ずっと好きだった原作が掘り起こされて再アニメ化する際に望む三つのこと
過去に一度アニメ化したものの「続編」や「リメイク」じゃなくて、「再アニメ化」の話です。過去のアニメとは無関係のやつです。
- 無理に全部やろうとしなくていい
- 声優は基本的に全取っ替えしてほしい
- 広報やグッズ展開はどれだけはっちゃけてもよい
無理に全部やろうとしなくていい
以前のアニメはオリジナル要素が多かったから、今度は原作に忠実に……というパターンをよく見かける。じゃあなんで前回そうなったかというと、その時点では原作の分量が足りなかったとか、原作が完結してなかったけどアニメはアニメで一度終わらせる必要があったとか、そんな理由っぽい。
しかし、10年、20年経って再アニメされるような作品は、その後も巻数を重ねて大長編になっていることが多い。そうなると、今度はアニメの方が十分な尺を用意できない。ただでさえ1クールが基本のご時世だ。最盛期を過ぎた原作をアニメ化するっていうだけでも既に大博打だろう。
そういう時、もうこんな機会二度とないだろうからと、多少無理してでも今ある原作を全部やるのか。あくまで作品としての出来を重視してやれるところまでやって、二期に繋ぐのか。私は後者を支持する。最初から最後まで映像化することそれ自体がアニメの目的と化して、ダイジェストにはなってほしくはない。どこまでが無理な端折り方になるのかは意見が別れるところだろうけど……
断腸の思いでエピソードを厳選するのも一つの手ではある。劇場版「攻殻機動隊GITS」や「スプリガン」みたいに特定の話だけ映画にしてもいい。ただ、いきなり劇場版というのは新規ファンも期待できなさそうだし、それはそれでハードルが高そうだ。
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TVシリーズなら、今やってる「ブギーポップ」は全18話で4冊分5エピソード。このくらいがギリギリだと思う*1。16巻を2クールできれいにまとめあげた「魔法陣グルグル」は奇跡のバランス過ぎた*2。ほんとどうやったらあんな芸当が成立するのか。ギャグは多少ちょっぱやでやるくらいのほうがケツカッチンにならないとはいえ……
原作通りアニメ化してもファンに伝わらないことがある
上遠野浩平原作「ブギーポップは笑わない」(2019年版)の話です。「ブギーポップ」シリーズは現在新装版が何冊か出ててこれらは加筆修正されたものですが、以下の文章における引用は旧版を出典としています。
- もう長いこと原作小説を読んでない読者は記憶があやふやである/原作のどこの段階に忠実なのか
- 原作本文と原作イラストの矛盾
- 他作品とのクロスオーバー
- 大ヒットしたアニメはそれ自体が原作だと勘違いされる
- じゃあ2019年版は全部原作に忠実なのか?
もう長いこと原作小説を読んでない読者は記憶があやふやである/原作のどこの段階に忠実なのか
まず、「ブギーポップ」は20年前に刊行を開始した。現在もシリーズは続いているが、これだけ長いと途中で振り落とされたファンも多い。既刊22冊の内、12冊目『ジンクス・ショップへようこそ』(2003)か13冊目の『ロスト・メビウス』(2005)辺りが契機だったのではないか、と言われる。そういう状態で当時の情報を更新することなく、既に原作本も手放した状態でアニメを視聴すると、原作準拠でも、あれっ記憶の中の原作と違う、となってしまう。もっとも、そこらへんを確かめようと新装版を買ったりするのだから、悪いことばかりではないのだが……。
具体的に取り違えやすいのは、キャラクターに関することだろう。例えばこの小説は分かりやすい勧善懲悪の物語ではなく、ブギーポップも正義のヒーローなんかではないという思い込みが見受けられる。確かにブギーさんは何かというと小難しいことを口にするし、善悪という枠に留まらないところはある。シリーズが進むにつれてそういう傾向はますます強くなっていく。
ブギーポップというのがなんなのか、本作でも身も蓋もない解説があるし、推測もされるし、結論さえ出ているのだろうが、しかしどうにもそれが収まりが悪い。どの説明も微妙にそこからはみ出す。さっき“その人”とかいったが、いわゆる“人”なのかどうかも不鮮明である。己の周囲はフィクションの中の出来事だと自覚しているメタ的キャラクターのようでもあるし、逆に全然自分の立場をわきまえていない下手くそな役者のようでもある。それまで書いてあったことと、次に書いてあることが矛盾する。
名前の由来も(…)イギー・ポップというアーティスト名がもうそのものじゃないのかと思うが、ブギー・バップという言葉もあったような気がするし、ブギー・ウギーというオバケもいる。その辺の結合なのだろうが、付けた瞬間にその辺の根拠が全部消し飛んでしまったような感じである。
一方で、少なくとも初期は「変身ヒーロー」そのものであったし(彼氏視点)、街なかで倒れてる「サイコさん」に手を差し伸べて、彼を遠巻きに見て助けようとしない連中に向け「君たちは泣いている人を見て何とも思わないのかね!」から始まる演説をぶつ、熱血漢めいたところもあった。
ブギーポップは、タイトル通り笑わない。しかし彼氏の竹田くん視点では「目深に被った帽子の下で左眼を細めて、口元の右側を吊り上げた。藤花では絶対にしない左右非対称の表情だった」「あの表情は苦笑いだったのかも知れないと気づいたが、そのときはわからなかった。ただ、妙に皮肉っぽい、悪魔的な感じのする表情だなと思っただけだ。」と言われている。この表情の映像での再現はなかなか難しいだろうが、これらを踏まえれば今回のアニメブギーも「まあこういう風になるのもしょうがないかな」程度には思えるはずだ。思えない? そう……
「ストーリーは忘れても個性的なキャラクターはいつまでも記憶に残る」という。有象無象の登場人物の中にあって、【不気味な泡】ブギーポップは私達に強烈な印象を与え、今も忘れられていない。しかし、当時の記憶を更新しない限り、読者が覚えているのは諸々の例外が削ぎ落とされた、記号的なイメージでしかなかったりする。「厨二キャラの権化」みたいなね。
なお私は一応最新刊までずーっと追い続けてますが、鳥頭なので三日経ったら全体のストーリーもキャラクターも忘れちゃってますねヤッター。だからこの文章もびくびくしながら書いてます。
ミステリー風の雰囲気アニメ「聖ルミナス女学院」 深夜アニメ黎明期の徒花
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前回前々回と、「lain」と「ブギーポップ」について書いた。この二作は共に「トライアングルスタッフ」という会社が制作に関わっていたのだけど、もう一作、同社の制作で忘れられないのが「聖ルミナス女学院」だ。
深夜アニメのはじまりの時代
このアニメの情報に初めて触れたのは「lain」最終回後の新番予告だった。時に、1998年。「エヴァ」ブームを中心として、アニメ人口が拡大。96年の「エルフを狩る者たち」の成功から、翌年にはテレビ東京系だけでも一気に10本近くの深夜アニメが放映される。それまではOVAでしか観れなかったようなマニア向けの作品が多数テレビで放映されるようになるまで時間はかからず、アニメファンは嬉しい悲鳴を上げた。
これを資金面から支えたのが製作委員会方式、実製作の面から支えたのが作業のデジタル化だったが、一方で「ロスト・ユニバース」のように質に問題がある作品も散見された……と、ここまではwikipedia頼りの知ったかぶり。
この時期の代表的な成功例が、深夜ならではの前衛的でスタイリッシュな映像を見せてくれたのが「lain」だった。一方で、その後番の本作は……まあ、お世辞にも成功とは言いがたいだろう。
新作アニメも放送されるし、「ブギーポップ・ファントム」の話をします
「ブギーポップは笑わない Boogiepop Phantom」は「ブギーポップ」シリーズのアニメ第一作である。前回取り上げた「serial experiments lain」の二年後、2000年に放送された。
ブギーポップ/宮下藤花役は岩倉玲音と同じ清水香里。制作にも「lain」のトライアングルスタッフが大きく関与している。さらに同じテレ東深夜枠とあって、当時の私は「lain」の「次」と見做し、実際に観てがっかりしてしまったところがある*1。
今となってはおかしな話だ。制作会社が同じだったとしても、監督やシリーズ構成などのメインスタッフが違っては、(画面はともかく)お話作りにおいては「次」を望むべくもない。だからこの二作も、本来は比較対象になるようなものではないのだけど……当時の私はそういう見方をしてたということで、勘弁してもらいたい。
原作『笑わない』を読んでいないと理解できないアニメオリジナルストーリー
「BoogiePop Phantom」は原作シリーズの第1巻『ブギーポップは笑わない』のその後を描く*2。原作には「VS.イマジネーター」や「歪曲王」といった続刊が存在するわけだが、それらとも違う。アニメオリジナルの「笑わない」続編という、なんとも難儀な代物だ。なのだけど、所々で原作「笑わない」後に登場するキャラクター――スプーキーEや織機綺や来生真希子らが断片的に登場する。それも、原作の展開と齟齬を起こさない程度に。原作がこの手のクロスオーバーをウリにしているのを模倣したのだろう。電撃文庫から発売された『シナリオ集』を読むと、脚本の村井さだゆきは原作を相当に読み込んでいることが伺える。このアニメ自体、原作に組み込んでみてそこまで違和感ないだろう。
でも、原作とのクロスオーバーについては、言ってしまえばそれだけというか……感心はしても*3、そこまで面白くはなかった。
「エヴァ以降」の暗さ
このアニメは終始暗い。内容以前に画面が薄暗い。セピア調で、霞がかかったようにぼんやりしている。それは、あの忌まわしい表現……「エヴァ以降」を連想させるに十分な暗さだ。EDテーマは「未来世紀(秘)クラブ」。6500年前の生命の誕生から未来へと想いを馳せる歌だけど、映像は世紀末どん詰まり感バリバリ。登場人物は暗闇の中をゆらゆら漂っているというか蠢いているというか、そんな感じ。
これらは、「ブギーポップ」を知らない人が抱くパブリックイメージそのものだ。それだけに、最終回、文字通り靄が晴れたように画面が明るくなるのが印象的なんだけどね。
あの頃、「セカイ系」という言葉が大流行した。元々は「エヴァ」の影響を受けた作品を指す言葉だ。「ブギーポップ」もこの系統の作品として数えられることがある。私はもう随分長いこと「……なんで?」と思ってたのだけど。ブギーポップ(宮下藤花)とその彼氏、竹田先輩の関係は、セカイ系の特徴として挙げられるところの戦場の少女/銃後の少年、という構図に近いかな? 「ブギーポップ」を評するのによく言われる「世界の命運が自分と関係ないところで決定されていく、自分は決して主役になれないという疎外感を抱えた登場人物への共感」とか、セカイ系っぽいと言えばそれっぽい。
影が薄いよ! ブギーさん!
でも、「ブギーポップ」という作品はやっぱりブギーポップという強烈なキャラクターがいてこそなのだ。たとえデウスエクスマキナ的な存在に過ぎないとしても。出番自体は少なかったとしても。彼は自分では成しえないことを一般人に託し、叱咤激励する。そこにこの小説のジュブナイルたる所以、健全な精神がある。
ひるがえって、「ファントム」のブギーポップの存在感は薄い。このアニメはタイトル通りブギーポップのファントム―――ありていに言って偽物*4が登場するわけだけど、本物のほうがいまいち冴えない。黒帽子に黒マント、黒いルージュの出で立ちは、ぼやけた画面の中に沈んでしまい、目立たない。「lain」において、岩倉玲音というキャラクターが強い牽引力を発揮し、ストーリーを引っ張っていったようなことはしなかった。
「ブギーポップ」は元々群像劇の色合いが濃いし、玲音とブギーでは役割が違うのだと言われれば、それまでなのだけど……。ブギーポップの影の薄さが、フィルムをますます病的なものにしていく。
声優ファンの間では、このアニメはちょっとした伝説となっている。小林沙苗、福山潤、能登麻美子、田村ゆかり、折笠富美子。2000年時点とは信じられないくらいフレッシュな面子が集結していた。特に能登麻美子という声優は、殿村望都という極度の潔癖症の女子高生を演じた声優として、私の中にその名を刻まれ、現在に至っている。自身もまだまだ新人である清水香里は……ブギーポップ(不気味な泡)は、その中に違和感なく溶け込んで「しまって」いるように見えた。
「スレイヤーズ」の監督が作った「ブギーポップ」
監督の渡部高志は、それまでどちらかというとコメディー色の強い作品を作ってきた。代表作はTV版「スレイヤーズ」など。「ブギー」の作品制作、特にシナリオ面では村井さだゆきらが中心となり、渡部が合流した時点で既に大方は完成していたそう。彼は最初これまでの仕事との違いに戸惑ったというが、新たな挑戦に腰を据えて取り組むことになる。
普通アニメの演出は、ほとんど本能的というか刷り込みされたように、過剰に盛り上げようという心理が働きます。これが効果的に作用するジャンルの作品、たとえば私がこれまで手がけてきたようなジャンルの作品群もありますが、新たな試みとしてこの「盛り上げ」という本能をあえて徹底的に否定してみたのです。
そこに生じるのはまさに負の盛り上げ、つまりある感情を想起させる情報・現象をこれでもかというぐらい多様に提示し、しかしその解釈は提示しない。いわば盛り上げの基準を断定的解釈の量から解釈材料の量の増減にシフトしたわけです。
結果として固定されない解釈が不安感を煽り、ハイティーンが抱いている独特な茫漠とした不安感を擬似的に再現しました。
私は、監督が言うほどアニメ本編で盛り上げが否定されてるとは思わない。BGMやSEは自己主張しすぎだと感じるくらいだ。でど、そういう演出意図の元に、ああいうアニメができあがったということについては、納得するしかない。
まとめると、原作の「ストーリー」を尊重してはいるけど、キャラクターや作品の雰囲気は所々解釈違い、必要以上に暗くしすぎ*5、という感じ。でも最終回は大好きで、そこだけ折に触れては観返してます。「宮下藤花には悪いことをしたな」じゃねーわよ、全く……
岩倉玲音が(レインが)(れいんが)(lainが)好き
インターネットがようやく普及しだした頃。常時接続すらまだまだまだおぼつかない時代に、今日のWebの――特にSNSのあり方を予言したアニメが「serial experiments lain」だ。物語は、「ワイヤード」と呼ばれるネットワークに覆われた近未来社会で、人々の繋がりのありかたを問う。ホラー風の演出にサイケな映像、突然宇宙人がどうこうといった方向に突然話が飛ぶ濃ゆ~い内容*1は多分にカルト的。ではあるものの、高い評価を受け、名作として語り継がれてきた。
今年は放送20周年! ということで、有志によるクラブイベント*2やインターネット同時視聴会、脚本担当小中千昭による当時の回顧録など、大いに盛り上がった。
かく言う私も同時試聴会に参加し、数年ぶりに全13話を観返した。「lain」という作品の魅力はいくつか挙げられる。
- ガチギークなスタッフによる、ツボを心得たハードウェア(作中では「NAVI」)やネットワークの描写。
- 登場人物はいずれも妙に実在感が強く、キャラが立ちまくっている。
- 生々しさを追求した音響が、登場人物の痛みや恐怖、不快感をダイレクトにこちらに伝えてくる。バーチャルYoutuberの鳩羽つぐちゃんがしばしばlainっぽいと言われるのは、同じ音響へのこだわりを感じられるからっていうのはあると思う。
- 番組終了後には、その後放送される天気予報「ウェザーブレイク」と絡めた提供イラスト「お天気こわれてる?」が映される。こういったものに象徴されるような遊び心は、難解な内容にどっと疲れた視聴者をほっとさせてくれた。
- 「lain」は現実が善で虚構が悪だなどという単純な二項対立を描かない。既に両者は混じり合っていて境界線など存在しないのではないか、という視点が全編を貫いている。
- にしてもネットワークに神様が潜んでる、というのはいかにもまだ「アングラ」が存在してそうだった当時の発想だよなあ。今、私の見てるネットで「神」といったらエロ画像をアップしてくれる人のことだ*3。でも、普及率ということに関して言えばあの世界のWIREDのが、現実のインターネットよりずっと高そうなのに、そういう部分がまだ残ってるってのが不思議と言えば不思議。余談。
などなど。魅力も多いが、情報量も豊富……豊富すぎるとも言えるのが「lain」という作品である。1クールとは思えない濃密かつゼンエイテキでジッケンテキな内容は、初視聴者を「あ、これ俺向きじゃないわ」と思わせるに十分だろう。ストーリーは混み入っていて、私自身理解できてるとは言い難い。それでも最初に視聴した時、挫折することなく最後まで辿り着けたのは、ひとえに主人公・岩倉玲音に魅了されたからだ。