新作アニメも放送されるし、「ブギーポップ・ファントム」の話をします
「ブギーポップは笑わない Boogiepop Phantom」は「ブギーポップ」シリーズのアニメ第一作である。前回取り上げた「serial experiments lain」の二年後、2000年に放送された。
ブギーポップ/宮下藤花役は岩倉玲音と同じ清水香里。制作にも「lain」のトライアングルスタッフが大きく関与している。さらに同じテレ東深夜枠とあって、当時の私は「lain」の「次」と見做し、実際に観てがっかりしてしまったところがある*1。
今となってはおかしな話だ。制作会社が同じだったとしても、監督やシリーズ構成などのメインスタッフが違っては、(画面はともかく)お話作りにおいては「次」を望むべくもない。だからこの二作も、本来は比較対象になるようなものではないのだけど……当時の私はそういう見方をしてたということで、勘弁してもらいたい。
原作『笑わない』を読んでいないと理解できないアニメオリジナルストーリー
「BoogiePop Phantom」は原作シリーズの第1巻『ブギーポップは笑わない』のその後を描く*2。原作には「VS.イマジネーター」や「歪曲王」といった続刊が存在するわけだが、それらとも違う。アニメオリジナルの「笑わない」続編という、なんとも難儀な代物だ。なのだけど、所々で原作「笑わない」後に登場するキャラクター――スプーキーEや織機綺や来生真希子らが断片的に登場する。それも、原作の展開と齟齬を起こさない程度に。原作がこの手のクロスオーバーをウリにしているのを模倣したのだろう。電撃文庫から発売された『シナリオ集』を読むと、脚本の村井さだゆきは原作を相当に読み込んでいることが伺える。このアニメ自体、原作に組み込んでみてそこまで違和感ないだろう。
でも、原作とのクロスオーバーについては、言ってしまえばそれだけというか……感心はしても*3、そこまで面白くはなかった。
「エヴァ以降」の暗さ
このアニメは終始暗い。内容以前に画面が薄暗い。セピア調で、霞がかかったようにぼんやりしている。それは、あの忌まわしい表現……「エヴァ以降」を連想させるに十分な暗さだ。EDテーマは「未来世紀(秘)クラブ」。6500年前の生命の誕生から未来へと想いを馳せる歌だけど、映像は世紀末どん詰まり感バリバリ。登場人物は暗闇の中をゆらゆら漂っているというか蠢いているというか、そんな感じ。
これらは、「ブギーポップ」を知らない人が抱くパブリックイメージそのものだ。それだけに、最終回、文字通り靄が晴れたように画面が明るくなるのが印象的なんだけどね。
あの頃、「セカイ系」という言葉が大流行した。元々は「エヴァ」の影響を受けた作品を指す言葉だ。「ブギーポップ」もこの系統の作品として数えられることがある。私はもう随分長いこと「……なんで?」と思ってたのだけど。ブギーポップ(宮下藤花)とその彼氏、竹田先輩の関係は、セカイ系の特徴として挙げられるところの戦場の少女/銃後の少年、という構図に近いかな? 「ブギーポップ」を評するのによく言われる「世界の命運が自分と関係ないところで決定されていく、自分は決して主役になれないという疎外感を抱えた登場人物への共感」とか、セカイ系っぽいと言えばそれっぽい。
影が薄いよ! ブギーさん!
でも、「ブギーポップ」という作品はやっぱりブギーポップという強烈なキャラクターがいてこそなのだ。たとえデウスエクスマキナ的な存在に過ぎないとしても。出番自体は少なかったとしても。彼は自分では成しえないことを一般人に託し、叱咤激励する。そこにこの小説のジュブナイルたる所以、健全な精神がある。
ひるがえって、「ファントム」のブギーポップの存在感は薄い。このアニメはタイトル通りブギーポップのファントム―――ありていに言って偽物*4が登場するわけだけど、本物のほうがいまいち冴えない。黒帽子に黒マント、黒いルージュの出で立ちは、ぼやけた画面の中に沈んでしまい、目立たない。「lain」において、岩倉玲音というキャラクターが強い牽引力を発揮し、ストーリーを引っ張っていったようなことはしなかった。
「ブギーポップ」は元々群像劇の色合いが濃いし、玲音とブギーでは役割が違うのだと言われれば、それまでなのだけど……。ブギーポップの影の薄さが、フィルムをますます病的なものにしていく。
声優ファンの間では、このアニメはちょっとした伝説となっている。小林沙苗、福山潤、能登麻美子、田村ゆかり、折笠富美子。2000年時点とは信じられないくらいフレッシュな面子が集結していた。特に能登麻美子という声優は、殿村望都という極度の潔癖症の女子高生を演じた声優として、私の中にその名を刻まれ、現在に至っている。自身もまだまだ新人である清水香里は……ブギーポップ(不気味な泡)は、その中に違和感なく溶け込んで「しまって」いるように見えた。
「スレイヤーズ」の監督が作った「ブギーポップ」
監督の渡部高志は、それまでどちらかというとコメディー色の強い作品を作ってきた。代表作はTV版「スレイヤーズ」など。「ブギー」の作品制作、特にシナリオ面では村井さだゆきらが中心となり、渡部が合流した時点で既に大方は完成していたそう。彼は最初これまでの仕事との違いに戸惑ったというが、新たな挑戦に腰を据えて取り組むことになる。
普通アニメの演出は、ほとんど本能的というか刷り込みされたように、過剰に盛り上げようという心理が働きます。これが効果的に作用するジャンルの作品、たとえば私がこれまで手がけてきたようなジャンルの作品群もありますが、新たな試みとしてこの「盛り上げ」という本能をあえて徹底的に否定してみたのです。
そこに生じるのはまさに負の盛り上げ、つまりある感情を想起させる情報・現象をこれでもかというぐらい多様に提示し、しかしその解釈は提示しない。いわば盛り上げの基準を断定的解釈の量から解釈材料の量の増減にシフトしたわけです。
結果として固定されない解釈が不安感を煽り、ハイティーンが抱いている独特な茫漠とした不安感を擬似的に再現しました。
私は、監督が言うほどアニメ本編で盛り上げが否定されてるとは思わない。BGMやSEは自己主張しすぎだと感じるくらいだ。でど、そういう演出意図の元に、ああいうアニメができあがったということについては、納得するしかない。
まとめると、原作の「ストーリー」を尊重してはいるけど、キャラクターや作品の雰囲気は所々解釈違い、必要以上に暗くしすぎ*5、という感じ。でも最終回は大好きで、そこだけ折に触れては観返してます。「宮下藤花には悪いことをしたな」じゃねーわよ、全く……