周回遅れの諸々

90年代育ちのオタクです

「魔術士オーフェンはぐれ旅」第四部 世界は何度でも上書きされる 

※以下の文章は当サークルの同人誌『秋田禎信1992-2018』に書いたものです。

プルートー教師の凄いのは、アタシも知ってるんです。《塔》の教師はみーんな先生のことハブにしてるくせに、本音じゃあ怖がってるんですよ。うちの両親なんかもそう」
「あの世代の魔術士にとって、彼は悪夢のようなものなのさ。仕方ないよ」
「ンー、じゃあ校長先生にとっても?」
「もちろん。でも悪夢ってのがどんなものかというと……そうだな。チャイルドマン・パウダーフィールド教師という人物を知ってるか?」
「? 誰ですかー、それ」
「そう。こんなもんだ」


TOブックスから刊行されている、「オーフェン」のいわゆる「新シリーズ」は全部で一〇冊。

  • キエサルヒマの終端』は旧シリーズ第二部のエピローグ
  • 約束の地で』はそれから約二十年後、舞台を「原大陸」に移した第四部の序章
  • 以下『原大陸開戦』『解放者の戦場』『魔術学校攻防』『鋏の託宣』『女神未来 上下』が第四部本編で、その後の『魔王編』『手下編』は本編を補う短編集


となっている。「第三部」は空白の二十年間を描くものだが、構想のみが存在し、形になっていない。……


オーフェン」は最初からシリーズ化を意図して書き始められた物語ではない。『我が呼び声に応えよ獣』第一稿を担当編集者に渡した時、初めて「【次】があるかもしれないから準備しといてね」と言われたという。それを知っていて読むと、「獣」のエピローグは続編への伏線として、後から付け足されたようにも思える。第二部が始まったばかりの頃のインタビューでは、「続けられる限り続けたい」と今の秋田からは絶対に出ない*1発言が飛び出している。少なくとも「終わる」ことだけは最初から決まっていた他の作品とはそこが違う。


オーフェン」世界はボルヘスの「幻獣辞典」や北欧神話などからモチーフを拝借しつつ、独自の設定でもって構築されている。



神々の行使する万能たる魔法と、彼らからドラゴン種族が盗み自分たちでも使えるようにした、不完全な魔術。ドラゴン種族が魔術を使うのではなく、魔術を操る者こそがドラゴン種族なのだという定義の反転。ドラゴン種族との混血によってもたらされた人間の魔術は、声が届く範囲のみに効力を発揮する。音声を媒介としているが、発する言葉に意味はなく、呪文はなんでもいい……。ドラゴンとか魔法とかいったもののパブリックイメージを少しだけ裏切る設定群は、多くの読者を魅了した。


だが、それらのほとんどは、『獣』の時点では存在しなかった。第二巻の『機械』で初めて、我々が知る、キエサルヒマ大陸の教科書に載っているような歴史や神話は整備され……そして、その巻でいきなりドラゴン種族と人間の確執、歴史的経緯については覆される。「誰もが誰かを裏切っている」。このシリーズを言い表す言葉だ。事実はいつも積み重なった嘘の下に埋まっている。この世界の歴史や世界の成り立ちについて、私たちの認識は何度も更新を余儀なくされる。


第一部完結編では、この作品における神々は、元々は全知全能にして零知零能、世界の運行を司る物理法則そのものだったのが、ドラゴン種族によって擬人化させられたただのバケモノであることが明かされる。神々は自分たちを【現出】させたドラゴン種族を許さず、今もこの大陸に襲来しようとしている。第二部終盤では、彼らを防ぐため大陸に張られた【キエサルヒマ結界】を巡る、大昔からの暗闘に決着が着く。


そしてそれから20年経った第四部では、世界の様相は一変したオーフェンたちはキエサルヒマを出て原大陸に辿り着く。そこで神人種族――現出した神々と戦い、また魔王スウェーデンボリーと遭遇したことで、【魔王術】という新たな力を手に入れた。オーフェン、マジク、エドら一線級の術者は空を自在に駆け、森を丸ごと焼き払うような魔術を連発し、遠く離れた相手とネットワークによって意思疎通することができる。質量を限りなくゼロに近づけて音速で移動する「擬似」空間転移ではない本物の空間転移が生まれ、また【現象相殺術】によって呪文の音を消すことで【音声魔術】の最大の欠点――非魔術士にも発動のタイミングがモロバレ――すら克服した。


今の彼らならドラゴン種族とも対等に渡り合える。一体、旧シリーズ完結時点で誰がこんな光景を想像できただろうか、というくらいのインフレだ。この火力ならリナ=インバースにも引けを取らないかもしれない。


終わりを見定めず始まり、一度完結してもなお復活したこのシリーズでは、歴史も物理法則も何度でも上書きされる。作者の頭の中でいつから最新の設定が考えられていたのか。それは分からない。最初から緻密に構築されていたのかもしれないし、うまく辻褄を合わせているだけかも。


確かなのは、世界の新たな真実が明らかになったからと言って、それまでの歴史的な真実を根拠として生まれた争いや差別感情までが消え失せたりはしないということだ。


魔術士同盟の中でも《牙の塔》と《十三使徒》の二大派閥だったところ、オーフェンが原大陸で魔術学校を興したことで新たな流れが生まれ。魔術士を憎むキムラック教徒も、神人種族のもたらす滅びを望むカーロッタ派とごく平穏に暮らそうとするサルア派に別れ。原大陸の中でも都市部とは対立する開拓民がいて、今さら「亡霊」で登場したクリーチャーなんて設定が復活してきて……。


登場人物で言えば、紅顔の美少年だったマジクは魔術以外趣味のない枯れ果てた中年と化した。「無謀編」で馬鹿やってたコギーは派遣警察の総監になり、その義兄のエドガーが大統領に当選し、ハーティアはキエサルヒマの内戦に乗じてトトカンタで成り上がり、オーフェン自身はクリーオウとの間に三人の娘をもうけて。たかだが二十年の間に、何もかもが複雑になり、物語の情報量はエントロピー的に増大した


混迷の一途を辿るこの状況の責任の一端は間違いなくオーフェンにある*2。旧シリーズラストで、彼はキエサルヒマ結界を消滅させた。結界は大陸の全てを覆うには足らずどこか一部分を切り捨てるか、あるいは誰かが神々に対して絶望的な戦いを挑まねばならなかった。オーフェンは超人が世界を救うという分かりやすい結末を否定し、滅びのリスクを皆で等しく背負おうとしたのだ。


――結果、キエサルヒマでは内戦が勃発し、難民は原大陸に新天地を求めねばならなかった。師が一人前として認めたたマジクはハーティアによっていいように利用され、第一部で登場したティッシの弟子のパトリシアは巻き込まれて死に。オーフェンが「隕石が落ちるのを心配するようなもの」「生命として最低限のリスク」と言い放った神々=神人種族の脅威には、外の世界に出たことで既に何度も遭遇している。……


だからこそ彼は似合いもしない校長の椅子に座っている。必要とあらば政治も行い、議会や役人との煩雑なやり取り、書類整理も投げ出さず(投げ出さないとは言ってない)、世界の複雑さに立ち向かおうとする。一体、第四部で何度「政治とは」というフレーズが登場しただろうか。その気になれば世界を征服できる力を持っているのに――あるいは、であればこそ、複雑さとの板挟みになる。ド派手なバトルに鬱々と続く政治。これが第四部の両輪だ


*1:と思っていたら今回のアニメ化で「終わらせようとしても終わらせられない」といった趣旨の発言が

*2:ただしオーフェン以外のキエサルヒマの誰もと同じように