周回遅れの諸々

90年代育ちのオタクです

舞台「魔術士オーフェン」に感動したので原作読者は是非観よう「獣」は上演終了したので次のやつを

8月中旬。新宿村LIVEという劇場で上演された舞台、「魔術士オーフェンはぐれ旅」を観てきた。私が観劇したのは初日。一度観てこれは千秋楽も行きたいと思ったものの、残念ながら叶わなかった。

舞台の魔法


原作小説の世界では、【魔術】と【魔法】が厳密に区別されている*1。ざっくり言ってしまえば、人間の魔術士やドラゴン種族が扱うのが魔術、神々のそれが魔法である。魔術は一般的に見ればとても強力だができることに自ずと限界があるのに対し、魔法は万能の力とされる。これらの設定は物語が進み世界の真実が明らかになるにつれ、重要性を増していく。


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だから読者は作中で使われる【魔術】を、声優やアニメ雑誌のライターなどが【魔法】と混同することに対してとてもうるさい。今回の舞台を取り上げた芸能ニュースに対しても、そのような反応を見かけた。


……だが、だがしかし。「魔術士オーフェンはぐれ旅」の舞台で現出していたものは、私の見させられたものは実際【魔術】ではなく【魔法】だったのではないか。そんな風にも思ってしまう。だって、そうでもなければ「オーフェン」の舞台が面白いなんて、観に行った二十年来の原作読者がこぞって感動してるなんて、そんなこと想像できるか? 私は2.5次元の舞台はこれが初体験で、他作品との比較はできないけれど、めちゃくちゃ惹き込まれた。

プレ編と交錯する本編


物語は、黒魔術士養成機関《牙の塔》から始まる。稀代の術士アザリーが魔術の実験に失敗してしまい、化け物の姿になって出奔。アザリーの弟キリランシェロは全てをなげうち、オーフェンと名乗って姉を探す旅に出た。それから五年。放浪する内、すっかり荒んでしまったオーフェンは、意外な形で姉と再会する――というのが、シリーズ第一巻「我が呼び声に応えよ獣」のあらすじ。


今回の舞台では「獣」をメインに、オーフェンの学生時代を描いた外伝シリーズ「プレ編」を交えつつ描かれる。


魔術士オーフェンはぐれ旅 プレ編1 (TO文庫)

魔術士オーフェンはぐれ旅 プレ編1 (TO文庫)


当初、作者の秋田禎信は「オーフェン」がシリーズ化されると思ってなくて、「獣」一本きりのつもりで執筆したという。プレ編も、言ってしまえば後づけだ。だから設定に齟齬が生じている。


齟齬以上に問題だったのは、「プレ編」キャラにめっちゃ人気が出たことだ。最強の魔術士チャイルドマンを師と仰ぐ七人の教室メンバー。そのキャラと関係性は非常に濃く、中には本編より好きという読者もいた。しかし彼らは、「はぐれ旅」では冒頭からアザリーの件で既に離散している。プレ編のギャグ回で縦横無尽に暴れまわっていたのに、「獣」では一言の台詞もなく死んだ奴もいた。「彼はコミクロンだったのか」アザリーのことしか頭になかったオーフェンは、五年後には同窓生に気づかなかった*2


「獣」に不満があるわけではない。しかし、もしプレ編が先に生まれていたら。プレ編のエピソードを踏まえた「獣」が執筆されたら、推しの死に様も、もう少しこう、アレになるのではないか。読者はありえない妄想をして自分を慰めた。


この舞台は、そんなファンの夢を具現化している。チャイルドマンに戦闘訓練を受けるキリランシェロ(とその他教室メンバー)、女子生徒と付き合っては短期間で振られてばかりいる同級生のハーティア、珍妙な発明品を作っては大暴れする、三編みおさげ白衣のコミクロン(♂)……。中でも「清く正しく美しく」は、ほとんど丸々一本取り上げられてる。キリランシェロのもう一人の姉ティッシが風紀委員となってお騒がせメンバーをお仕置きして回るドタバタコメディだ。原作ではこの回に登場しないコルゴンは、「放浪癖がありたまに帰ってきても屋根裏に引きこもって出てこない変人」というキャラを崩さないまま、美味しい役どころを与えられていた。やっぱりズルいわあの不気味男。


……二時間に満たない上演時間の内、感覚的には3分の1くらいプレ編に費やされたんじゃなかろうか。そんな学生時代の狂騒が、「獣」での悲劇をより引き立てた。オーフェンは五人の同窓生+教師よりたった一人のアザリーを優先したという事実。原作読者はその先に待つ、知っていながら回避できない苦い結末に、ぞくぞくした。即爆死したあいつとの絡みも追加されている。死に様や髪を短く切ったのや戦闘服を着ていたのも含めて、この辺りは新しい漫画版も取り込んでいる節がある。


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ちょっと情報量増やし過ぎでくどくはないか未読の人大丈夫かなと思ったけど、感想読む限りそういった心配はなさそうだ。というか演者のファンは同じ公演に何回も足を運ぶのが当たり前っぽかったから、むしろ私などよりちゃんと劇を理解してそうだ。なら既読者としては、出されたものを躊躇せず楽しむべきなんだろう。


余談だが、新作アニメのPVでもプレ編メンバーがフィーチャーされてるので、構成としては似た感じになりそうだ。今回の舞台のキービジュアルもアニメとかぶせてきてるし、本来は同じ時期に上演するはずが、アニメが遅れたことでこうなったんじゃなかろうか。

舞台ならではの演出


独自の工夫は脚本の構成にとどまらない。オーフェン」は現在が過去と対峙する物語である。喪われた過去には決して立ち戻れないが、完全に縁が切れることもない。こちらがふと忘れた瞬間に襲いかかってくる。そんな思想が通底している。


マクロ的には魔術や神々といった謎が解き明かされる創生神話。ミクロ的にはキリランシェロとして過ごした、チャイルドマン教室時代。前者は残念ながら、「獣」の範囲ではほぼ取り上げられないが――後者に関しては、奥行きのある劇場ならではの、三次元的な見せ方に成功している。


特に終盤であの二人が重なって見える場面は圧巻。言葉ではちょっと説明しづらいのだけど、プロジェクションマッピングを投写するための幕を利用して舞台を観客席側と奥の側に分けたあのシーンは、まさに過去と現在が交錯したというにふさわしい光景だった。私達観客が見ている現在のオーフェンたち、さらにその向こうにある彼らの過去――人格的奥行きとでも言うべきものを、視覚的な情報として実感できた。

魔術と格闘戦と生の迫力


そうそう、この舞台では魔術の演出としてプロジェクションマッピングを利用している。2.5次元のみならず、近年の舞台では結構多用されてるらしい。ただこれに関してはアニメのPV同様、昔ながらのデザインの魔法陣を写してるだけで、物足りなかった。魔術を使う場合全部が全部、というわけではない。音響効果と喰らった相手のリアクションだけで魔術の発動を示す場面もあったが、原作の「魔術の構成は魔術士以外には見えない」という設定を考慮するなら、かえってそっちの方がいいのではとも思ってしまった。ただ派手さには欠ける。


一方で「オーフェン」の戦闘描写といえば格闘戦も見どころで、こちらは結構見応えがあった。殴る側もそうだけど、殴られる側の受け身が巧みなんだろうな。ボルカンもドーチンもハーティアもコミクロンも、みんなぽんぽん殴られては景気よく吹っ飛び眼鏡はどこかに行き、しかし床に叩きつけられる時の衝撃は観てるこっちが痛くなるほど


思うに、原作は視点人物に寄り添った三人称で文章が紡がれ、その人から見た視界と皮膚感覚をつぶさに伝えてくる。こういった手法による臨場感というのが原作の味なわけだけど、それが殺陣を生で見ることによる興奮と意外にマッチしてたんじゃないかと。


今回の劇場は二百数十席と決して広くない。しかしその分、すぐ目の前で演じられる殴り合いに迫力を感じられた。時折、演者が舞台を飛び降り席と席の間の通路で芝居が続けられることもあったりして、あの小さな小屋を上下左右フルに活かしていた。

俳優さんたちについて

生で観るからこそ、と言えば。やっぱりこういう現代日本からかけ離れた作品だから、観る前は演者に対して不安があった。衣装を着ていてもどこかコスプレ感が拭えなかった。


今回、舞台を実際に観て、そのイメージを大きく覆されたのがボルカンとドーチンの兄弟(西尾来人さんと中村悠希さん)。そもそも彼らは「地人」という人間種族とは別の生き物で、成人男性でも130cmくらいしか身長がない。今回はそんな設定などなかったかのように、子役を使うでもなく*3、むしろオーフェンより背が高い二人が出てきたわけだが……舞台に立っている限り、彼らは紛れもなくボルカンとドーチンだった。身長のことに配慮してるのか、オーフェンと話す時ちょっと屈んでるのが逆に好感度上がったくらい。これぞ名バイプレイヤーって感じ。特にボルカンは元々大仰で芝居がかった口調ということもあって、ばっちりハマっていた。これはハーティア=ブラックタイガーも同様かな。


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もう一人、印象深かったのがクリーオウ役の天音みほさん。くるくる表情が変わって舞台狭しと駆け回って、とにかく可愛くて、可愛くて、可愛かった。オーフェン役の松本慎也さんが別日のアフタートークで「我が聖域に開け扉(「獣」から数えてシリーズ二十巻目)までやりたい」って言ってくれたそうだけど、後半はクリちゃんが辛い目に合うから、こんな可愛いクリちゃんがあんな目に合うの見たくないからやらないで……いややっぱりやって! いややっぱり……とぐるぐる葛藤する羽目になってしまった。


それ以外の面子では、マジクはちょっと精神年齢低めだっただろうか。やっぱり主人公オーフェンを師と仰ぐ弟子という関係上、対比としてメディアミックスで必要以上に子供として描かれがちなところはあると思う。お師様に弟子にならないかって誘われてるシーンで肩を抱かれてる辺りはいかがわしさ満載で、黄色い悲鳴を上げてしまった。そのオーフェンは、キリランシェロの面影が多分に残っている解釈だった。アザリーとチャイルドマンは、立っているだけで場を支配する存在感に満ち溢れていた。

舞台の幕が降りて

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……かくして、舞台の幕は降りた。その後に知人と合流しての感想戦でもコミュ障の自分にしては珍しくペラペラ喋ってたし、まずもって約二〇年の読者生活の中で味わったことのない時間を過ごさせてもらった。観る前は「どうせ2.5次元は初体験だしどんなものが出てきてもアニメや漫画よりかえって虚心坦懐に観られるだろう」くらいにしか考えてなかったのが嘘のようだ。


難点は上演期間が短すぎだということだが……しかし名残を惜しむ必要はない。アンコールをするまでもなく、11月に第二弾の上演が決定している。そのための伏線も、今回の劇で既に撒かれていた。オーフェンと義妹アザリーのためにバカデカい屋敷を建てたティッシが、《牙の塔》で帰りを待っている(何故か家でも戦闘服装備で)。彼女の隣には、チャイルドマン教室の教室長であるフォルテもいる。ということは――原作読者なら分かるだろう。恐らく次の舞台は《塔》のあるタフレム。シリーズ五巻目の『我が過去を消せ暗殺者』と、ひょっとしたら六巻目の『我が塔に来たれ後継者』もやるかもしれない*4


今回スルーした人もよかったら観に来てみてほしい。そう言えるだけの体験はさせてもらった。原作は原作、舞台は舞台だ。私はこの舞台が原作そのままだ、とは言わない。原作小説の魅力とされた部分を舞台独自のものに改変してる部分もある。面白くなくても責任は取らないけど、愚痴には付き合う。チケット発売はまだ始まっていない。朝焼けにはまだ間に合う。


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*1:奈須きのこは「オーフェン」の影響を受けているのではないか、と言われる所以だ

*2:逆にこれで彼の不遇キャラが立ったところもある

*3:こいつらはオーフェンにギャグシーンで結構ボコボコ殴られるので、子役などを使ったら笑えなくなるのでは……という意見を見かけた

*4:以前、第二弾は順番通り『我が命にしたがえ機械』という記述をプレスリリースを見かけた気がしたがあれは霧の古城だったのだろうか。あの引きで「機械」はやらないと思うのだけど……