周回遅れの諸々

90年代育ちのオタクです

素人童貞の胸を打つおっぱいゲーム青春小説 土橋真二郎「OP-TICKET GAME」 

GWが終わった。社会人1年目の男性陣は、連休中に旧友と会って、どうだっただろうか。何か、学生時代と変わったところは見受けられただろうか。

 

……例えば、以前は下ネタなんて全くの無反応だったあの人が、平然とお水のお姉ちゃんの話をするようになっていたり? 二月かそこらではそんなに変わらないか。では、お盆休みなら? 正月なら? 2年後、3年後なら? 俺たちは二次元ひと筋だからこれまでも今後もそういうことは絶対にない。はたして、本当にそう言い切れるのか?*1

 


願いが叶うチケットがあるという。それは学校伝統のチケットで、使用者の願いを叶えるのだ。そのチケットを手にすることができるのは男子に限られ、そして願いを叶えるのは同級生の女の子だという。その名は―おっぱいチケット。…伝説は本当に存在する。―揉むか揉まれるか。“夢と希望”、そして“絶望”が表裏一体となった伝説のゲームが幕を開ける!『扉の外』『アトリウムの恋人』の土橋真二郎が贈る、最新“ゲーム”小説。

 

著者の土橋真二郎は、それまでどちらかというとシリアスなデスゲームものを書いてきた。「OP-TICKET GAME」(全2巻)は、クリスマス商戦をネタにしたラブコメゲーム小説「クリスマスM&A」を経て、大きくコメディに舵を切った初めての小説だ。クラスの気になるあの子のおっぱい揉み放題のチケットのため、男子たちが奮闘する姿を描く。

 


bookwalker.jp

クリスマス商戦のあらゆるデータが数値化された世界で最終的な資産を競う短編「クリスマスM&A」が収録されたアンソロジー。なんでkindleにないの…… 

 

作中ではTCGのようなおっぱいチケットのトレード合戦から始まり、エクストリームスカートめくり、パンチラ軍人将棋、シースルー脱出ゲーム、水着DEバトル……といったゲームが、女子を巻き込んで展開される*2。聞くだけで脱力してしまうタイトルの数々だけれど、しかしそこはラノベにおけるゲーム小説の代名詞である土橋真二郎のこと、合コンのレクリエーションのようなレギュレーションのゆるいものではない。「緻密なゲーム性」という名の残酷さは、「たとえ自分が付き合ってなくても、好きでない相手でも、隣の同級生がおっぱいを揉まれるのは許せない、揉んだ相手を祝福してやることなんてできない」という男子たちの醜い、けれど率直な欲望を浮き彫りにし、女子を含めたクラスの関係をズタズタに引き裂いていく。

 

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いや、基本的には最初から最後までゲラゲラ笑って読めるゆかいな小説なんです。でも、彼らはおっぱいに対していたって真面目で、オバカな状況とのギャップが、読者の胸を打つ。時折、*3ツッコミが入ることはあるけれど、彼らの熱を冷ますことはできない。

 


この小説は高校を舞台にした恋愛小説です。僕はぼやっとした愛とか恋という言葉を信仰しておらず、この作品では男女の距離感をデジタル的に表現することにしました。例えば主人公とヒロインの恋愛が完結するまでの距離を十分割し、はっきりと物質として作品に出しています。

 

http://dengekionline.com/elem/000/000/631/631334/

 

男子たちはなんでおっぱいひとつでそこまで必死になるのか。単に目先の欲望のため? おっぱいには夢が詰まっているから? それもあるけれど、しかしこの作品ではしばしば、「学生時代に同級生のおっぱいを自由にできなかった男の末路」が提示される。

 


 「僕が一年生で球拾いに追われていたとき、先輩はバイトに明け暮れていた大学生で、OB交流会と称してセクシー居酒屋に連れていってくれましたよね。
ーーー俺は毎晩こんなところで飲み歩いてるぜ。金が余ってしょうがねえから。
そう言って笑ってましたよね。
仲間や高校生の童貞どもにおっぱいを見せてやるんだ。これが本物のおっぱいだってな。
って、目を輝かせて語ってましたよね。
あれから十年経って、OB会を開いたらやっぱりセクシー居酒屋です。僕も大人になりましたが、そこに行くのは先輩と一緒の時だけです。別にこの店が悪いって言ってるわけじゃないんです。でも、この店の女の子って所詮胸をアピールした衣装だけが特徴で、特にお酒も美味しいわけではありません。水着姿の女の子は自称高校生ですが、絶対にあの子たちは三十代です。別に女の子がいる店でなくとも僕はいいんです。僕らも大人になって、もっと落ち着いた女性と落ち着いた店を知っているはずの年齢ですよね。
でも、今の先輩を見ると、女の子の胸を食い入るように見ている先輩を見ると、僕はどうしても別の店に行きましょうと言えなくなるんです。
先輩がセクハラで仕事を首になったのを知ってます。
新しく入ったバイト先で、女子高生にゴミ扱いされているのも知っています。
胸の大きい女子大生目当てで喫茶店に通い、いつか揉んでやろうと息巻いているのも知っています。
でも、もうやめましょう。十年前と同じ店でおっぱいを語らないでください。そんなの戦っている高校生、そして過去に戦ったことのある男子だけに許されるものなんですよ。
おっぱいの真実を知らないあなたに、おっぱいは語ってほしくないのです」


 「俺は揉める、大人がおっぱいを揉むのはたやすい。金を払えばそんな店に行けるから。でも、イチャイチャしてる高校生を見ると涙が出るんだよ。お前らは金を払わずに、ずるいって。俺がこの前に行った店は一時間五千円で五十回くらい揉んだけど、一回に百円ずつ払っているってことなんだよね。ひと揉み百円なんて計算している俺惨め……。だから相葉ちゃんを助けてやってくれ」

 

そもそも冒頭からして、「お嬢様学校育ちで男女交際を禁止されて生きてきたのに三十過ぎると結婚はまだかとせっつかれる女教師」が出てきて、事は男子だけの問題では無いのだけど*4、それはともかく。そんな大人の姿を見せつけられて、男子は奮起する。「おっぱい(笑) いい加減ちゃんと女の子と向き合って恋愛しろよ」なんてこれ以上ない正論をうそぶく意識高い系のキャラもいる。でも、それはおっぱいと真摯に向き合って戦った奴にしか許されない台詞だ。決して現役の高校生がおっぱいを酸っぱい葡萄扱いしてはいけないし、ましてや水商売でおっぱいの感触を知った大人が訳知り顔でそれを語るのは、見ていて辛いだけだ。おっぱい自体に貴賎はないけれど。

 

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おっぱいについて、あるキャラが言うところには、「中学生以下は未発達、大学生以降になれば利害関係が混ざりだす。つまり純粋に向かい合えるのは高校生だけなのだ」。そんなかけがえのない時間を、本作は活写している。

 

この作品は「大学生以降」を主役に据えているわけではない。けれど、戦わなかった彼らの存在が主人公たち高校生をますます輝かせ、ひるがえってその輝きは彼らの現在に強く影を落とす。女子のおっぱいを手にすることなく学生生活を終えた大人への容赦ない罵倒と、現役学生への惜しみないエール。その対比が、水商売ネタをゲラゲラ笑いながら話すような社会人に成り果てちまったかつての童貞男子に突き刺さる。優れた青春小説は、大人も楽しめるものだという。なのにこれを彼らに届けないで、何がライト文芸だ何がメディアワークス文庫だ。

 

 

*1:あるいは、ホ別苺やNTRといったアレコレをネタにするのが好きな人がたくさんいる時点で、そういう人物像は幻想に過ぎないんだろうか

*2:おっぱい推しの割にパンツの方に比重が置かれているのはご愛嬌

*3:主に女子から

*4:本作の女子キャラの扱いのアレさについては明らかに自覚的であって彼女たちの自我はおっぱいの付属物ではないのだけど、多分に言いくるめられてる感が強いというか少なくともポリコレ的な正しさを標榜できるほどの勇気は自分にはない