周回遅れの諸々

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「魔術士オーフェンはぐれ旅」第一、二部 オーフェンという主人公のあり方

※以下の文章は当サークルの同人誌『秋田禎信1992-2018』に掲載したものです。


世の中の主人公は二種類に大別される。作品の顔として人気の高い主人公と、そうでない主人公だ。オーフェンは間違いなく前者に当たる。シリーズ開始からずっと、人気投票一位の座が揺らぐことはなかった。では、みんなオーフェンさんのどこに魅力を感じてたのか。


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この長い長い物語は、行方不明の姉を追って放浪の旅に出るところから始まる。それから五年。《牙の塔》の最エリート魔術士だったオーフェンは、すっかり荒んで街のチンピラと化していた。高利貸しで生計を立てる*1日々を送っていたある日、探し求めていた姉と偶然の再会を果たす。しかしそれは新たな旅の始まりに過ぎなかった。弟子のマジク、わがままお嬢様のクリーオウとともに大陸を彷徨う内、三人はあの世界の真実に触れることになる。


「はぐれ旅」は一~十巻*2を第一部と呼ぶ。これはオーフェンが過去の自分=キリランシェロと向き合うシークエンスだ。出奔時に十五歳だった彼は一巻時点で二十歳。この年齢を大人と見るか若いと見るかは読者による――「初読時、自分がクリマジと同じくらいの頃は大人だと思ってたけど、オーフェンの年齢を追い越したらまだまだ子供に見えた」という人がいれば、その逆――年の割に老成してると見る人もいる。


私は前者だ。二十歳というとラノベ主人公としては年齢的には上の方。主人公氏も精一杯に大人として振る舞おうとしてるものの、あまりうまくいってない。保護者としては、アザリーと自分のことで頭がいっぱいで、しばしば二人の連れの身の安全のことを忘れる。教師としては、自分より才能ある弟子に嫉妬していることを自嘲ぎみに独白する。マジクが「我が神に弓引け背約者」で口走った「お師様はまるで僕に嫉妬してるみたいだ」という言葉は、あの場面では的外れだったけれど、それが図星だった頃も確かに存在した。男としては……まあそこはいいか。


第一部のオーフェンは強いのか? 15~20歳という教育に重要な時期を棒に振った自分はキリランシェロ時代、【鋼の後継】と呼ばれた頃より弱くなっている。そう彼は言う。それはフィジカルよりメンタルの問題として立ち表れる。死体を見て大騒ぎし、ちょっと腕が立つ程度のチンピラに「胆力に欠ける」と評され、敵の胃液に怯んで咄嗟の判断を間違えるなど、この手の主人公としては案外自分の痛みに弱いところが垣間見える。何かと言えばすぐに自制をなくすのも、魔術士としては致命的だ。


これらは、師のチャイルドマンが危険な存在であるアザリーをいざという時殺すため、自分を暗殺者として訓練していたのではないかという疑いから来ている。自分が、最愛の姉を殺すために育てられた存在……このコンプレックスから、第一部終盤ではとうとう魔術が使えなくなってしまう。


オーフェン」の面白さはこうした脆さ、大人でなさを読者が好意的に捉えていたことだ。ハードボイルドを気取るけど女にいいように利用され、最強の暗殺者のはずなのにチンピラに見下され、無法者なのにとことんナイーヴで、俺様キャラのように見えて自己評価がめちゃ低く、自分のことで手一杯なのにお人好しで。たくさんの矛盾を抱えた人間臭い主人公。それがオーフェンだった。15歳にして人格が完成されていた「スレイヤーズ」のリナとは違う。


そうした過去を乗り越えた第二部、十一~二十巻*3では、オーフェンの内面は揺るがない。代わりにここでは、大陸に忍び寄る滅びときたる内戦に際して、彼の思想面がクローズアップされる。曰く「最強に意味なんてない」「問題をどうにかできるだけの力があれば、それ以上は余計である」「超人は世界を救わない」……


第一部終盤で姉のアザリーは世界の危機に対して自分の身を投げ出す。それを間近で見ていた彼が見いだしたのが上のような主張ではあった。けれど、彼の先鋭化した思想は、クリーオウにもマジクにも理解されない。特にマジクには、オーフェン自身が強い力を持っているからそんなことを言えるのだと否定される。


……思えば、二巻時点で「オーフェンみたいな強い人には弱い人の気持ちが分からない」と言われていた主人公氏ではあった。人間の魔術の才能が遺伝によって左右されるこの世界において、それは普通人と魔術士の間に横たわる決定的な溝でもある。が、同じ魔術士であるマジクにすら師の考えは理解できない。マジクは魔術の威力こそ師を凌ぐが、秋田バースの判断基準では破壊力などというものはさほど価値を持たない。制御力、判断力、経験、身体能力……マジクが喉から手がでるほど欲しいものを持っていてなおそんなものに意味がないと語る師が、弟子にはもどかしい。


かつてオーフェンはこう語った。チャイルドマンのような偉大すぎる師を持つと弟子はコンプレックスで潰れてしまうのだと。分かっていたはずなのに、彼は自分もまたマジクにとってデキる魔術士なのだということを失念していた。魔術士というのは力を求めるものだと語り、弟子に嫉妬の念を覚えていたオーフェンは、第二部にはいない。結局彼は物事を弟子にうまく伝えることができなかった。


皮肉なのは、誰よりも超人であることを否定する彼が取った解決策は、まさしく超人でしかなしえない手段だったということだ。この問題は第四部まで尾を引くことになる。


第一部のオーフェンは人間臭くて共感しやすい主人公だった。それが第二部では、「犠牲はみんなで等しく払わないとならない」という思想を貫くがゆえ、孤高の道を行くことになる。第一部に対して二部は陰鬱な展開が続き、評価が分かれることも多い。それでも、オーフェンのキャラが変わったという声はあまり聞かれることがなく、最後まで人気だった。長大な物語は自然、それに見合うだけの主題を呼び込むといった人がいる。一部オーフェンはたくさんの矛盾の中に、第二部に至る萌芽を宿していたと言えよう。


*1:生計を立てることが出来ているとは言ってない

*2:新装版一~五巻

*3:新装版六~十巻