周回遅れの諸々

90年代育ちのオタクです

「スレイヤーズ」おさらい7 同時代以降の作家たち 縄手冴木深沢中村あかほり秋田ろくご橘

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今回は、神坂一と同時代もしくはそれ以降にデビューした作家・作品について語る。

縄手秀幸「リュカオーン」



神坂一と共に第1回ファンタジア長編小説大賞で準入選。〝軽"のスレイヤーズ!と並んで"重"のリュカオーンと称されたのが、縄手秀幸の『リュカオーン』だ。『セルフ・デストラクティブ・シンドローム』なる現象とそこから派生したある計画により、人類の大部分が異形の存在と化してしまった奇妙な未来を描く。神坂先生は後に「『あ、この人には絶対勝てんわ』と思った」「でもその方はどうも次の作品が書けなかったらしくて」と語っている*1


まず、現存する人類とはかけ離れた異形の者たちがごく普通に闊歩する街、ひいては世界そのものに魅入られた。その妖しい雰囲気に、当時ソノラマで菊地秀行の著作等を中心にばりばり仕事をしていた天野喜孝のイラストが、あつらえたように馴染んでいる。


既存の小説やゲームの世界設定をうまく取り込むことで説明を削り、軽快なテンポを実現していた『スレイヤーズ』と違い、やれ水晶髑髏だフィラデルフィア実験だダークマターバイオハザードだ事象の地平線だ……とオカルト要素ぎゅうぎゅう詰め。これでもか!これでもかっ!と作者のやりたいことをつぎ込んでいて、凄い密度。300P程度じゃ俺は収まり切らないぜ、という熱気が伝わってくる。正直、二十年以上前の初読時ですら一つ一つのネタはそう目新しくは映らなかったけど、それを一つの独特な世界としてねじふせ、結末までぐいぐい引っ張っていくパワーに圧倒された。


前述した解説もあって、『スレイヤーズ』と比してやたら重厚なイメージを持ち続けていたけど、意外にユーモラスなところもあり。型破りな個性はないにしろ主人公コンビであるサイボーグの大男と天真爛漫な少女のキャラクターも魅力的で、つくづくこの1作で消えたのが惜しまれることよ。


あと、当時は分からなかったけど、登場人物の一人の名前が「カトゥルフ・クゥ・リトル」というもので笑った。何がおかしいかっていうと、「スレイヤーズ」の魔王の名前もクトゥルー経由の「シャブラニグドゥ」なんだよね。意外なところで共通点が。みんなそんなに邪神様が好きか!

冴木忍「〈卵王子〉カイルロッドの苦難」他



かつてのファンタジア文庫巻末では、「神坂一(第一回準入選)、冴木忍(第一回佳作)に続くのは誰だ!?」という新人賞の広告が打たれている。この文句は15年以上変わることはなかった。第一回入選者だからというのはあるだろうけど*2、神坂先生は勿論、冴木忍も特別な存在ではあっただろう。アニメ化という分かりやすい実績がないため目立たないが、2001年時点で総発行部数は600万部と、立派な数字を残している。


スレイヤーズ」という大きな柱がある神坂先生と違って、冴木は活動開始当初からたくさんのシリーズを同時に抱えていた、多産な作家だった。一つだけ代表作を挙げるとするなら「<卵王子>カイルロッドの苦難」。主人公が持って生まれた「不幸」*3に挫けず頑張る、ヒューマニズムを全面に押し出した作風で人気を博した。文体は難解なものではなく、キャラクターも適度に崩していてサクサク読める。


冴木の作品で印象深いのはあとがきである。あとがきが苦手だという作家はたくさんいる。いるのだけど、そういう人も何かしら書かなきゃいけないとなったら苦手だということ自体をネタに昇華したりするわけで。ほんとに素っ気なくぽーんと「苦手」を読者に放ってくる人を、私は冴木以外に見たことがない*4。これはいくらなんでもとっつきにくすぎるのでは……と思ったけど、当時の人気の程を見てるとあんまりそう思ってないか、思っててもそれはそれこれはこれと思ってる読者の人が多かったのだろう。


先日「ザ・スニーカー」のバックナンバーを読んでいたら、「使用済みのテレカや切手などを集めて社会福祉事業の資金に当てるのでみんな協力してね」ということを言っていた。伊達にああいう若者を教化する小説を書いてるんじゃないんだなと見る目が少し変わった。

深沢美潮フォーチュン・クエスト」他



RPG的な世界を小説で表現するに当たり、「スレイヤーズ」は作中で言うところの「騎士道物語」を介している。一方で「レベル」や「経験値」といった用語をそのまま輸入したのが同時期の「フォーチュン・クエスト」である。といってもほんとにそのままなら大ヒットするはずもなく、冒険者をサポートするための保険会社だとか、作者なりのアレンジというか世界の解釈はされてて、そこが読みどころ。そういえば先日、「『異世界冒険者のためのサポートするための保険会社を設立してみました』とか今はなろうでありそうだなー」と思って検索してみたら普通にありました。「このすば」が大ヒットした時、編集者が「現代版スレイヤーズ」と評したのを見たファンが「いやあれはスレイヤーズよりフォーチュンじゃない?」とツッコんだりも。


基本的には初心者の冒険者たちが世界を旅するという内容で、主人公のパステルもいたって普通の女の子として描かれている。「スレイヤーズ「ゴクドーくん」「オーフェン」といった、とにかくアクの濃いキャラが出てくる同時代のライトFTと違うのはそこだ。「スレイヤーズ」のドライな関係と違ってパーティーの結びつきが強く、自分たちが一緒に暮らす家を建てるエピソードなんかも。その家が燃えちゃうのはつらかったな。パーティー内恋愛もあったりなかったりするんだけど、「フォーチュンにそういうのは求めてない」という声も、まあ、わりと。


なお本作は2018年現在も「新フォーチュン・クエストⅡ」が継続中。名実ともに電撃文庫*5最古参である。ポプラ社で児童文庫としても刊行され、そちらもなかなか好評だったようだ。

中村うさぎ「ゴクドーくん(極道くん)漫遊記」



後にエッセイストとしてブレイクすることになる、中村うさぎの小説デビュー作。アニメ化した時、主人公のCVは石田彰であった。


ファンタジーを「中世風」だとか「西洋風」だとか喩えることがある。ほとんどの場合、読者側が言い出すことだ。どこどこの国をモデルにしましたと作者が明言しない限り、別にじゃがいもがあろうがなかろうがどうでもいい*6。だってファンタジーなのだから。 ……にしても、人はここまで開き直れるものだろうか、と「ゴクドーくん」を読むと驚く。なにせ作中に登場する国の名前が「カレーの国ターメリック」とかである。異世界感のカケラもない。「ドラクエⅢ」なんかも作中に登場する舞台のモデルはバレバレだったけど、にしても「ゴクドーくん」の吹っ切れ具合はただごとではない。


角川四大ライトファンタジー*7の中で、「ゴクドーくん」は特異点である。私がそう考える理由がもう一つある。「LGBT」も「ポリティカル・コレクトネス」という言葉もなかったあの頃。フィクションでは今よりもずっと同性愛者はお笑いのネタとして消費されていた。それは「スレイヤーズ」も「オーフェン」も例外ではない。そんな中で、中村うさぎは育ての親がゲイであることからいじめられた息子の苦悩と成長なんていうテーマを、ライトノベルで真正面から描いてみせた。私は先述した四作品ではゴクドーくんを一番最後に読んだのだけど、これにはびっくりした。恐らくは、彼女が歌舞伎町文化の薫陶を受けた作家だったことと無縁ではないのだろう。



上のやつは、10年以上ぶりに中村が執筆した新作小説。

あかほりさとるセイバーマリオネットJ」「MAZE 爆熱時空」他



スレイヤーズ」というか、神坂一という作家を語る上で一番混同されやすいのがこの人。下半分メモ帳と揶揄される改行の多い文体や擬音表現の多用という共通点で、何かとひと括りにされている。


二人の文章の違いは、一言で言えば物語る対象への距離感ということになるだろうか。あかほり作品の語り部は、作者であるあかほりさとるその人だ。思えばドラマガなどでも他の特集は基本的に作品単位だったのに、あかほりに限ってはあかほり作品」という括りで特集されていた。あかほり作品で一番有名なキャラクターは間違いなくあかほりさとるだ。そのイメージが強かったのもあってか、小説もまた作者がお空の上からキャラクターたちを俯瞰している感じ。本文においても、あかほりが顔を出し楽屋ネタをかますことも珍しくなく、それが味でもあった。神坂作品は一人称だろうと三人称だろうと、あくまでキャラクター目線で書かれていて、臨場感に溢れている。作者とキャラクターが会話するのはあくまであとがきに限ったことであって、楽屋ネタは本編にまでは持ち込まれない。


改行の多さはまあそうだろうと思うのだけど、擬音表現については、神坂は平仮名、あかほりは片仮名を好んで使うという特徴がある。


『えんさいくろぺでぃあスレイヤーズ』の「擬音辞典」を開いてみると、「だごしぃっ!」だの「ま゛っ」だの「ぞりぞりぞりっ」だの「ゑりっ」だの、生理的嫌悪感を催すものから視覚的に引っかかるもの(いい意味で)、どうやって発音すればいいのか分からないものまで、多種多様な表現が並んでいる。なんで平仮名ばかりなのかは分からないけど、眺めてて楽しい。


あかほりの小説の擬音は片仮名が多い。拡大フォントを使うこともあってか、文章の中で異質な存在であり、インパクトは強いけど、逆に言うと前後の流れからは浮いている。これは神坂一からラノベを読み出し、あかほり作品に結局なじめなかった人間だから言うことであって、あかほりファンからは反論もあろうかと思うけれど――神坂と比べて、あかほりのそれはバトル漫画で使われてるようなオノマトペをそのまま持ってきてるだけで、工夫がないなと思ってしまった。漫画ならそれでも描き文字で作者の味を出せるけれど、小説はあくまで活字である。面白みがない。


スレイヤーズ」のリナと「セイバー」のライムが両方共林原めぐみによって演じられていた頃から20年が過ぎた。あかほりが上記のようなイメージで小説を執筆していたのは、せいぜいその前後五年というところ。後の「陰陽探偵RANTO」「らいむいろ戦奇譯」「サクラ大戦 巴里前夜」では派手な表現はかなり控えめになっている。私が一番最後に読んだのは、2015年の「モンスターハンター」のアンソロジーだった。同年には白泉社から「あかほり悟」名義で時代小説を出版しているが、いずれも普通の(?)時代小説である。「セイバー」であかほりと共に「あの頃の絵柄」の代名詞とされることぶきつかさも、現在担当している「ガンダム」のコミカライズには昔日の面影はない。



他方、神坂あらいずみ両御大は、もちろん変わったところもあるが、大きく路線を変更したわけではない。彼らの作風が環境や作品により選択された結果かどうか、それは分からないけど、今となるとこの対比はなんとはなしに面白い。


そういえばファンタジア文庫から「セイバーマリオネット」の完結編が刊行されるという話だけど、これも本人が書くのかな。

秋田禎信魔術士オーフェン」他




オーフェンはリナと並んで90年代のファンタジア文庫を代表するキャラクターである*8。しばしばコラボなども行われており、twitter上ではどっちかが話題に上ったらもう片方のことも出てくる、というのが定例行事になっている。


秋田はリナについてこう語る。「過剰な火力の女の子が暴れ回るっていうのは当時としては過激な設定だったんですが、リナっていうキャラクター自身はかなり大人で、ブレる余地もないんですよ。そのあたりの安心感が『スレイヤーズ!』のポイントだろうと思います。それに比べると『オーフェン』はやたら若いですよね。」。オーフェンも時期によって色んな顔を見せるキャラクターだけど、基本的にはエリートコースを脱落した優等生であり、ナイーヴな一面を持っている。比べるとリナのキャラクターは本当に完成されている。弁舌にも長け、リーダー適性も抜群。最終的に魔道士協会の要職に就くと聞いた時は驚いたが、あの他人への影響力を考えると納得。オーフェンも第四部では魔術士学校の校長という役職に立っているが、人に物を教えるということには最後まで不慣れだった。


リナに限らず「スレイヤーズ」のメインキャラはそれぞれが一個人として人格が既に確立したものとして描かれていて、仲間といっても根っこのところではドライな関係だ。「オーフェン」の方では身内というのは決して逃れられない過去であり、それは旧シリーズから20年後の第四部まで追いかけてきている。

ろくごまるに封仙娘娘追宝録」他



スレイヤーズ」の本質はアクション小説だと思っている。短編でも長編でもバトル要素が全体の半分以上を占める。夢枕獏は「自分は日本で一番格闘描写を書いてる」というようなことを言っていた記憶があるが、神坂先生もなかなかのものだ。竜破斬(ドラスレ)の大火力のイメージとは裏腹に、リナは知恵と勇気と咄嗟の機転でもって強敵と渡り合う。最新刊でも、正体不明の敵にはまずハッタリをかまして自分のペースに持っていくリナの駆け引き上手な一面が強調されていた。


ファンタジア文庫神坂一の後輩の中で、そういった戦術的な駆け引きの要素を受け継ぎ、とことん突き詰めたのが「封仙娘娘追放録」という作品だった。登場キャラクターの多くがワンオフの機能を持った宝貝であるというのも、まるで将棋のようなゲーム性に寄与している。


スレイヤーズ」との違いは、ひとつには、和穂は何ら特別なものを持たない普通人だということだ。リナ、オーフェン、南雲慶一郎、宗介、ヨーコ……と、90年代のファンタジア文庫を席巻していたのがFTというジャンルではなく、物語開始時点で既に歴戦の兵である、アクの濃い主人公だ、というのは周知の事実だけれど、そう考えると、人格はほぼ完成していても、一巻冒頭で仙人の力を失う和穂は異端だと感じる。代わりに相棒の殷雷は武器の宝貝として、人間の姿でも武芸の達人として戦うことが出来る。しかし道具なので成長の余地はない。最初から人格もステータスもほぼ完成されているというのが当時のスタンダードな主人公像であるなら、或いはろくごは、和穂と殷雷にそれらを分担させたかったのだろうか。宝貝は全て、人間に使われたいという道具としての業を背負っていて、様々な人間と宝貝のコンビが、キャラクター小説としての楽しみを補強している。


和穂には目的を果たすための度胸も覚悟もある。だがそれと情を解さないかどうかは別だ。仙人見習いと言っても15歳の素直で優しい女の子で、感情豊かによく泣き、よく笑う。殷雷がそこをサポートしなければいけないのだが、前述した「情にもろい」という欠陥からその点ではあまり当てにならない。主人公コンビと、世界=著者の、「論理」という人間の情動ではどうにもならないものをとことん突き詰める姿勢。この両者の生む軋みも、基本的にドライな「スレイヤーズ」、そして「食前絶後!!」にはない本作の読みどころのひとつだろう。


恐らくきっと、ろくごは「スレイヤーズ」を意識してたわけではない。一方で、作家・ろくごまるが世に出るには神坂一が大きく関わっていたというのは本人が明言していたりするから面白いものだ。またあらいずみ版漫画「スレイヤーズ」には、「封仙」のイラストレーター、ひさいちよしきがアシスタントとして参加していたりする。

橘公司蒼穹のカルマ」「デート・ア・ライブ



時代は大きく飛ぶ。現在の富士見の看板作家、橘公司がデビューしたのは2009年のこと。彼は第20回ファンタジア大賞出身。尊敬する神坂先生がこの回きりで審査員を引退すると聞いたことから同賞に応募するに至ったという、ガチな人だ。「蒼穹のカルマ」の主人公カルマは迫りくるお約束を千切っては投げ千切っては投げ、彼女の目的はただ一つ。愛しい姪の授業参観に出席すること……。本作は巻末の編集部解説でも「伝統的なファンタジアらしい作品」「型破りで、テンポのいいストーリー、そしてあの美少女天才魔道士『リナ』の系譜を受け継ぐ最強ヒロインの物語」という評価を受けている。続く「デート・ア・ライブ」では、人類の災厄である【精霊】を攻略してデレさせる、というぶっ飛んだ物語の中で張られた伏線はキッチリ回収する、堅く構築されたプロットに神坂成分を感じた。文章の癖は、どっちかというと榊一郎寄りだろうか。神坂秋田賀東榊といった往年のファンタジア文庫にリスペクトを捧げる人で、その辺に愛着を持つ人が読んでみると懐かしく感じると思う。


スレイヤーズ25周年あんそろじー』の橘の短編はプロットがどうこう言うものではなく、ただただ、「俺はスレイヤーズのことをこれだけ知ってるぞ、お前らはどうだ?」と挑戦状を叩きつけられてるような小ネタが溢れていて、THEファンフィクションという感じ。しかし、こういうのも確実に「スレイヤーズ」の面白さの一側面だったはずで、何かと世代論でライトノベルをぶった切る人には、こういう人が今の富士見の看板作家なんだよと教えてあげたい。

ラノベ以外では

同じ小説と比較するだけでは、ラノベの時代的評価はなかなか見えてこない。漫画では、「ドラクエ4コマ漫画劇場」はスクエニが1990年から発行している「ドラクエ」シリーズのアンソロジーだ。たくさんの作家が公式の名の下、「ドラクエ」世界を好き放題ネタにした。


大ヒット作はいつだってそれに乗っかる形で新たな才能を世に送り出す。「ドラクエ4コマ」から巣立った新人は数知れない。衛藤ヒロユキもその一人である。「ドラクエ」を自分色のギャグに染め上げたことで評価された結果、オリジナル作品「魔法陣グルグル」は始まった。その来歴から「グルグル」もまたRPGネタを期待され、衛藤の方もそれに応えていく。だがその裏では衛藤の本質であるメルヘン成分が濃度を増していった。シリーズが長く続く内に味わいが変わるというのはよくあるけど、当時はその出発点としてRPGパロが頻繁に採用されていた。



もう一つ、ドラクエ関連で忘れちゃいけないのが三条陸稲田浩司ダイの大冒険」だ。この漫画は「スレイヤーズ」同様、序盤で魔王を一度倒して(撃退して)からが本番となっている。「スレイヤーズ」はその後、魔王相手の決め手となった重破斬(ギガ・スレイブ)に無闇矢鱈と使えないための設定を追加するなどしてパワーゲーム化を防いでいる。「ダイ大」の方は魔王の上に大魔王を据え、敵も味方もどんどんレベルアップしていった。最終盤では主人公の師匠である先代の勇者・アバン先生により、際限のないインフレに疑問が投げかけられるわけだけど……。ほぼ同じ時期に始まったこの二作の、インフレに対する考え方の違いは興味深かった。


次回予告


テレビゲーム、パソゲー、アニメなど比較対象は尽きないけれど、キリがないのでこの辺で。次回の内容は……まだ決まってません! でもあと3回くらいで終わると思いますので、今しばらくお付き合いください。すさんだハートに浄化結界(ホーリィ・ブレス)

*1:FC製同人誌「BLASTER! vol.11」より

*2:入選作品は書籍化されていない

*3:あんまりファンが不幸不幸言うので、「冴木作品は不幸なだけじゃない」とドラマガでキャンペーンが張られたことがある

*4:『あなたに逢いたい』ではキャラクター対談風あとがきを執筆しているのでいつもそんな感じってわけではないらしい

*5:元はスニーカー文庫だけど

*6:逆にそういう風に喩えた時点で、読者側は「ファンタジーとしては減点対象です」と言っているに等しい

*7:スレイヤーズフォーチュンゴクドーオーフェン。私が勝手にそう呼んでるだけ

*8:刊行開始は「オーフェン」が「スレイヤーズ」の4年後と結構開きがある