周回遅れの諸々

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「孤独のグルメ」祝25周年 原作漫画とドラマ、二人の井之頭五郎

主人公は中年男性。仕事で訪れた土地の見知らぬ店で、メシを食う。ただそれだけの漫画「孤独のグルメ」は、1994年にスタートした。最初の連載と単行本の際はそれほど反響がなかったが、文庫化してからネットで話題になってブレイク。2012年から始まった松重豊主演のドラマは7期目を数える。原作も人気が出てから復活、不定期に「SPA!」に掲載されていた。


……が、しかし。原作:久住昌之、作画:谷口ジローでずっとやってきた漫画は、2017年に谷口が亡くなったことにより、二度と新作が読めなくなってしまった。


原作の初出から25年が経過している。「孤独」の楽しみを描いた作品としてたくさんの「お一人様」の共感を集めたこの漫画は、既にそれほど異端でもなくなっている。現実社会では「お一人様」の楽しみは今や当たり前のものとして受け入れられているし、お一人様も友人知人との付き合いも適切な距離感をもって両方楽しんじゃう、ゆるキャン△なんて作品も登場した。


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「お一人様」が当たり前のものになって*1。原作漫画はもう描かれないことが確定して。ドラマはまだこの先も続くのか、続かないのか。聞くところによると、松重さんの胃腸がいい加減ヤバいとも聞くが……。私は多くの人同様、文庫化でブレイクした頃からの読者だ。長い付き合いのこの漫画を、ドラマとの比較もかねて一度振り返ってみたい。

井之頭五郎というキャラクター


いきなり下世話な話で申し訳ないが、主人公・井之頭五郎は小金持ちの独身貴族である。個人の輸入貿易商という仕事をしてて、「趣味のショールームを持っておくのもいいか」と気軽に考える程度には成功している。普段相手する顧客は相応の地位の人間が多そうだ。お付き合いでお高い店に行くことも多いだろう。回転寿司屋に一人で突撃した時は、「普段俺が行く店とは大違いだがさっと食ってさっと出るならこっちの方がいい」なんてゆっていた。


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彼自身は、セレブな顧客たちとは身分が違うと自嘲気味に独白する。彼が好むのは町の大衆食堂やラーメン屋……そういったものだ*2。しかしそういう場でも彼はどこか浮いている。見知らぬ店を訪れる度、そこに通う地域住民たちの生活臭にカルチャーショックを受ける。赤羽の居酒屋では朝から酒を酌み交わす客に普段見てるのとは違う別の世界を垣間見、回転寿司屋の大トロタイムセール狙いのオカアサンたちに驚く。非常に小市民的な感性を持つゴローちゃん本人はしかし小市民とは言い難い、というのがこの漫画のミソだ。そこを取り違えてると、昼の一食に二千円三千円ポンポン使う様子にびっくりしたりする。


原作ゴローちゃんは、言ってみれば食にこだわりを持つ偏屈なおっさんだ。渋い顔、苦虫を噛み潰したような表情がよく似合う。ただその妙なこだわりを他人に強要しないのでかえって可愛かったりするのだが、内心では結構失礼なことを考えてたり、その思い込みをすぐに覆されたり。ヒッピーが経営する自然食の店を「意識の高さ」ゆえに敬遠してたのが、実際に食べてみて偏見を翻す辺りとか、人間は美味しいものには逆らえないのだと思わせる。


ドラマゴローちゃんは、比べれば大分親しみやすくなっている。コワモテなのに、松重さんの喋りが朴訥でどこかトボけてて、温厚そうな印象を与える。いかにも仕事一徹の原作ゴローちゃんに比べ、いつも仕事を放り出して飯を食いたい欲求と戦っているし、時々それに負けてしまうこともある。そういう可愛いところもドラマが大ヒットした一因だろう。

外食での失敗と癒やし


「失敗」は原作の重要なファクターである。ゴローちゃんはその回ごとに知らない店に入って、食べたことのないものを注文する。いきおい、失敗も多い。初めての店に入るときの逡巡に始まって

  • 焦りからたくさん注文しすぎたり
  • せっかく注文したメニューが売り切れてたり
  • 他の客が注文したものが美味しそうで釣られてしまったり
  • 豚汁と生姜焼きで豚がかぶってしまったり
  • 味が予想と違ったり
  • 一人で静かに食べたいのに常連に悪意なく絡まれたり


いずれも「一人メシあるある」だ。しかしそこは初めての店のことだから、当然ありうることと許容する。「こういうのもまた一人飯の醍醐味だから」とまで達観できているわけではない――彼はただ小心者(ハードボイルド)なだけだ。観光地で微妙なものを喰わされても、景観はいいのだからと「やっぱりこういうところでは文句を言っちゃいけないぜ」で済ませる。


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そう、グルメ漫画でありながら、本作では味は最重視されないのだ。それよりはレンジを広く取って、メシを食う「場」とそこに通う人々を描くのが原作である。一方でドラマ版は食べ物の方の比重が大きい。

主人公・井之頭五郎は、食べる。
それも、よくある街角の定食屋やラーメン屋で、ひたすら食べる。時間や社会にとらわれず、幸福に時間を満たすとき、彼はつかの間自分勝手になり、「自由」になる。
孤独のグルメ――。それは、誰にも邪魔されず、気を使わずものを食べるという孤高の行為だ。そして、この行為こそが現代人に平等に与えられた、最高の「癒やし」と言えるのである。


この文章は文庫版の裏表紙に書かれたものだ。ドラマ版では毎回冒頭に読み上げられるので、すっかり覚えてしまった人も多いだろう。あのドラマは、ちょっと胡散臭いこのテキストの主張を踏襲している。


前半ではゴローちゃんは個人輸入商として様々な顧客たちの相手をし、すっかり疲れ、「腹が……減った」(ポンポンポン というお決まりのシークエンスをこなし、そこから「店を探そう」となる。色々迷った挙げ句、ピンと来た店に入り、食べ、そして癒やされる。一期から七期に至るまで、仕事の疲れを食事で癒やすというこの流れは変わらない。


原作にないオリジナルエピソードで構成されているドラマ*3では、ゴローちゃんは基本的に失敗しない*4豚と豚がかぶったとかその程度のアクシデントはあるけど、大体微笑ましい範囲に収まっている。そして、おおむねどこで何を注文しても美味しいものが出てくる。ドラマ版は舞台となった店の宣伝も担っているので悪く言うわけにもいかないのだろうが*5、どっちかというと作品全体を貫くテーマとして「食による癒やし」から外れることはしない、っていう基本姿勢のほうが大きいのかなとは思ってる。


ドラマ本編終了後には、舞台となったお店にインタビューするコーナーが設けられている。だもんだから、放送後には視聴者がどどっと訪れるという。これは原作の思想とは全く相反するものではある。ゴローちゃんは事前に情報を仕入れてグルメガイドブック片手に有名店に並ぶような、そういった行為を忌避しているからだ。ドラマはむしろそれを推奨し、受け入れられている。ここまで違う原作とドラマが両方とも支持されているというのも、なかなか珍しいのではないか。私自身はこの手の聖地巡礼を公式が推してくやり方には懐疑的なのだが、それでもドラマはやっぱり面白い。

原作者・久住昌之の果たした役割


そんなドラマ版に対し、原作者の久住はむしろ他所の原作者よりも深く製作に関わっている。漫画家なのに劇伴を全て担当したというのもすごいが、彼の役割としてより重要なのは、本人が舞台のお店にインタビューする「ふらっとQUSUMI」のコーナーだろう。


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ゴローちゃんが居酒屋に入っては店員に飲み物はと聞かれて「烏龍茶ください」と返す。このシークエンスを、我々は何度聞かされただろうか。食事をウリにする居酒屋は数知れないし、地方に足を伸ばして遅い時間に食事しようとすると居酒屋くらいしかないなんてのもザラだ。そして酒のツマミは単体で美味しくてもやっぱりアルコールと共に飲み食いすることを前提として作られていることが多い。現代日本においてはたとえ下戸であろうとアルコールとの付き合いは付きまとってくる。「孤独のグルメ」という作品において、ゴローちゃんが一滴もお酒を飲めないことは重要なアイデンティティーとなっている。


ところが原作者は大の酒党である。「ああ……俺って本当に酒の飲めない日本人だな……」とボヤくゴローちゃんを尻目に、久住は毎回麦ジュース*6を実にうまそうにあおる。口元のヒゲに泡をつけながら「ウェッヘッヘお昼からこんなに飲んじゃっていいのかな(笑」と笑うその顔の幸せそうなことといったら! 


ドラマ版は「飯テロ」と言われる。松重さんが焼き肉だの何だのを美味しそうに食べる様子に視聴者が胃袋を刺激され、でもリアルタイムの放送は深夜なので今食べるわけにはいかないという状況を表現した言葉だが、それなら「ふらっとQUSUMI」は「酒テロ」だ。アルコールを入れて赤くなった久住の笑顔は、どこか煤けてる原作を陽性のものにするのに一役も二役も買っている。

二つの原作


さてここまで原作原作と書いてきたが、実は原作のほうは、1994-96年分に「月刊PANJA」で連載された分*7と、2008年以降「SPA!」で不定期に発表されていたもの*8とでは様相が異なる。具体的には後者ではゴローちゃんの独り言がやたら多くなっている。


ゴローちゃんも食べてる最中色々と感想を抱くのだけど、独りで食べてるのでそれを披露する相手はいない。常連や家族連れの和気藹藹とした会話を尻目に、その店における異邦人であるゴローちゃんは一人食べ続ける。twitterなんてものもやってないので、諸々の感想は胸中で呟いてみては自分ツッコミをするに留まる。


これらの言葉は全く論理的ではない。誰かに伝えることを目的としたものではないのだから当然だ。群馬で焼きまんじゅうを食べた時の「これは思ったとおり……複雑な甘さだ」「いや……スゴい甘さと言ってもいい」とか実に分かるようで分からない。でもそれぐらいが自然でいいのだ。プロのグルメレポートじゃないのだから、適切に味を表現する必要はない*9。また堅そうな顔をしてるゴローちゃんが内心でコテコテのオヤジギャグを考えてるのもギャップの面白みを誘う。


閑話休題。例外的に、ゴローちゃんが思考をダイレクトに言葉にしてるのがコンビニ大人買いの回だ。これは、深夜のコンビニというシチューエーションがそうさせているのではないだろうか。


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コンビニ、しかも深夜となれば連れ立って来るのはせいぜいオールで飲んでいる暇な大学生くらい。あとはカップルか、基本的に「孤独な」人たちだ。漫画で描かれているカップルが寝間着姿であることに象徴されるように、人々はそこを自室の延長線上と認識し、昼間に食べ物屋で見られるような、外向きの交流は行われるべくもない。五郎ちゃんもそんな雰囲気に油断し、ついつい独り言が多くなってしまった。そんな表現だったのではないだろうか。


……という感想をね、原作が復活する前、以前のブログで書いたことがあるんですよ。でも「SPA!」で不定期連載が始まってみたらゴローちゃんの言葉の多くが吹き出しの中に配置されてて。ゴローちゃん年取って独り言多くなったなあなんて思った次第です。25年だもんなあ。そりゃゴローちゃんも年取るよなあ。なんだこのオチ。


*1:むしろ最近は一周して「やっぱりお一人様よりいい相手を見つけたいよね」というところまで来てるように思う

*2:でもそれはあくまでゴローちゃんの好みによるもので、店がオシャレな創作料理のダイニングだろうとなんだろうとゴローちゃんは「孤独のグルメ」すると思う

*3:時々原作のネタが挿入されることはある

*4:ドラマにも失敗EPはあるよとご指摘を受けたので表現を修正。私が初めて見たのはシーズン3の最終回ですかね。ご指摘ありがとうございました

*5:原作にもモデルとなった店は存在するが作中で実名は出していない

*6:という名のビール

*7:単行本第1巻

*8:第2巻

*9:この点、お一人様漫画として何かと比較される「ゆるキャン」のリンちゃんは何を食べる時でも既存のグルメレポート口調まんまなのだが、高校生が背伸びしてると思うと可愛い