周回遅れの諸々

90年代育ちのオタクです

時雨沢恵一「キノの旅」 星新一のSSとの違い、積み重ねられるキャラクター

漫画やアニメなど、過去にハマってたものを挙げてくと年齢がバレるという。でも、売れた作品っていうのは、自分たちのものだと思い込んでても、案外下の世代も読んでたりするものだ。多少ブームが過ぎても、それまでに築き上げた知名度が慣性となって、新規のファンを開拓してくれる。

2000年時点の「キノ」とその影響


時雨沢恵一の「キノの旅」は、ラノベの中でも特に長く読み継がれてるシリーズのひとつだろう。2000年に第1巻が刊行されて以来、継続的に巻数を重ね、最新刊は21巻となる。タイトルは宮崎駿の「シュナの旅」を意識していたとか。



主人公のキノは、モトラド=喋る二輪車エルメスに乗って旅をする。目的地はない。「世界は美しくなんかない。そしてそれ故に美しい」そんな風景を探し求める旅だ。一つの国に滞在するのは最大三日間。どんな国に行っても「旅人さん」として、傍観者としての立場を崩さないまま三日間を過ごし、国を出る。


「彼らが出会う人々は少し哀しくて、とても愛おしい。」*1キノが訪れる国は、どれも実在する人たちのイデオロギー主義主張文化風俗を戯画化したものだ。マスコミとか、表現規制問題とか、某国とか、こういった現実を風刺する内容は、ある意味では古式ゆかしいファンタジーとゆえるかもだけど、当時の業界では珍しく、新鮮なものとして映った。


以降、連作短編形式*2ちょっといい話・寓話は、ひとつのジャンルとして定着していくことになる。ハセガワケイスケしにがみのバラッド。」や益子二郎「ポストガール」、七月隆文「Astral」、雨宮諒シュプルのおはなし」、ちょっと遅れて芦屋直人「旅に出よう、滅びゆく世界の果てまで。」など、特に版元である電撃文庫ではこの手の作品が目立った。

星新一のSSにはないキャラクター性の確立


本作の寓話的な作りから、作者の時雨沢恵一ラノベ界の星新一なんてゆわれることもある*3。しかし、両者の間で決定的に異なる点がある。それは、キャラクター性だ。



星新一ショートショートには具体的な人名・地名が出てこない。登場人物を指し示す記号として使われる「エヌ氏」「エフ氏」はあくまで記号であって、作品を跨げば同じ人物であることを保証しない。それが時代を跨いで読み継がれる普遍性を生んでいる、と評される。


キノが旅先で出会う人々にも名前はなく、匿名性が担保されている。黒星紅白*4の影絵めいたいモノトーンの挿絵もそれっぽい。主人公のキノ自身、最初はどこにも所属しない、性別すら分からないキャラクターだった。


それが、先代キノであった男キノや、女の子キノの誕生の秘密、旅先で出会った青年シズ、一人旅の危険を払いのけられるように彼女を訓練した「師匠」の存在などが明らかになるにつれ、今の私たちが知っている「キノ」でしかなくなっていく。何度でも繰り返される、いつものキノとエルメスの掛け合い、いつものパースエイダーの訓練、いつものモトラドを解説する文章*5……。これらが、一人と一台のパーソナリティーを下支えする。表紙イラストのキノも、どんどん女の子っぽい身体つきで描かれるようになった。自分の住む国を訪れたキノさんといかにしてスケベするか妄想する系インターネット男子は多い。他方では、キノ以外の、シズや師匠といった準レギュラーを視点人物とする短編も描かれるようになり*6、「ああ、シリーズ化するってこういうことなんだな」と思った。1巻から掲げていた「新感覚ノベル」というアオリをやめたのは、8巻からだった。


最終的に私の中で完成された「キノの旅」像とは。年端もいかない*7女の子だけど、銃の腕前は抜群で、ピンチに陥っても飄々と切り抜ける*8最強キャラが、あくまで一歩引いた立場から、世界のあり方に懐疑的な眼差しを送る。そういったもので、非常に厨二マインドを刺激するライトノベルとして認識している。

学園キノ」で読むのをやめる

キャラクターが確立しているからと言って「キノ」に込められた寓意が失われるとは思わない。普遍性は多少薄れたかもしれないけど、エンタメとして成立させてる点に比べれば些細なことだろう。私自身、そういう傾向を感じ取ってからも、しばらく続刊を楽しんだ。最初のアニメも黒星紅白のキャラクターが全く再現されていなかったことを除けば悪くなかったし、作者の新作「アリソン」も正統派ジュヴナイルって感じで面白かった。



「あ、これあかんやつだ」ということがはっきりしたのは学園キノだった。キノたちが中学だか高校に通っているという設定のこのセルフパロディ小説は、キャラクターで面白がらせるやつの極みである。時雨沢恵一はファン心理をよく分かってて小ネタによるオタク転がしがうまく*9、あとがきに色んな仕掛けを施す面白い作家として有名だ。「学園キノ」もそうした悪ふざけの延長線上にある。



……でも、これが、体調を崩すほどにつまらなかった。20年ラノベを読んできた中でワーストを挙げろと言われたら、間違いなく候補に上がる。「スレイヤーズ」や「オーフェン」で本編のキャラを積極的に壊していく外伝には慣れてると思ってたんだけど、そんなことはなかったようだ。小ネタが面白いからと言って、全編ギャグの小説を真正面から書いて読者を笑わせられるかというと、それはまた別の話だった……。


けれど私の感想とは裏腹に、この公式学パロ小説はシリーズ化されて、5冊も出版された。


学園キノ」はおふざけであって、本編とは何の繋がりもない、と言ってしまえばそれまでだ。でも私の中では本編すらもう以前のような目で読むことはできなかった。キャラ推しの行き着く先がここかあ、と思った。最後に買ったのは12巻とかその辺りだったかな。それからしばらく経ってふと手にとった新刊を読んで「よかった、時間を置いて読んでみると、本編は今もちゃんと面白い」って思った記憶があるけど、どの巻だったかは覚えてない。


……さすがに以前ほどの勢いはなくなったものの、このシリーズは今も電撃文庫の屋台骨を支え続けてる。学校や自治体の図書館ではしばしば「為になるし例外的に図書館に置いてもいいラノベ」として名誉児童文学的なカテゴリに入ってると聞く。昨年には二度目のTVアニメ化もされた。最終回だけは先に書いて既に担当編集に渡してあるそうだけど、またこれからも巻数を重ねていくのだろう。



私が読んでいない間にも「キノ」におけるキャラクターのあり方は変わり続けていると思う。新規読者が21冊を一気に読むようなことがあったとして、その辺りをどう捉えるかはちょっと気になる。

*1:このリード文は各巻で微妙に違う。http://cinematografo.toypark.in/kino/

*2:ファンタジア文庫が得意とする「スレイヤーズsp」「オーフェン無謀編」のような本編に対する外伝としての連作短編ではなく、最初からそういうものとして生まれた

*3:ただし本人が意識したのは松本零士銀河鉄道999だという

*4:黒星紅白は「キノ」の半年くらい前に、ドラゴンマガジン誌上で「がらくた星の物語」という童話めいて「キノ」にちょっと雰囲気が似た小説の挿絵を担当している。ただしこちらはより幻想味が強い。作者は「ザ・サード」の星野亮

*5:これは、旅なんていっても毎日目新しいことばかりじゃなくて基本的には同じことの繰り返しだよっていう意味もあるだろう

*6:キノと一緒に旅をすることはない

*7:胸もない

*8:駄目ならさっさと逃げ出す

*9:褒め言葉