「ひだまりスケッチ」 萌え4コマ的日常の中で描かれる成長
「ひだまりスケッチ」第10巻を読んだ。実に4年ぶりの新巻だ。その間に私の読書環境は紙の書籍から電子版中心に変わり、今巻もkindleで購入した。時の流れって本当あっという間ですね。漫画の中では、ゆのっちと宮ちゃんは3年秋の文化祭を終え、いよいよ美大受験が近づいてきている。
- 「ひだまり」を簡単におさらい
- 一風変わった「美術科」に進学した普通の女の子
- やまぶきでの数々の出会いと成長
- 萌え4コマ的成長論
- 15年かけてたどり着いた先
「ひだまり」を簡単におさらい
この漫画は「まんがタイムきららキャラット」で2004年から始まった。作者は蒼樹うめ。当時のインターネットでは、エロゲーメーカー「ねこねこソフト」公式サイトの4コマ漫画「諸葛瑾」の担当として認知されていたように思う。「ひだまり」は2007年には新房昭之・シャフトによってTVアニメ化。後に続く「きららアニメ」の礎ともなった。この作品の縁がなければ「魔法少女まどか☆マギカ」も生まれなかっただろう。
- 発売日: 2012/07/25
- メディア: Blu-ray
ストーリーは、主人公ゆのっちの高校入学から始まる。彼女が選んだのは「美術科」のある「やまぶき高校」。親元から離れて一人暮らしを始めたのは「ひだまり荘」というアパートだった。美術科の中でも変わり者が集うという噂のここで、親友の宮ちゃんや先輩の紗英さんヒロさんと出会う。
……「変わり者が集う」とは漫画内のキャッチコピー(?)だけど、実のところ漫画キャラとしてはそこまでぶっ飛んではいない。変わり者成分の7割くらいをコスプレ好きの吉野屋先生が担ってるんじゃなかろうか*1。高校の美術科という変わったところに通う子たちはどんな生活を送っているのか。森見登美彦が京大をオモチロおかしく描いたような、そんな読み味を期待するとパンチが足りなく感じるかも。
一風変わった「美術科」に進学した普通の女の子
ゆのっちは、中でも普通の子として描かれている。小学生に間違えられるくらいちっこいのが特徴だけど、それ以外はきわめて普通の女の子だ*2。絵の才能も、やまぶきではそこまで飛び抜けてはいない。
人とは少し違う進路を選びながら、ゆのっちにはこれといって志望動機がない。「明かされていない」が正解か。やまぶきは昔から憧れだったと言っているし、授業態度からも向上心があることは伺える。ただその核となる部分が見えない。
多分、この漫画は芸術で何かを成し遂げたり失ったりする物語として始まったのではないのだろう。「美術科」もあくまで日常を彩るスパイスの一つに過ぎない。序盤はそんな印象を受ける。
……それがシリーズを読み進める内、ゆっくり、ゆっくりと印象が変わっていく。
「推し武道」経由でリアル地下アイドルの現場に行くようになって感じたこと
漫画「推しが武道館いってくれたら死ぬ」で地下アイドルの世界に触れてから一年半*1。ご縁に恵まれて、リアル地下アイドルのライブにもぼちぼち足を運ぶようになった……のにコロナの影響で現場がガンガン潰れてつらい。
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さておき、実際に行ってみると地下現場は「推し武道」で描かれたものとは違うところもあった。原作者は「現場によって特典会のやり方やルールが違うのがおもしろい」とコメントしている。多分これが真理で、「地下アイドル現場はこういうもの」という正解はない。連載開始が五年前だからその間に変わったこともあるだろうし。でも、あの漫画で描かれる界隈と自分の見てる界隈がどう違うのか、それによってあの漫画がどんな面白さを獲得してるのかを知るために、ここで一度情報を整理してみたい。
なお筆者はアニメ・声優系の現場をほんのちょっとだけかじってから地下現場に来ました。だから、メジャー現場はほぼ未経験です。というか地上と地下の違いもまだいまいち分かってないけど。足を運んでるのは東京の諸現場です。
- CDを積む
- 特典会のレギュレーションが渋い
- ハコがめちゃデカい
- ペンラの有無
- 前列後列
- 対バン・フェス
- グループ単位で応援する箱推しのオタクがいない
- あとは
*1:厳密には「推し武道」だけじゃなくて色々後押しはあった
安心の桜井弘明アニメ 「デ・ジ・キャラット」から「ミュークルドリーミー」へ
2020年春アニメで期待してるものといえば? はい、テレ東ニチアサの「ミュークルドリーミー」ですね。
「おねがいマイメロディ」(2005-)、「ジュエルペット」(2009-)、「リルリルフェアリル」(2016-)……。女児アニメのオルタナティブな可能性を追求してきた、伝統の「サンリオアニメ」枠が帰って来た! これはとてもうれしい。
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- ぬいぐるみみたいなマスコット、ではなく喋るぬいぐるみのみゅーちゃん
- 桜井アニメは楽しくてかしましくて悪い人が出てこなくて美味しい
- 圧倒的なテンポの中に埋もれる声優たち
- これまでも、これからも桜井弘明は変わらないか
「推し武道」ChamJamその他の百合事情
「推しが武道館いってくれたら死ぬ」はアイドル漫画で、かつ百合漫画だ。この二つの要素が食い合うでもなく、むしろうまいこと絡み合っていい感じになっている。
- 武道館に行ってほしいファンと繋がりたいアイドル 舞菜とえりぴよ
- ガチ恋勢を釣る自分もまたガチ恋勢でした 空音とれお
- お互いがお互いのファン 眞妃とゆめ莉
- 百合営業がガチ百合に 佳那とりょーちゃん
- 推す側と推される側ではない関係 あーやとえりぴよ
- あーや総受け説 あーやと、れおと空音と優佳
- 武道館が決まったセンターと不人気メン メイちゃんとれお
武道館に行ってほしいファンと繋がりたいアイドル 舞菜とえりぴよ
ちゃむのサーモンピンク担当:舞菜とえりぴよはアイドルとその熱心なファンという関係だ。
塩対応にもくじけない、えりぴよから舞菜への愛が一方的に重いように見えて、舞菜側もえりが風邪を引いた時に「えりぴよさんの病原菌ならもらってもいいんだけど……」と考えるなど、なかなかぶっ飛んだ想いを抱いている。
えりぴよがあくまでファンとして舞菜と向き合おうとしているのに対して、舞菜はえりぴよとアイドルとファン以上の関係になりたいとひそかに考えてる。ただでさえ舞菜はえりの前ではうまく話せないところにこれなので、二人の感情はすれ違うばかり。そこにエモさと笑いが生まれる。
原作第一話では舞菜は「可愛い女の子に囲まれてハーレム気分満喫したいからアイドルやってる」という設定だったけど、その後全く出てこないしアニメでも削られたところを見るとなかったことになったようだ。
「魔術士オーフェンはぐれ旅」第四部 世界は何度でも上書きされる
※以下の文章は当サークルの同人誌『秋田禎信1992-2018』に書いたものです。
「プルートー教師の凄いのは、アタシも知ってるんです。《塔》の教師はみーんな先生のことハブにしてるくせに、本音じゃあ怖がってるんですよ。うちの両親なんかもそう」
「あの世代の魔術士にとって、彼は悪夢のようなものなのさ。仕方ないよ」
「ンー、じゃあ校長先生にとっても?」
「もちろん。でも悪夢ってのがどんなものかというと……そうだな。チャイルドマン・パウダーフィールド教師という人物を知ってるか?」
「? 誰ですかー、それ」
「そう。こんなもんだ」
TOブックスから刊行されている、「オーフェン」のいわゆる「新シリーズ」は全部で一〇冊。
- 『キエサルヒマの終端』は旧シリーズ第二部のエピローグ
- 『約束の地で』はそれから約二十年後、舞台を「原大陸」に移した第四部の序章
- 以下『原大陸開戦』『解放者の戦場』『魔術学校攻防』『鋏の託宣』『女神未来 上下』が第四部本編で、その後の『魔王編』『手下編』は本編を補う短編集
となっている。「第三部」は空白の二十年間を描くものだが、構想のみが存在し、形になっていない。……
「オーフェン」は最初からシリーズ化を意図して書き始められた物語ではない。『我が呼び声に応えよ獣』第一稿を担当編集者に渡した時、初めて「【次】があるかもしれないから準備しといてね」と言われたという。それを知っていて読むと、「獣」のエピローグは続編への伏線として、後から付け足されたようにも思える。第二部が始まったばかりの頃のインタビューでは、「続けられる限り続けたい」と今の秋田からは絶対に出ない*1発言が飛び出している。少なくとも「終わる」ことだけは最初から決まっていた他の作品とはそこが違う。
「オーフェン」世界はボルヘスの「幻獣辞典」や北欧神話などからモチーフを拝借しつつ、独自の設定でもって構築されている。
- 作者:ホルヘ・ルイス・ボルヘス
- 発売日: 2018/04/20
- メディア: Kindle版
神々の行使する万能たる魔法と、彼らからドラゴン種族が盗み自分たちでも使えるようにした、不完全な魔術。ドラゴン種族が魔術を使うのではなく、魔術を操る者こそがドラゴン種族なのだという定義の反転。ドラゴン種族との混血によってもたらされた人間の魔術は、声が届く範囲のみに効力を発揮する。音声を媒介としているが、発する言葉に意味はなく、呪文はなんでもいい……。ドラゴンとか魔法とかいったもののパブリックイメージを少しだけ裏切る設定群は、多くの読者を魅了した。
だが、それらのほとんどは、『獣』の時点では存在しなかった。第二巻の『機械』で初めて、我々が知る、キエサルヒマ大陸の教科書に載っているような歴史や神話は整備され……そして、その巻でいきなりドラゴン種族と人間の確執、歴史的経緯については覆される。「誰もが誰かを裏切っている」。このシリーズを言い表す言葉だ。事実はいつも積み重なった嘘の下に埋まっている。この世界の歴史や世界の成り立ちについて、私たちの認識は何度も更新を余儀なくされる。
第一部完結編では、この作品における神々は、元々は全知全能にして零知零能、世界の運行を司る物理法則そのものだったのが、ドラゴン種族によって擬人化させられたただのバケモノであることが明かされる。神々は自分たちを【現出】させたドラゴン種族を許さず、今もこの大陸に襲来しようとしている。第二部終盤では、彼らを防ぐため大陸に張られた【キエサルヒマ結界】を巡る、大昔からの暗闘に決着が着く。
*1:と思っていたら今回のアニメ化で「終わらせようとしても終わらせられない」といった趣旨の発言が