周回遅れの諸々

90年代育ちのオタクです

星野源と「スレイヤーズ」と宮崎勤についてのメモ

ダ・ヴィンチ」最新号の星野源特集に、乙一が寄稿している。氏は星野のことを自分とは遠い文化圏の人間だと思っていたが、エッセイで「スレイヤーズ」や「ドラゴンマガジン」について触れているのを読んで、親近感を持つようになったという。



そのエッセイ「蘇る変態」にはこう書かれている。

小学校低学年の頃は『コロコロコミック』や『コミックボンボン』に夢中だったが、90年代に突入し小学校高学年になると、ふと本屋で手に取った富士見ファンタジア文庫から出ていた『スレイヤーズ!』という作品に夢中になった。小説だが可愛いアニメ調の挿絵が数点あり、その時はまだライトノベルと呼ぶとは知らなかったが、つまりそういう類いの中高生向けの軽小説だった。
文章を読むのは変わらず苦手だが、性の目覚めが早かったためにその挿絵のエロ可愛さに読む気にさせられた。多少乳首なども描写されていたが、小説だしページさえ開かせなければ親にもバレないだろうという作戦もあった(後に友達が遊びにきている前でそのエロページを親に見せびらかされ、酷く恥をかいて作戦は失敗に終わった)。そして何よりストーリーが面白かった。
その後富士見ファンタジア文庫の母体となるライトノベル雑誌『月刊ドラゴンマガジン』を読み始め、後に同じ系列のコミック誌である『月刊コミックドラゴン』の読者になった。周りの同級生が『週刊少年ジャンプ』に夢中になっている頃、ひとり『月刊コミックドラゴン』に夢中になっていた。その頃はまだ「萌え」という言葉がなく、自分の中からわき上がる「わけがわからない感情に振り回された。当時の星野少年に言ってやりたい。それはただの「萌え」だ。別に変じゃない。オタク的というだけで普通の感情なのだと。

 

作家以外で「スレイヤーズ」が好きという著名人は、大抵リナに憧れている女性だ。男性は珍しいし、こういう物の見方を披露する有名人というのはもっと珍しい。でも、何度か書いた通り、イラストを担当するあらいずみ先生のイラストはごく自然にエロティックなものが散見されるし、局部は強調されてたし、今もそれはあまり変わらない。一般男性ファンとしては、総意とまでは言わないけど、特筆すべきところのない見解だとは思う。しかしこの人、林原めぐみを自分のラジオに呼んだことがあるそうだけど、どんな顔して会ったのだろうか……


こうして無事オタクへの第一歩を踏み出した星野少年はしかし、そのまますんなり沼にハマったわけではない。当時は宮崎勤による幼女連続誘拐殺人事件の直後。この事件の報道から生まれたオタクバッシングで、オタク趣味にハマる自分はおかしいんじゃないかと考えたという。一度そういう界隈界隈から遠ざかった星野は、数年後、とうとう自分に嘘をつくのに疲れてしまう。我慢の限界を超えた彼が本屋で買い求めたのは、エロゲー雑誌「パソコンパライス」だった……。


私は星野と同世代だけど、例の事件と自分に対する周囲の目を結びつけて考えたことはなかった。思春期を迎えてからアニメにハマる恥ずかしさというのは感じてたけど、それは別に誰かにアレコレ言われたからとかではない。と思いたい。


でも、そういえば。「スレイヤーズ!」のあとがき*1で神坂先生が――正確に言うとL様が「家にはビデオが六千本」「愛車は紺のラングレー」と作者紹介をしていた。あれは宮崎のことを指していたんだな、と気づくのは、初めて読んでしばらく経ってからだった。神坂先生は当時からオタクという自認を持ってたし、現在でも「このすば」などたくさんの漫画アニメゲームラノベを摂取しているし、世間からそういう目で見られているだろうということに気づいていた。あらいずみ先生もエロ漫画業界に身を置いてた人なので、あの事件と全くの無縁ではいられなかっただろう。


スレイヤーズ!』の二ヶ月前にファンタジア文庫から刊行された『コミケ中止命令!』は、「相当のディスカレッジを受けたに違いない」「特に地方にいる男子のアニメファン」の鬱屈した気持ちを少しでも解消させてあげられないものか」という思いから執筆されたそうだ*2



黎明期のラノベは、漫画業界が有害コミック騒動で揺れたほどには影響を受けていないと思っていた。でも今こうして振り返ってみると色んなところで関わりが垣間見える。探せば他にも見つかるだろうし、80年台終わりから90年台前半にかけてのラノベの性表現を語る上でも欠かせないトピックなのかな、と。


*1:新装版では新たなあとがきが書き下ろされ、旧版のそれは削除されている

*2:事件が起きたのは執筆途中なので、最初からそういうことを企図して書かれたわけではない