森見登美彦『夜行』 京都を抜けるとそこは京都であった
デビューから10年以上が経過した森見登美彦の最新作は『夜行』。『きつねのはなし』にも通じる、じっとりと湿った怪談風味のファンタジーだ。
僕らは誰も彼女のことを忘れられなかった。
私たち六人は、京都で学生時代を過ごした仲間だった。
十年前、鞍馬の火祭りを訪れた私たちの前から、長谷川さんは突然姿を消した。
十年ぶりに鞍馬に集まったのは、おそらく皆、もう一度彼女に会いたかったからだ。
夜が更けるなか、それぞれが旅先で出会った不思議な体験を語り出す。
私たちは全員、岸田道生という画家が描いた「夜行」という絵と出会っていた。
旅の夜の怪談に、青春小説、ファンタジーの要素を織り込んだ最高傑作!
「夜はどこにでも通じているの。世界はつねに夜なのよ」
森見登美彦という作家
森見登美彦は2003年に『太陽の塔』でデビュー。ファンタジーともSFともホラーともつかない、摩訶不思議な妄想世界を次々に生み出してきた。古めかしくもコミカルな文体が特徴のひとつ。舞台は森見が京大在学時に青春を過ごした京都であることが多く、特に『太陽の塔』『四畳半神話大系』『夜は短し歩けよ乙女』『恋文の技術』などひねくれまくった、でもどこか憎めない大学生――私は
狸の兄弟を主人公にした『有頂天家族』は「さよなら絶望先生」の久米田康治をキャラ原案に迎えてアニメ化されたけど*1、それを聞いた時ああなるほど、と納得したとゆえば、漫画読みの人には作風の一端が伝わるだろうか。あんなパロディまみれ世間への皮肉まみれの作品ではないけどね……。
私が一番好きな作品は『ペンギン・ハイウェイ』。歯科医のお姉さんに恋してるマセた男子小学生を主人公にした瑞々しいジュヴナイルSFだった。このように必ずしも京都の大学生ばかりじゃないんだけど、とはいえ、いまだに森見作品=京都という見方は読者の間で根強い。
夜行列車のような人生
『夜行』では、学生時代を京都で過ごした友人たちが10年ぶりに再会する。旧交を温め合ううち、彼らはふとしたきっかけから、旅先で出会った不思議な出来事を順に語りだす。津軽行きの夜行列車の中で、奥飛騨の旅館へ急ぐ車の中で。時も場所も全く違う体験談にはしかし、ある共通点があった。それは、10年前に失踪した黒髪の乙女「長谷川さん」の影と、岸田道男という画家が描いた「夜行」という連作……。
敷かれたレールを進むだけの人生になりたくない、という言い回しがある。
あの夜、僕らは個室の明かりを消して、深夜まで車窓を眺めていた。黒々とした山影や淋しい町の灯が流れ、通りすぎる見知らぬ駅舎の明かりが妻の横顔を青白く照らした。車輪がレールの継ぎ目を越えていく音に耳を澄ましていると、まるで夜の底を走っていくように感じられた。車窓をよぎる夜の町を眺めながら妻は言った。
「夜明けの来る感じがしないね」
その内、進んでいるのか戻っているのか同じところをぐるぐる回ってるだけなのか分からなくなる。同じレールを走っていたはずの列車も、いつの間にか別の路線に枝分かれしている。こちらから見れば向こうが消えたのだけど、でも向こうからは、こちらの方が向こうの視界から消えたように見えている。気になるあの子はいつの間にか他の男とくっついてる。……一部小説の内容と喩えがごちゃまぜになったけど、『夜行』はそんな話ではある。
森見登美彦の10年
作中の10年間は、森見がデビューしてからの現実の10年とリンクしている。作家活動10周年を記念して執筆された、という経緯からもそれは伺える*2。転じて、京都から出発して他の色んなところに行って、 というあらすじを森見の作家活動の遍歴と取るのはそこまで突飛な読み方でもない、と思う。作中の登場人物にとって、京都は学生時代を過ごした思い出の土地に過ぎない。失踪した仲間のこともあって、意識の隅にしこりとなっていつまでも残っているけど、それも積極的に忘れようとしている。
では、今の森見にとっては、京都というのはどういう存在なんだろう。ライフワークの題材? いい加減作家としてその重力の軛から逃れたい悩みのタネ? おぜぜの元? 本当のところはもちろん本人にしか分からない。けれど、日本全国どこに行っても黒髪の乙女と彼女が消えた鞍馬の影がつきまとうこの小説を読んで、自分の創作の根っこにあるものとして氏があの街を改めて見つめ直したような、そんな気がした。
それは諦観なのか、開き直りなのか、決意表明なのか。いずれにせよそう考えると、