「アイドルをのぞく時、アイドルもまたこちらをのぞいているのだ」……『推し武道』の話です
『推しが武道館いってくれたら死ぬ』がアニメ化されてこっち、特定の宣伝文句を頻繁に目にするようになった。曰く「この作品には嫌な人(オタク)が登場しない」。
本当にそうだろか。
オタク同士のじゃれ合いとしてのdis
くまささんは作者から「私の理想のオタク像」と太鼓判を押され、聖人と称されるほどの人格者として描かれている。ように見える。そんな彼でも、三万人の舞菜の在宅オタクを信じるえりぴよに「ええー今さらそんな考えできるなんて頭どうかしてる」と字面だけではなかなかキツい言葉を吐いている。それも結構頻繁に。実際に人気のないアイドルのオタクに! また、浮気したられおが悲しむだろうと思いつつ、あーやのメイドカフェにも通っている*1。
裏表がないように見えるえりぴよも同様で、推しに対して「あのダンスセンスでチャラい系の部活なんてできるわけないじゃん?」などとdisっていた*2。
もちろんこれはギャグであって、真面目にツッコんでもしょうがない。オタク同士仲がいいからこその軽口だろ。それはそう。あの三人の気のおけない関係は羨ましいくらいだ。でもじゃあ、ギャグだから、信頼関係があるからと言って、くまささんはれおの前で同じ発言をするだろうか? 絶対しないだろう。
オタクは決して聖人ではないから
この漫画に通底するのは「アイドルをのぞく時、アイドルもまたオタクをのぞいている」という世界観だ。舞菜みたいに特定個人への執着がすごいタイプに限らない。おまいつ*3が30人くらいしかいないChamJamの規模では、毎週見てる顔は嫌でも覚える。その一挙一動が目についてしまう。悪目立ちもする。
良心(保身かも)を残したオタクもそれを承知している。だから推しの前とそれ以外では顔を使い分けようとする。
『推し武道』に登場するオタクは基本善人かもしれないが、決して聖人ではない。ギャグでもなんでもアイドルをdisるし、塩対応されれば凹むし、「みんなに舞菜ちゃんを知ってもらいたい」と嘯きながら独占欲を抑えきれないことに気づいて自己嫌悪したりする。でも、せめてアイドルの前では理想のオタクであろうと振る舞う。推しが見ているから。
ええかっこしいと批判はできない。好きな人には自分のいいところだけを見てほしいのが人情だからだ。その姿は、理想のアイドルであろうとする彼らの推しとよく似ている。
私はくまささんたちに対して、共感よりも憧れが勝る。逆説的だけど、それは彼らが決して聖人ではないから。自分と同じく聖人でないはずの彼らが理想のオタク足ろうとしている。その姿がかえって自分には遠いからだ。……
「地下」の狭さが人を傷つける
実のところ、そんなオタクの心がけが功を奏しているとは言い難い。彼らの不用意な言動にアイドルは度々傷ついてきた。
地下アイドル現場は物理的にも精神的にも狭い。そこではオタクの配慮を超えて互いの声が届いてしまう。これは実際私が足を運んでみて実感したことだ。チェキ会が行われてる同じフロア、ちょっと声が大きければアイドルに会話が筒抜けの距離でオタク同士が感想戦してるのが当たり前の世界だった。
たとえば岡山アイドルフェスでのこと。グッズTシャツの上にこれから出場する別のグループのパーカーを着ようとする姿を見た舞菜は、オタクの言う「好き」の安易さに疑問を抱いてしまう。
たとえばえりぴよが風邪で現場に来れなかった日、舞菜は初めて前列に立った。ライブ後の電話越し、それにうっすら気づいたえりぴよにくまささんが「舞菜ちゃんが前列にいけるわけ(ないじゃないですか!)」と口走ったのを舞菜は聴いている。彼女が「くまささんきっと(今日来れなかったえりぴよさん相手に)気を遣ってる」と気づいたのは現場でのくまささんの印象によるもので、それはそれで人徳の賜物なんだけど、彼も気を許したオタクの前では前述のようなdisり合いをしてたりするわけで……。
またSNSで積極的にエゴサする空音みたいな子もいる。対バンなどで初めて見たグループのの感想を呟くと、本人から即いいね! が飛んでくるのも現実によくあることだ。当然ポジティブな反応ばかりではなく、ネガティブなpostを目にした空音が凹んだことも数知れない。
シュールなギャグと百合とエモさと、その間に挟まれるこういった「ちくちく」が物語に緊張感を生んでいる。