くできない

*4:逆に、特に武道館に行ってほしいわけではないけど推しが行きたいならということで応援するオタクもいる

*5:でも彼女は作る

*6:アイカツ!の登場人物・織姫学園長が「ファン」を「フアン」と発音するため、同作の視聴者もファンをフアンと呼ぶ

*7:本人には直接会わないでプレゼントだけ渡してもらって去っていったのが好印象

*8:そして断られる

*9:私は映画としてはバーフが崖を登りきるまでが神話的で好きで、その後は間延びしてるなと思ってしまったんだけど

*10:超能力を持つ主人公が来るべき危機に備えて仲間を集めようとしたら彼を崇拝する宗教団体みたいになってやがて瓦解していく話