周回遅れの諸々

90年代育ちのオタクです

榊一郎「ドラゴンズ・ウィル」「棄てプリ」そして「ストジャ」 生粋の「軽小説屋」に覚えた同時代意識

ひとつのジャンルに多少なりとも長く留まっていると、「あ、この作家は自分と同じものを食べて育ってきたんだな」「この人が使ってる言葉は自分と共通のものだな」というのが透けて見えることがある。それが単に流行に乗っかったり懐古の念をくすぐろうとしてるだけで著者本人は対象について特別な感情がなかったり。あるいは単にこちらの勘違いで、実際は読者が影響を受けたもののさらに元ネタから持ってきていたとしても*1、あらゆるフィクションにおいて同世代/同時代意識というのは結構重要だ。


スレイヤーズ」の最初のアニメ(1995)からライトノベルを本格的に読み始めたわたしにとって、1998年デビューの榊一郎はそういう存在だった*2。他ジャンルでは、和月伸宏黒田洋介が自分の中で同じカテゴリに入っている。

デビュー時点で既に完成されていた「ドラゴンズ・ウィル」


ヒット作を多数上梓し、今では既に大ベテランの風格すらある榊氏*3。そのファンタジア長編小説大賞受賞作かつデビュー作の「ドラゴンズ・ウィル」は、英雄叙事詩における騎士とドラゴンという善悪の概念を相対化してみせる、という90年代らしいお話だった。「ドン・キホーテ」以来のポスト・モダン文学の潮流、とか適当なことを言ってもいい。というかあとがきで語られてた没案、電子書籍化されてたのか……!


最初の代表作「スクラップド・プリンセス


初めてアニメ化もされ代表作の一つとなった「スクラップド・プリンセス」は、世界を滅ぼすと予言され、捨てられたお姫様=義理の妹を最強の姉弟が守りながら旅する逃避行を描いた。読者投票で連載する作品を決めるドラゴンマガジンの企画「龍皇杯」の初代グランプリをもぎ取った作品だ。神様とか天使とかなんかよさげな存在がきわめて善良な自分たちを抹殺しようとするという理不尽な状況、転じてこの箱庭世界への不信、新たな世界への脱却……。


書き下ろしと連載が並行してお出しされる、というのも当時のファンタジア文庫の基本戦略の一つではあるけど、書き下ろし→連載→書き下ろし→連載……とお話が交互に積み重なっていくスタイルは、結構大変だったのではないかとは、素人目に思う。視点人物同士が交わることがあんましなかった「エンジェル・ハウリング」と違って主人公同じだし。榊の筆の速さがあってこその成功ではあっただろう。


後にHJ文庫で「模造王女騒動記」というセルフオマージュのような作品を刊行している。


趣味全開? な「ストレイト・ジャケット


スクラップド・プリンセス」における魔法の説明には仮想制御意識(エミュレーション)、意識領域(メモリ)、並列処理などといったIT関係の用語が用いられていたけれど、あくまで設定は設定といった感じで、あまりお話には活かされていなかった。そこのところをよりツッコんでみたのが、「ストレイト・ジャケット」だ。

ばじっ! 発条が解放され、ごとん――と音をたてて人型の物体が床に降り立つ。中世の鎧騎士を思わせるそれは、魔法を使いすぎた人間の“なれの果て”を狩る戦術魔法士たちの姿。鎧の内側に爆発的な脅威を抱える彼らを、人々は恐怖と嫌悪の念を込めて<ストレイト・ジャケット>と呼ぶ。この物語は、己が魔族化する危険を背負いながらも、黙々と魔族を狩り続ける一人の男の闘いの記録である。男の名はレイオット・スタインバーグ。超一流の腕を持つ、一匹狼のストレイト・ジャケットだ。危険を友に、孤独を胸に闘う彼の魂の行き着く先は――。「スクラップド・プリンセス」の榊一郎が放つ、ハードボイルドファンタジーついに登場!!


絶対的な防御力を誇るバリアを持つ正体不明の敵。それを唯一無効化できる人類の切り札。でも使いすぎると暴走しちゃうので拘束具はめときますね。……おおむねバトルに関連する着想はエヴァから来てると言っていい。というか「ドラゴンズ・ウィル」のあとがきで、「本作には、有人型暴走ウルトラマンが、正体不明の生物兵器と闘うアレに酷似ていることから没になったver.が存在する」とか書いてる時点で、もう当時エヴァ厨だったわたしはそういう目線で読むことを避けれられなくなってしまった。あるいはパワードスーツで魔法バトル。あるいはデビルマン。魔法≒科学で濫用すると災害化したり中毒になったりという点ではFFの特に7にも近いか?


実際には、本作のタイトルともなっている拘束衣は押井守ケルベロス・サーガ」に登場するプロテクトギアをイメージしてたらしいけど。なるほど、あのくどくどしい文体は押井作品にちょっと通じるものがある。その割に氏の文章は聞きなれない語彙や凝った言い回し、聞いたことのない知識なんかがほとんど出てこなくてすらすら読める。「固いけど軽い」という印象がある。それは巧さの証明なのか、それとも……?


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あとがきで執筆時のBGM載せたりあまつさえPCのスペック書いたりするのいいですよね……


なんにせよ本作に限らず榊一郎という作家は一つ一つの要素はどっかで見たことがあるものばかりなんだけど、それらを繋ぎ合わせて自分のものにするのがうまい作家だ。ヤシマ作戦よろしく、ATフィールドが攻撃に反応して自動防御するなら反応しきれない位の速度で銃弾を撃ち込んでやればいい、との発想の下行われた超高速ライフルの開発実験をねちっこく描いた巻冒頭は一読の価値がある。他にも魔族は魔法で巨体を支えてるのでアンチマジックをかけてやれば自重で潰れるとか、魔法を一回使ったら薬莢みたいに鎧の螺子が一つ飛んで、最終的に全部外れたら魔族に悪堕ちしちゃうっていう視覚的な演出とか、なかなか楽しかった。妊婦さんをモチーフにしたこのロボもナイスデザインだった。イラストレーターの藤城陽GJ。


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一方、「人間の暗黒面」を追求した作品としてはありがちなキャラの類型感はあった。それなりに心理描写にページ割いてるのに、全然人物への理解が深まった気がしない。初期は榊作品の特徴の一つとして「説教くささ」が挙げられたけど、彼は麻生俊平にはなれないし別になる気もないだろう。


主人公は絶望先生を大真面目に描写したらこうなるんじゃなかろうか、というような。「るろ剣」の雷獣太先生みたいなチンピラがより「深い」闇を抱えた主人公勢に呑まれて改心したりしなかっりするのって「別格」感を出すのにはいいけど……けどなあ……とか、尖閣編で閉鎖社会の陰湿さを受け止めて「だからこそ今、新撰組(おれ)や人斬り(おまえ)が必要なんだよ」と言い切った斎藤さんなんだかんだでかっこよかったんだなとか。人間の描き方については色々しこりが残る。


人間キャラより魔族のほうがかえって愛嬌があり、榊作品としては珍しくちょっと笑えるのはよかった。シリアスもコメディもお色気も、というあんまし器用なタイプだとは思ってなかったので……。の割に色々やってるけど。具体的にはこんな感じのテンション。


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(「バスタード!」19巻より)


ただ、怖くはない。人間にとって理解不能な敵を描くのって限界があるよね、と再確認させられる。それは別に魔族が人間の成れの果てだからというだけではなく。特に小説の場合外見一つとっても既存の動物に喩えでもしなきゃイメージ伝わらないもんな。


それにグロいグロいゆわれるけど、そうでもない。ラノベに限ってみても中村恵里加甲田学人のフェチズム、新井素子の底知れなさ、乙一の人間を血肉の詰まった皮袋にしか見てないところ、浅井ラボのエログロウェーイ感と比べると、ただ状況がグロいだけというか。いちゃもんつけの常套句で申し訳ないけど。


……そういえば本作で出てきた距離の単位「メルトル」って「棺姫のチャイカ」でも採用されてるらしいけど、世界設定が繋がってるるわけでもなさそうだし、榊氏のファンタジーでの共通の単位なのかしら。というか「メルトル」って稀によく聞くけどどこ初出なんだろう。

某氏が「お前の罪を数えろ作家」として呼んだアレ


榊一郎がデビューしてかなり早い時期から「軽小説屋」を名乗っているというのは有名だ。他にも『スレイヤーズ!』を初版で持っているとか、担当編集氏がろくごまるにと同じ人であると知ってサインをねだったとか、こちらの世代的にニヤリとさせられるエピソードは多い。あんまし意味のないルビを振ったり、あとがきを意味不明な書きだしで始めたり。そんな同時代感覚で楽しく読めることもあれば、影響を受けたと思しき作品と比較していまいち……と思うこともあるし、うわあああもうやめてくれえええあの頃の俺を思い出すうううとのたうちまわることある。わたしにとって氏はそんな作家の一人で、「ストジャ」は特にそれを強く実感させられる。しばらく新作を読んでないけど、これからもわたしがラノベ界隈をうろちょろしてれば、いつかまた作品に触れることもあるだろう。


*1:予防線

*2:年齢的にはわたしは榊先生の一回り以上年下なので、同世代ではない

*3:でも打ち切りも割と多いような気がする。すぐに新作を出せるので手の早い作家ほど見切りが早いというのはどこで聞いたんだったか。菊地秀行