周回遅れの諸々

90年代育ちのオタクです

ラブコメ漫画の二極化 恋のシーソーゲームとヒロインレースの競技性


f:id:megyumi:20190922170524j:image

 

男性向けラブコメ漫画の楽しみ方って、ここ数年で二極化してると思うんですよね。自分の中で。

 

一対一のレクリエーションラブコメ

 

一つは「からかい上手の高木さん」や「僕の心のヤバいやつ」「かぐや様は告らせたい(初期」「保安官エヴァンスの嘘」など、付き合ってない男女が、日常に溢れるちょっとした遊びやらなんやらの中で恋のシーソーゲームを繰り広げるやつ。主導権をどっちが握ってるのか、両想いなのかなどは作品にもよる。勝ち負けはさして重要ではない。レクリエーションラブコメ、シチュエーションラブコメとでも言おうか。これにSF (すこしふしぎ)要素を足すと「上野さんは不器用」になる。なるか? なるんだよ。

 

上野さんは不器用 1 (ヤングアニマルコミックス)

上野さんは不器用 1 (ヤングアニマルコミックス)

 

 

登場人物が増えても、メインの男女cpが対称関係であることは変わらず。二人の間に余人が入り込む余地はない。それは読者も同じだ。私達は延々続く遊びと書いてイチャイチャと読むやつを見せつけられ、最終的には砂糖の柱になって死ぬ。

 

私がこの手の作品を最初に意識したのは、入間人間ラノベ多摩湖さんと黄鶏くん」だった。これが2010年なんで、もう随分長いブームだなと感じてる。

 

多摩湖さんと黄鶏くん (電撃文庫)

多摩湖さんと黄鶏くん (電撃文庫)

 

 

女の子たちが主人公をめぐって切磋琢磨するヒロインレース

 

そしてもう一つは、ルール無用のヒロインレースを楽しむハーレムラブコメ。「ぼくたちは勉強ができない」の中盤くらいまでは、一、二週替わりで各ヒロインの渾身のエピソードが続く。読者はどのヒロインにベットするかで毎週掌を返してると言われるくらい、予測不能のヒロインレースだった。

 

 

今は人気投票で桐須先生がぶっちぎりだったこともあり誰が一着か分からない混線模様からは抜け出してる(と思う)けど、途中参戦の教師ヒロインが勝てるのか? といった懸念も根強く、状況はまだまだ予断を許さない。私の一推しは妹の水希ちゃんです。

 

五等分の花嫁」は、五人のヒロインの内誰かとは結婚する未来が、プロローグで既に提示されている。読者はゴールとその時々の展開を結びつける筋道を想像することで誰とくっつくか予想し、見守る。ヒロインは見た目そっくりの五つ子で、しばしば他の姉妹に入れ替わりキスしてくるなどといったミステリー要素が魅力ともなっている。

 

五等分の花嫁(1) (週刊少年マガジンコミックス)

五等分の花嫁(1) (週刊少年マガジンコミックス)

 

 

ハームラブコメというと、冴えない男が美少女に囲まれウハウハというイメージがいまだ支配的だ。受け手もまた非モテ男性ばかりで、自分に近しい主人公に感情移入して楽しむ。そんな風に揶揄される。でも、こういった読み方はどこまで一般的なんだろうか。

 

「ぼく勉」や「五等分」における恋愛は一種の競技のようなもので、ハーレムの主であるはずの男主人公は、勝利者のトロフィーとして存在する。読者は自分の推しが勝てるよう応援する、あえて敗北者を愛でる、あるいはヒロインレースの行く末を予想して楽しむ……周囲ではこういった読みが多数派であるように感じる。

 

では男主人公に魅力がないか? 逆だ。ヒロインたちが凌を削ることに読者が納得できるだけの何かを、彼らは持っていなければならない。

 

上に挙げた作品を読むと、努力して得た勉学の能力というのは一つのトレンドのようだ。この手のラブコメの読者はどっちかというと勉強はできるとゆわれて育った人の方が多いんじゃないか、「できる」のレベルは人によるが、少なくとも運動も勉強もダメだけどひたすらに優しいみたいな主人公像よりは共感しやすいんじゃないか。昔からそう思ってたので、この傾向は納得できるところだ。

 

その上で、彼らは私たちに欠けている何らかの人間的魅力を発揮する。こいつらヒロインにこの主人公はもったいないと言われるほどに。

 

この手の作品では、序盤でまず主人公がヒロインたちを惚れさせる。この時点では男側に恋愛感情はない。ヒロインたちが主人公に魅入られてようやく、彼女たちが我先に主人公を攻略しようとするレースが開幕する。

 

ヒロインレースにルールは無用。しかし長年続いてきたジャンルなので、それらしいジンクスは存在する。たとえば、

 

  • 最初から好感度が高い幼馴染はドラマが作りにくいので勝てない
  • 主人公の何気ない一言でわーきゃー騒いで赤くなったりする燃費のよさは、それだけで満足してしまうことに繋がり恋愛成就のモチベーション維持に良くない
  • 中盤で一度くっついてしまうと最後の直線で力を使い果たして追い抜かれる
  • お色気担当はそれだけで不利

 

など。これらは敗北者ムーヴとも呼ばれる。真偽は不明だしジンクスを知ってて裏をかく漫画もある。「五等分」なんかは特にそうした傾向が強い。しかし、とにかく読者側はジンクスを前提に予想を立て、推しの状況に一喜一憂し、他推しのオタクを野次ったり野次られたりする。

 

ハーレムラブコメをヒロインレースとして読むという楽しみは、昔からある。「魔法先生ネギま!」(「五等分」の作者春場ねぎはこの作品が大好きで、PNもこのネギから取られている)ではキャラクター人気投票の結果を出番に反映すると明言してて、こうした楽しみを公式がダイレクトに採り入れた形となった。

 

 

私はというと、昔からこういった楽しみ方には今ひとつピンと来てなかった。綾波とアスカで言えば間違いなく綾波派だったけど、どっちがシンちゃんとくっつくかのがお似合いなのかとか、派閥争いみたいなのは別にどうでもよかったと思う。

 

考え方が変わったのは「ウマ娘」に出会ってから。このアニメは競走馬を美少女擬人化したレースもので、ラブコメとかでは全くない。しかし、女の子たちが駆けっこで相手より一秒でも早くゴールしようとする姿を見て、ああ、これってまさにヒロイン「レース」そのものだなあ女の子たちが男というトロフィー目指して競い合いクソデカ感情をぶつけ合うという意味ではラブコメもスポ根みたいな目線でも楽しめるなって気づいたのだった。

 

 

例えば麻雀。例えばアイドル活動。例えば野球。AKBブームが一つの契機ではあっただろうか。たくさんの女の子が何らかの競技性の元に切磋琢磨する作品群は、現代では一大ジャンルと化している(彼女たちの関係性に百合を見出す人もいる。キャプテン翼が801のお姉さんたちに愛されたことを思えば随分遅かったかもしれない)。ハーレムラブコメも、一部読者にとってはそういうジャンルとして楽しむもの。中心に男がいるかどうかもさして重要ではないのだ

 

まとまらない

 

ひとつがいの男女の遊びに擬した恋の駆け引きを見守るレクリエーションラブコメ型。ハーレムラブコメに読者が勝手に競技性を見い出すヒロインレース型。

 

この二つはラブコメの両極でありつつも、読者が自分を完全に作品の外に置いてるという共通点もある。これが主人公を自分の分身として読むやつ楽しみ方より上等かっていうと、まあ他人の恋路にアレコレ言ってる時点でかえって下品というか俗っぽいという誹りは免れないと思うのだけど、こういう切り口のラブコメ語りもあるよねということで。

 

書き残したかもしれないこと

 

あとは近年のラブコメについてだと、一般人がオタクを名乗るようになったっていうけどそれが本当ならフィクションの中で描かれる恋愛になんか影響はあるのかとか、エロゲギャルゲなどの基本的に主人公視点で読むラブコメと漫画やアニメでは違うよなとか、青春群像劇っぽいやつも人気あるなとか、「かぐや様」は会長とかぐや様がレクリエーションラブコメやってる横で石上は誰とくっつくか分からないハーレムラブコメっぽいことやってる二面作戦が面白いなあとか、そんなことを考えつつ、言いたいことは言ったので終わりです。