周回遅れの諸々

90年代育ちのオタクです

SF西部劇「ベティ・ザ・キッド」 あるいはロングストライドという最高の小悪党について

※以下の文章は私の同人誌「秋田禎信1992-2018」に掲載したものです。

砂漠には謎がある。
帽子の陰から砂丘を眺め、つぶやく。この砂漠には謎がある。ガンマンをただ殺すだけではなく、誘い出し、惑わす謎が。


容赦なく照りつける太陽の下、巨大な鉄の塊=メルカバと呼ばれる戦車が荒野を進む。搭乗しているのは幽霊男のウィリアム、先住民族シヤマニの血を引くフラニーと、彼女に懐く砂ペンギン。そして男装したガンマンのベティ。彼らが追うのはベティの父を殺した悪党・ロングストライド。一年前までただのお転婆娘に過ぎなかったベティは、今も射撃は下手なまま。復讐のため何度も賞金首と決闘を繰り返し、度胸と機転と偶然だけで切り抜け、名を上げてきた。はたして三人と一羽の旅路の行方は――。


もしあなたが全く秋田禎信の小説に触れたことがないなら、あるいは「オーフェン」旧シリーズが完結してしばらく離れていたなら、真っ先に勧めたい作品だ。上下巻という短い分量ながら、それを忘れさせる濃密さがある。


何が濃厚なのか。それは、乾いた土。否応なく口に交じる砂の味。荒れ果てた荒野。そこで歯を食いしばり、嗤い、泣きながら暮らす人々。彼らがこの土地に入植してきたそもそもの歴史。遠い故国と自分たちの政府。誰かが縋りつき、別の誰かにとっては唾棄すべき信仰。ヘヴンと呼ばれる彼岸の世界と、あちらに行って戻ってきた「天国帰り」たち。弾圧される先住民族。砂の海に眠る古代文明の遺産。そこかしこで当たり前のように繰り返される暴力。飛び交う銃弾。生活のすぐそばで繰り返される生と、死と、死と、死。


この世界では決闘なんてものを繰り返せばどんな達人でもいずれ負けて死ぬし、そうでなくとも何百分の一、何千分の一の確率で起こりうる銃の暴発で、やはり死ぬ。砂漠について、ガンマンについて、秋田の得意とするアフォリズムは、いつも以上に饒舌に語る。まるで、あっけなく死んでいく登場人物一人一人の人生に手向けるかのようだ。


人死には多く、物語も、描写も、あまりに濃密で――しかし、決して息苦しく、陰鬱にはならない。清浄な空気を届けてくれる風が、この作品の中にはいつも吹いている。風に押され、ベティたちは旅をする。


旅の途中、何度も何度も死にかけて……最終目的であるロングストライドが苦労に見合った強敵かというと、決してそうではない。彼はただ人間が暮らすには過酷すぎる、このクソみたいな世界に嫌気が差していた。


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ガンマンとして腕は立つ。奸智に長けている。賞金首として名が知られていて、その額も大きい。しかし、それだけだ。昔は野心の一つも抱えてたかもしれないが、今は役人の使い走りをさせられてる。


雇われとして愚痴は尽きない。殺人に対する快楽などというものも、とうの昔に擦り切れってしまった。危ない仕事は、専ら相棒のビリーに任せている。女はその場その場で快楽を提供してくれるに過ぎず、救いも安息ももたらさない。殺しの対象に息子がいたら復讐されるのが嫌なのでそいつも殺す。そのはずなのに、ベティは父の仇といって何度も食い下がってくる。心当たりがないのに理不尽だ……と罵倒しつつ、「娘」が仇討ちにやってきた可能性に最後まで思い当たらなかったのも、読者からすると間が抜けている。


ロングストライドの銃の腕前は、相棒のビリーに遠く及ばない。戦車の操船技術や殴り合いでは、ウィリアムに敵わない。彼自身それを知っているからこそ、危ない橋は渡らない。繰り返していけばいずれ死に行き着くことが確実な決闘などもっての外だ。彼はただ生きるために全力を尽くす。そのためには下げたくない頭も下げるし、敵わないと分かればさっさと逃げるし、どんな狡っ辛い手も使う。小悪党には小悪党なりの生き方がある。

(感づいたかもな)
してみると、お坊ちゃんでも頭は回るやつだったようだ。ロングストライドの悪意に気づいたならエプスになにかしら警告すべきだが、あと一歩のところでやめてしまった。疑ったが、疑いきることができなかった。結局は馬鹿と同じだ。まだ、この世では善意が悪意を上回ると思ってやがる。屋根も塞がることがあると。
(そんな連中の間を縫って、泳いできたんだ。俺ァ)
だから生きてこられた。それが武器だった。銃の仕組みも知らなかった素人のガキが、ひとりで砂漠を渡るのに身につけたただひとつの武器。


そんな生き方をしてきた彼に、この世界からおさらばできるチャンスが降って湧いたように訪れる。砂の味も銃弾も死も一切と縁を切れる世界が、彼の前に扉を開こうとしていた――。


秋田作品では度々、こうした彼岸を目指す人々が登場する。「シャンク!!」の不死者(イモータル)はその最たるもの。この作品に登場したガンザンワロウンはガンバンワロウン、ガンディワンスロウンと少しずつ名前を変え、「オーフェン」「エンハウ」など作品の壁を超えて名前を残している。ただしオーフェンもミズーもフリウもシャンクもブリアンも、主人公たちが彼岸に行くことは許されない。あくまで「今この場という現実に踏み留まって人間として生きる」こと。それが秋田禎信が作家として書いてきたものだ。ロングストライドは真正面からその壁にぶつかってしまう。


厄介なのは、彼の行動が善悪や正誤では判断されないことだ。秋田はただそのような行為に至る人物として描き、否定はしない。たとえ彼がそのために無辜の人間を殺していたとしてもだ。思えば他作品でもそうだった。「オーフェン」のヘルパートの仕事人感、「エンハウ」のウルペンの情念、「冥王星」の流れ星ヒューの愛。彼らは対立する主人公に敗れるけれど、彼らの信念が間違っていたから破れたわけではない。ただ破れたのだ。……だからこそ読者は敵役である彼に共感するし、この物語は傑作足りえたのだ。