周回遅れの諸々

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ヤマト世代の四十代の十年間 那須正幹「ズッコケ中年三人組」シリーズ完結

「ズッコケ中年三人組」は、那須正幹による人気児童文学シリーズ「ズッコケ三人組」の続編だ。約25年、全50巻に渡って書き継がれてきた旧シリーズが完結した翌2005年に刊行開始。年1冊ペースで執筆され、2015年、11冊目の『ズッコケ熟年三人組』で改めて完結した。


子供・若者を主役に据えていたシリーズの新作というと、次世代の新しい主役を登場させて旧主人公は大人として見守る側に、というパターンも多い。宗田理の「ぼくら」シリーズなどがこれに当たる。だが、本作の主役は紛れもなく中年になった3人である。あの手の次世代編だと、世代間のギャップや、大人と子供の対立なんかがよく取り上げられるけど、「ズッコケ」は大人とか子供とか以前に一人の登場人物であるというような印象が強かったので、いまいち三人組が「旧三人組」として「新三人組」に人生訓を垂れたりする姿が想像できないというのは、まあ、あったかもしれない。旧シリーズの『うわさのズッコケ株式会社』などを読んでも分かる通り、善かれ悪しかれ大人のするようなことを子どもにはまだ早いとか大人って汚いとかいって避けて通るのではなく、大人顔負けの知識と行動力で実行してしまうのも、「ズッコケ」シリーズの楽しさの一つではあった。

 

 


「ヤマト世代」の三人組の四十代を描く

旧シリーズと中年三人組シリーズで異なるのは、刊行ペースに合わせて作中時間も経過するという点だ。三人組は旧シリーズ第1巻刊行時の年齢に沿って1966年生まれ*1ということになっていて、それに合わせて年を取っていく。


元クラスメイトの安藤圭子と「授かり婚」したハチベエは、家業の八百屋は将来性がないと、コンビニに鞍替えした。ハカセは大学院の修士課程を終了するも学芸員への夢を断念し、地元の中学校の教師に。所帯は持たず、ずっと独身を貫いている。そこに、会社が倒産したモーちゃんが妻子を引き連れて帰ってくるものの、なかなか仕事が見つからず、レンタルビデオ屋のアルバイトとして食いつないでいる……というのが「中年三人組」開始当初、不惑を迎えた3人の状況。

 

 

夢がある、とは言い難い。IFという形でおおむね薔薇色の未来を描いた『ズッコケ三人組の未来報告』を読んだ人なら尚更そう感じるだろう。再結成した三人組は以前のように事件に巻き込まれたり、自ら首を突っ込んだりしていくのだが、スカッとする活躍はなかなかできず*2、仕事や家庭の事情が邪魔をしてフェードアウトしそうになることもしばしばだ。

 

 

では彼らが不幸かというと、案外そうでもなさそうに見える。体は動かなくとも知的好奇心を満たすことはできるし――このためか、このシリーズでは俺たちヒョロメガネの希望の星であるハカセが主役を張ることが多い――、事件の解決に関係なくともそのために三人で集まって呑むのは楽しいというかむしろ事件は口実で呑み会の方が目的なのではないかと時折疑ってしまう。仕事に苦労がないとは言えない。ただ望んで就いた仕事でなくともやりがいを見つけることはできるし、生活費を稼ぐ手段だと割り切ってもいい。作中でハチベエはひょんなことから市議会議員になって、コンビニ店長をやりながら地元の再開発に勤しんでいる。モーちゃんはデザイン関係の仕事に就いている荒井陽子のツテで、住宅などの内装を請け負うインテリア会社に再就職した。ハカセは間違っても熱血教師ではないが、教え子にはそれなりの愛情を持っているし、彼らの学力が伸びていくのを見るのは楽しいらしい。いずれも自ら積極的に求めた職ではないが、元気に働いている。……まあ本人たちが幸せだからといって、この新シリーズが楽しいものかというと必ずしもそうとは言い切れないのだけど……

 

あの人は今

年齢が年齢だけに、死にまつわる話題も多い。age46で、宅和先生の訃報に関連して発覚した不倫疑惑は、「結婚相談所」でのDVを振るわれたと言っていたモーちゃんの母親が実はDVをふるう側だったのかもしれない*3、というどんでん返しを連想させる。いかにも那須先生らしい仕掛けだが、作者と作中人物と読者の共犯関係によって、事後的に理想の先生だということにされた人物像を崩したいという意識があったのだろうか。

 

同じくage46で、「花のズッコケ児童会長」に登場し、「健全な精神は健全な肉体に宿る」が旗印だった津久田茂は、仕事で精神を病んで自殺したことが判明。憎まれ役として登場した挙句この末路は、いくらなんでももう少し手心を……と思ってしまった。

 

age45で判明した、「ズッコケ山賊修行中」で多くの子どもたちを震え上がらせた土ぐも一族が内部分裂でほぼ滅亡したという事実は、単純にショックだった。ズッコケシリーズは大きくミドリ市の中だけで展開する比較的日常寄りの話とミドリ市の外に出て大冒険する非日常的な話という、通常のドラえもん大長編ドラえもんみたいな色分けがなされているのだが、本作と「あやうしズッコケ探検隊」は後者の中でも心に残っている作品だった。土ぐも様KOEEが一周して土ぐもさまTUEE勢になった自分としては、今もまだどこかで都に攻め入る機会を虎視耽々と狙っていてほしかった。三人組と行動を共にしていた大学生の堀口さんはその後奥さんが病死し、ホームレスになっていたというのも、あの時くらみ谷に残ると言い出した堀口さんの選択がどこまで自由意志によるものだったかは怪しいにしろ、本人にとってはそれが幸せへの近道だと思い込んでの行動だと信じていたので、辛かった……。

 

ズッコケ中年三人組 - Wikipedia

(今シリーズ各巻に関連する旧シリーズの巻がまとめられているので便利)

 

そういった死が氾濫する横でハカセは40代後半でクラスのマドンナだった荒井陽子と結婚して子どもをもうけたり、ハチベエに至っては長男が結婚して初孫が生まれていたりする。しかし、そちらも、ハカセは子どもが成人するより自身の定年が先だし、ハチベエのところの息子夫婦は二人ともバイトの身だしで*4、やはり前途洋々とは言い難い。だが著者はこういった状況を描きつつも必要以上に悲観的にはならず、「まあ人生なんてこんなもんだけどそれでもやはり結婚や出産はおめでたいことに変わりはないしほどほどに幸せになりなさいよ」程度には祝福している。 考えてみれば、そういう苦味と甘味、人生への諦観と希望が絶妙に配合されていたのが旧シリーズから「ズッコケ」の肝だったのではないか。……最も、中年三人組はそのバランスが崩れてしまったからつらい、とも言えるのだけど。

 

過去作との関連で言うと、少し面白いのがイラストの扱い。「中年三人組」第一作の表紙は一般文芸であることを意識してか、三人組はシルエットのみだったが、二作目からは旧シリーズ同様高橋信也のイラストが復活している。やはりそちらの方が「ズッコケ」であることが分かりやすい、ということだろうか。その割に、後で出たage41の文庫版はまたシルエットのみだけど……。また、本文中には新規のイラストの代わりに、その巻と繋がりのある旧作から、挿絵を再録している。これは読者の記憶を掘り起こす手助けのためのように思えた。表紙裏の旧六年一組の座席表や花山町の地図が当時のままなのも、同じ理由ではないだろうか。

 

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熟年を迎えた三人組の今後

さて、三人の今後について。著者がこの先続編を書かない理由が、「前立腺肥大のハチベエ認知症の疑いがあるモーちゃんや子供にクソジジイ呼ばわりされるハカセを書くのが忍びない」ってんだから、逆説的に、氏にとって四十代なんてまだまだ元気な若造だったんだなと思わされた。

 

だが、そうは言っても三人の人生は続く。前述した通りハカセは子育てに苦労するだろう。父親と妻の勧めもあり、ハチベエは、市議会議員をもう一期やった後は引退。八百屋……というか今流行のオサレ生鮮食品の店を、再開発で建設された駅ビルに構えようとしている彼の「コンビニよりそちらのほうが客との温かい交流がある」みたいな目論見は、なんだかふわふわしていてとても危うい。そして一番気になるのは、最終巻でハチベエに駅ビルのテナントの仕事を回してもらい、出世したモーちゃんの今後だ。

 

三人組は大人になって変わっただろうか? 勿論、変わった部分もある。例えば温厚なモーちゃんが、娘のチャラい*5彼氏に対して偏見全開だったのには驚いた。一方で、三人の友情は変わらない。変わらないからこそ、当時の友達感覚のまま市議会議員としてのハチベエに仕事を斡旋してもらって、本人も周囲もあまり気にしない。「ズッコケ」ではその辺りの倫理観について「人間ってそんなもん」と淡々と流すところがあるが、いつかこのことが原因となってズッコケる日が来るかもしれない。子供の頃ならともかく、この歳になってからの「ズッコケ」は致命傷になってしまうのではないかと心配してしまう。しかし、それでも彼らはなんだかんだで生きていくのだろう。

 

……ところで、ズッコケシリーズって電子化の予定ないんでしょうかポプラ社さん。巻数がめっちゃ多い、なつかしの児童文学の全巻電子化。需要はあると思うんですが。→されました

 

 

*1:本文で「ヤマト世代」と書かれてて急にあの三人との距離を感じた。でもどっちかというとガンダム世代?

*2:これは著者の筆のノリもあるかもしれないが……

*3:真相は藪の中

*4:最終的にコンビニの経営権を譲られた

*5:とモーちゃんには見える