周回遅れの諸々

90年代育ちのオタクです

「放課後のプレアデス」 桑島法子が高森奈津美に幸せにされちゃう運命線

放課後のプレアデス」というTVアニメは、女子中学生のごく日常的な悩みの解決とキャッキャウフフとガール・ミーツ・ボーイとハードSFを合体させたジュヴナイル作品だ。同じガイナックス制作作品では、「トップをねらえ2!」が一番近いだろうか。あるいは叙情性という意味では「プリンセスチュチュ」? 佐伯昭志監督が脚本・絵コンテを担当した「ストライクウィッチーズ」第6話「いっしょだよ」、同2期「空より高く」といったエイラーニャ回の匂いを感じる人もいる。あと自分的には佐伯監督は「フリクリ」のニナモリ回の人。

星が大好きな中学生、すばるはある日の放課後、宇宙からやって来たプレアデス星人と遭遇した。
地球の惑星軌道上で遭難した宇宙移民船を直すため、プレアデス星人は地球人の中からエンジンのカケラをあつめる協力者を召還したという。
ところが集まったのは1人のはずが何故か5人!
「魔法使い」に任命された5人の少女たちはそれぞれ何かが足りていなくて、力を合わせようにもいつもちぐはぐで失敗ばかり。おまけに謎の少年まで現れて、こんなことでエンジンのカケラを回収して宇宙船を直すことはできるのか??


かわいそうな宇宙人を助けようと、未熟さゆえの無限の可能性の力を武器に、
友情を培いつつ、カケラあつめに飛びまわるすばるたち5人。
宇宙と時を翔る、希望の物語。


「会長」と呼ばれるプレアデス星人が、それぞれ別の運命線(≒平行世界)から呼び寄せた5人の女の子+αが主人公。彼女たちはカケラ集めのため、魔女のほうきを模したドライブシャフト*1に乗って学校を飛び出し、深海から成層圏、月、土星と飛び回り、最終的には銀河の果てまでたどり着く。すばるたちを遠くへと導くその技術はきわめて科学的でありながら、映像はとてもメルヘンなものに仕上がっている。海だったから水着、で、カケラが飛んでったのでそれを追いかけて宇宙に飛び出す第3話「5人のシンデレラ」に始まり、ファンタジーで且つえっちな見どころも。この話数に関する監督の「最初の宇宙だからやっぱり肌で直接感じてほしかった」というのもなかなかぶっとんでる。


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私が好きなのは第2話「星めぐりの歌」冒頭の、まだ部室がない中、教室のカーテンの中とか廊下とか階段の踊り場とかで宇宙規模の話しているところ。地球を出ても銀河系を脱出しても、彼女たちはエピソードの最後には学校に帰ってくる。冒険は、あくまで放課後だけ。意図的なストーリーの反復の中で、でも、回を重ねる毎に遠くへ、より遠くへと飛んでいく。そのリズムに乗って、視聴者は次回への期待をますます高めていく。


すばるたちはいずれも聡い少女だ。とはいえそれとは別に彼女たちの抱く悩みは13歳(中1)だからこそのもので、ストーリーも同様。これが14歳になるとなかなかこうも綺麗な話に収まっただろうかむつかしかったんじゃないかと思うのは、これもおおむねガイナというかエヴァが撒いた種なんだけど。


さて。すばるたちのカケラ集めを事あるごとに邪魔してくるのが「角マント」。その姿は、すばるが不思議な温室で会う「みなと」というミステリアスな少年と酷似していて、彼の正体というのがこのアニメの一つの鍵となってくる。このみなとくん(角マント)を演じているのが桑島法子。6人のレギュラーの中では一番のベテランだ。


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桑島法子が演じるキャラはよく死ぬ、と言われ始めたのは「機動戦士ガンダムSEED」とその続編「SEED DESTINY」から。これ自体は、まあ長く声優やってればそういうこともあるかもね、という都市伝説以上の何物でもない。ただ彼女の内にこもった声の、ある種の「重さ」がそのような連想をさせてしまうというのはある気がする。デビュー間もない「スレイヤーズTRY」の頃から、彼女の声の有する悲劇性は、当時の林原めぐみを喰いかねないほどのものがあった。



天真爛漫に見えてもどこか陰があって、だから明るいトーンの作品よりシリアスな作品のほうが基本映える、気がする。デビューから00年代前半までは、エヴァの影響とかリアルな世相の反映とか理由はなんでもいいけど根暗なアニメが特にいっぱい作られてた時期で、桑島法子の最盛期*2のキャリアはそうしたフィルムに彩られている。もう少し後の作品だけど、「怪~ayakashi~」「モノノ怪」や「シグルイ」などの時代物は、湿度の高い彼女の重さが特によくそぐうアニメだった。重さは転じて強さにもなりうるので、決して彼女の演じるそうしたキャラが幸せになれないということはない。でも、誰かに幸せにしてもらう、というのを拒むようなかたくなさはあったし、誰かを幸せにするのも力ずくで一緒に沼に引きずり込んでいく感じで、例えばあの手この手で優しく誘惑してくる能登麻美子とは対極だった。


みなとくん(角マント)もまた、生まれついての悲劇性を背負わされたキャラクターだ。最初はむしろ、いつになくコメディータッチな役柄だな、と思っていた。演技はシリアスな作品に参加してる時とそこまで変わったようには感じない。役を作り込みすぎるくらい作り込んでしまう、いつもの桑島法子だ。その姿勢と、「ヤッターマン」のドロンボー一味みたいな笑いを取るやられ役という、雑な扱いのギャップが逆に面白い。近年の桑島法子とゆえば「いなり、こんこん、恋いろは」が乙女ゲー大好きなオタクの神様という役を実に可愛く演じきっていて、「俺、うか様で桑島キャラの可愛さが分かった!」と思ったんだけど、「プレアデス」もまた新鮮やなあと感じた。



でも、後半どんどん彼の抱える絶望が詳らかにされていく。まかり間違ったら石田彰が似合いそうな「みなとくん」は、絶望に対して諦観している。「角マント」は予め定められた*3運命線から逃げ出そうとあがいている。根っこの部分は同じ彼らの悲劇は、THE桑島キャラという感はあった。


みなとくんが死ななかったのは、この物語にすばる=高森奈津美がいたからだ。初主演作の「ジュエルペットてぃんくる☆」から、高森のビブラートをきかせた泣き演技は、たくさんの視聴者を虜にしてきた。



……と聞くと、華奢で守ってあげたい感じの役を想像するだろうか? ところがどっこい、彼女が演じてきたのは、気弱ではあっても、溢れんばかりの善性でこちらを殴ってくるようなキャラクターたちだ。名塚佳織矢島晶子島本須美といった「お姫様」「女王様」が似合うような格の高さが生む強さは高森にはない。ただただ、自分勝手さと隣り合わせの善良さ――しばしばそれは恋愛感情と同一の――だけで観る人を圧倒する。現在放映中の「ブレイブウィッチーズ」もそうだけど、なんというか、「いい子」であることをとことん極めたような声というか。本作でも、「わたしがみなとくんと一緒にいたい、みなとくんを幸せにする! 絶対する! 今する!」と唱えて襲い掛かってくる。やはり肉食系。みなとくん=桑島法子は幸せになるべし。慈悲はない。


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TVシリーズ終了直後に新宿シネマートで開催された、オールナイト一挙上映会の舞台挨拶にて。声優陣が「プレアデスは幸せに終わらなきゃいけないんです!」と抗議した結果、少しだけみなとくんの顛末が変わった、というエピソードが披露されたことがある*4。これ自体はメタな逸話なんだけど、私達が視聴しているアニメ本編でも、この声優のこの演技だったからこそこういう展開になった、と錯覚することがままある。TVアニメーション放課後のプレアデス」という運命線において、桑島法子演じるみなとは、高森奈津美演じるすばるという善性の塊でなければ救われなかった。他の声優の気高さとか優しさは、みなとの絶望が反発してはねかえされていたんじゃないか。本作は、そんな声優的必然性とでも言うべきものが確かにあるかもしれないと観る者に思わせるアニメだった。



桑島法子は、私がアニオタとしてアニメを観始めた頃にちょうどデビューして、もう20年にもなる。今になって、彼女を、もとい彼女の演じたキャラを幸せにしてくれて、高森奈津美にはどれだけありがとうを繰り返しても足りない。

*1:逆?

*2:仕事量的な意味で

*3:と彼は思い込んでいる

*4:細部はうろおぼえ