周回遅れの諸々

90年代育ちのオタクです

原作通りアニメ化してもファンに伝わらないことがある

上遠野浩平原作「ブギーポップは笑わない」(2019年版)の話です。「ブギーポップ」シリーズは現在新装版が何冊か出ててこれらは加筆修正されたものですが、以下の文章における引用は旧版を出典としています。

もう長いこと原作小説を読んでない読者は記憶があやふやである/原作のどこの段階に忠実なのか


まず、「ブギーポップ」は20年前に刊行を開始した。現在もシリーズは続いているが、これだけ長いと途中で振り落とされたファンも多い。既刊22冊の内、12冊目『ジンクス・ショップへようこそ』(2003)か13冊目の『ロスト・メビウス』(2005)辺りが契機だったのではないか、と言われる。そういう状態で当時の情報を更新することなく、既に原作本も手放した状態でアニメを視聴すると、原作準拠でも、あれっ記憶の中の原作と違う、となってしまう。もっとも、そこらへんを確かめようと新装版を買ったりするのだから、悪いことばかりではないのだが……。


具体的に取り違えやすいのは、キャラクターに関することだろう。例えばこの小説は分かりやすい勧善懲悪の物語ではなく、ブギーポップも正義のヒーローなんかではないという思い込みが見受けられる。確かにブギーさんは何かというと小難しいことを口にするし、善悪という枠に留まらないところはある。シリーズが進むにつれてそういう傾向はますます強くなっていく。

ブギーポップというのがなんなのか、本作でも身も蓋もない解説があるし、推測もされるし、結論さえ出ているのだろうが、しかしどうにもそれが収まりが悪い。どの説明も微妙にそこからはみ出す。さっき“その人”とかいったが、いわゆる“人”なのかどうかも不鮮明である。己の周囲はフィクションの中の出来事だと自覚しているメタ的キャラクターのようでもあるし、逆に全然自分の立場をわきまえていない下手くそな役者のようでもある。それまで書いてあったことと、次に書いてあることが矛盾する。

名前の由来も(…)イギー・ポップというアーティスト名がもうそのものじゃないのかと思うが、ブギー・バップという言葉もあったような気がするし、ブギー・ウギーというオバケもいる。その辺の結合なのだろうが、付けた瞬間にその辺の根拠が全部消し飛んでしまったような感じである。

『ブギーポップは笑わない』電子版あとがきより


一方で、少なくとも初期は「変身ヒーロー」そのものであったし(彼氏視点)、街なかで倒れてる「サイコさん」に手を差し伸べて、彼を遠巻きに見て助けようとしない連中に向け「君たちは泣いている人を見て何とも思わないのかね!」から始まる演説をぶつ、熱血漢めいたところもあった。


ブギーポップは、タイトル通り笑わない。しかし彼氏の竹田くん視点では「目深に被った帽子の下で左眼を細めて、口元の右側を吊り上げた。藤花では絶対にしない左右非対称の表情だった」「あの表情は苦笑いだったのかも知れないと気づいたが、そのときはわからなかった。ただ、妙に皮肉っぽい、悪魔的な感じのする表情だなと思っただけだ。」と言われている。この表情の映像での再現はなかなか難しいだろうが、これらを踏まえれば今回のアニメブギーも「まあこういう風になるのもしょうがないかな」程度には思えるはずだ。思えない? そう……


「ストーリーは忘れても個性的なキャラクターはいつまでも記憶に残る」という。有象無象の登場人物の中にあって、【不気味な泡】ブギーポップは私達に強烈な印象を与え、今も忘れられていない。しかし、当時の記憶を更新しない限り、読者が覚えているのは諸々の例外が削ぎ落とされた、記号的なイメージでしかなかったりする。「厨二キャラの権化」みたいなね。


なお私は一応最新刊までずーっと追い続けてますが、鳥頭なので三日経ったら全体のストーリーもキャラクターも忘れちゃってますねヤッター。だからこの文章もびくびくしながら書いてます。

原作本文と原作イラストの矛盾


2019年版アニメは、緒方剛志による原作イラストからキャラクターデザインが大きく変更されている。ただ問題なのは、原作イラストに忠実=原作本文に忠実とは限らない、ということだ。緒方のイラストは度々本文との矛盾を指摘されている。ブギーポップのトレードマークである黒いルージュも、イラストでは再現されていない*1


第二巻『VSイマジネーター Part 1』から登場するスプーキーEは、原作屈指の人気キャラクターである。初登場時の本文では「腹と頭ばかりがやたらにまん丸で、手足は棒のように細く長い」「首はほとんどない」「彫りの深い顔立ちで、ふくれた頬はまるで上からパッドでも貼り付けたよう」「白黒がほぼ半々の長髪」の男だと描写されている。ところが緒方のイラストでは筋肉ムキムキ、オールバックの男になっている。


それ自体は、とりたてて騒ぐことではない。ライトノベルではこの手の食い違いは頻繁に起こりがちで、それを機に生まれる本文とイラストのキャッチボールを楽しむのも醍醐味の一つとなっている。実際、このシリーズでも後の巻の本文で外見を描写する際、「長髪」は省かれている。これは緒方のデザインを見た上遠野が配慮した結果だろうと思っている*2。そしてメディアミックスの際のデザインは大体の場合イラスト準拠になるので、そっちのほうが「正解」になる。


……しかし、2019年アニメ版スプーキーEは、髪型と体型については本文の描写に寄せてきている*3


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アニメのキービジュアルが発表された際、緒方が「アニメのキャラデザはこちらのチェックを経てない」というようなことを言ってちょっとした騒ぎになったことがある。この時、「アニメ制作サイドは緒方先生をキャラクター原案ではなく原作イラストとしてクレジットしている! イラストレーターの権利を認めないというのか!」と吹き上がった*4。イラストより初登場時の本文を優先したという意味では、スプーキーEに限りこれは正しかったわけだ。さてこの場合、アニメは原作に忠実だと言っていいのだろうか。


上遠野浩平は『ファウストvol5』で、

――キャラクターには関心をおもちですか。アニメ的なキャラクター、たとえばメガネっ娘を小説に登場させてみたいと思ったりするのでしょうか。(S)
上遠野:うーん、その手の記号の有効性というのは重点がイラストレーターの側に移りますから。誰がイラストを描くかわからない段階では、萌えキャラを出そうなどと簡単に意図できない。(…)だいたい、そういういかにもな萌えキャラが「いかにも」といった感じで出てくるだけの小説は本当に売れているのか、という疑問もあります。


というような発言をしていた。萌えキャラどうこう以前に、彼の作品では登場人物の外見というのはあまり描写されていない。だからイラストを描く時の自由度は高いとも言える。ブギーポップやスプーキーEの格好がわりと事細かに綴られているのは、非日常的な存在であることを強調するためだろう。そんなスプーキーEでも、イラストとの食い違いが出てしまうのはなんとも。そもそもイラストは本文に忠実でなければならないのか、あくまでイメージでいいんじゃないかっていう問題もあるけどね。


ちなみに今のところ新アニメ版のデザインでいいなと思うのは新刻敬と衣川琴絵。この二人はキャスティングもハマり役ですね。逆に竹田くんはいくらなんでものっぺりしすぎ。織機は綾波に寄せてきたってゆわれるけど、そうか? 原作初登場時のほうが綾波っぽくない? というか貞本義行っぽくない?

他作品とのクロスオーバー


上遠野作品は、ノベライズを除いて全ての作品がどこかしらで繋がっている。「ブギーポップ」から時代的に遠い未来の物語もあれば、異世界が舞台になっていることもある。同じキャラクターが色んな作品に顔を出しているが、それぞれの挿絵は別のイラストレーターが担当していて、その都度デザインが変わったり変わらなかったりする。


ソウルドロップシリーズ(祥伝社刊。イラストは斎藤岬)は、舞台が同じ現代日本ということで、「ブギーポップ」ときわめて接近している作品だ。この物語のキーパーソンである怪盗ペイパーカット=飴屋は、銀色の髪をした青年の姿をとっているが、その正体は人類を観察しに来た地球外生命体、《虚空牙》である。


『笑わない』で登場したエコーズは、ペイパーカットと出自を同じくする《虚空牙》だった。「『ブギーポップ』原作イラストではぼろぼろの格好をしたモブっぽいデザインの「サイコさん」だった彼が、今回のアニメでは銀色の髪のイケメンとなったのは、ペイパーカットに倣ったのではないか――」ファンの間ではそう囁かれている*5。確証はないが、これが本当なら当然「ソウルドロップ」の方を読んでないと分からないだろう。まあ「原作通り」かどうかを問うこの文章の主旨とはズレますけど。


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これによって彼の特異性は一目瞭然になった反面、あのエコーズを匿っててなおかつ二股*6かけてる紙木城さんまじ……まじ……ってなってしまいますね。木村くん視点で。

大ヒットしたアニメはそれ自体が原作だと勘違いされる


あるいは、アニメがこういう展開だから原作も同じに違いない、という思い込みですね。アニメが大ヒットしてその後原作に忠実な作品が制作されたという場合だと、原作に沿ってても旧アニメ基準で「これは原作とは違うじゃないか」と言う人はいる。あと実写映画になった時に原作ではなくアニメ基準で批判する人とか。幸か不幸か2000年の「ブギーポップファントム」はそこまで売れなかったので、あっちと比較して今回のアニメが「ファントムと違うので原作通りではない」という事例は、観測範囲では少ないけれど……。


sube4.hatenadiary.jp


でも、中には「ブギーポップの主題歌はやっぱりスガシカオじゃなきゃ」という人もいたり。あとキャストが演技の参考のためと言って原作ではなく旧作を観るのもどうなのだろうと思ったり。「ブギーポップファントム」のストーリーは完全アニメオリジナルだったし、今放送してるのも「ファントム」の続編ではないので。

じゃあ2019年版は全部原作に忠実なのか?


というと、キャラデザにしろストーリー構成にしろそんなことはない。木村くん出てこないし。織機はもっと可愛いし。だからなおさら紛らわしくはある。また原作通りにやったからといってそれが面白くなかったなら意味はない。原作の本文に忠実じゃないのは知ってるけどそれでも私は緒方先生のデザインのほうがよかったというならそれもいい。


しかし、原作に描かれてるものを「どうして原作通りにやらないんだ」と批判するならそれは、「原作はかくあらねばならない」と思い込ませている何者かの存在を疑うべきだろう。


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*1:旧アニメや高野真之によるスピンオフ漫画「負け犬たちのサーカス」では、宮下藤花ジャナイポップがルージュを引いている

*2:でも体型の方は変わらず描写されてるので、依然矛盾は続いている

*3:それでも顔立ちや白黒が半々の髪といった辺りは微妙で、ここまでやるなら完全に本文を再現してほしかった気持ちはある

*4:「原作イラスト」という表記自体は他の原作付きアニメでも見られるものです

*5:「螺旋のエンペロイダー」電撃文庫)に登場する才賀虚宇介も同類ではないかと言われている。こちらは、イラストでは銀色でこそないが真っ白い髪をしている。イラストは巌本英利

*6:もっとかも