周回遅れの諸々

90年代育ちのオタクです

「本好きの下剋上」第一部(書籍版)を読んだ

ビブリオマニアの女子大生が本のない異世界に転生したことで絶望し、自分で本を生み出そうとする。この物語の面白さの一つはもちろん、紙を作るところからスタートする本作りの描写だ。この小説を読んでいると、日頃何気なく手に取っている本が途方も無い技術の結晶であることを実感できる。


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しかしそれだけではない。異世界に転生した主人公マインが最初にしたことは何だったか。紙の原料となる木の選定? 違う。彼女が最初に直面せざるをえなかった問題は、現代日本では考えられない現地の衛生観念の欠如だった。一体、一巻だけでどれだけ「臭い」という言葉が連呼されただろうか。この世界の一般市民は風呂にも滅多に入らない。転生先の家族は悪い人ではないが、これでは端的に言って近寄り難い。だから彼女はシャンプーを発明するなどして、せめて自分の周囲の住環境だけでも整えようとする。それがいつしか莫大な商業的価値を産むことに気づき、手作りの髪飾りやお菓子などにも手を広げることで、彼女の糧となっていく。これもまた第一部の主軸ではある。


物事はなんでもうまくいけばうれしい。楽しい。しかしうまく行き過ぎると作者/読者のジコトーエーでガンボージューソクだと批判される。それを回避するために必要なのは何かというと、読者に「こいつの環境は羨ましくない」と思わせること。そして主人公が成功の結果手に入れた金や地位や名誉や、そんなもの以上に執着がある何かの存在だ。マインは試行錯誤しつつも成功を重ねていく。シャンプーや髪飾りを作成して金銭を得たり、人を喜ばせたりといった行為に対するうれしさがないわけではない。しかしマインはそこに頓着しない。恐る恐る「……私、また何かやっちゃいましたか?」と聞き、改めて自分のしたことの凄さを思い知る程度。あくまで彼女の夢は、本の普及していない異世界で自分のために本を作ることなのだ。


前世でのマインは本以外に興味を示さなかったので、母親が自分の色んな習い事に付き合わせていたという。異世界での「下剋上」にもそれがひと役買っている。一人称による本文の自分語りでは本以外のことなど気にも留めないイメージだが、案外そうでもない。前世では司書としての就職が決まっていたし、本が関わらない範囲ではなかなか人心に敏いし、書類仕事もそれなりにデキる。人間としてはダメダメな、誇張されたビブリアマニアの印象で読んでいると少々ズレてくる。女性のオタクは擬態できる人が多いみたいなことを言われてるが、そんな感じ。というか自分や身近な人のイメージともっと引いて見た時のそれが違っている。信頼できない語り手、というやつだ。


だが、母親に付き合わされた趣味の記憶だけであそこまで色々作れるものだろうか? マインも時々うろ覚えなところは見せるものの、それが致命的なことになるまでは至らない。周囲の人間の協力もあるだろう*1。だがそれ以上に彼女の記憶力が抜群に良いのだと、読んでいて思わさせれる。


転生ものや無人島漂着ものにはつきもののご都合主義、と言ってしまえばそれまでだ。だがこの物語においてはこれは別の意味を持つ。本とは面白い面白くない以前に、長期間記録を残すのに使われる外部記憶装置だ。マインの記憶力が悪ければ、そうした用途としての書籍の必要性が、今以上にフィーチャーされることだろう。しかしそうはならない。マインが本を愛するのは有用だからではない。本という存在そのものに焦がれているのだ。ミステリーが好き恋愛小説が好きはたまた教養新書が好き……といった読書嗜好が明かされないのも、そこがブレないようにするためなのだろう。きっと、多分。


*1:ルッツいいやつ過ぎる……いいやつ過ぎて恋愛では負けるポジション……