周回遅れの諸々

90年代育ちのオタクです

ラノベ作家ストレイドッグス 夢枕菊地氷室新井神坂秋田古橋秋山ヤマグチ桑島

※タイトルに特に意味はありません。

 

ラノベ作家は、かつての文豪のように異能バトルしたりはしない。けれど、同じ時代に活躍し、人気が拮抗していたり、代表作のジャンルが同じだったりすると、ペンで競い合うことはある。また本人たちにその気がなくとも、読者はどうしても比較してしまうものだ。

 

 

菊地秀行夢枕獏

菊地秀行(1949-)と夢枕獏(1951-)は70年代末〜80年代初頭にデビューし、ソノラマ文庫やノベルスにおいて、共に伝奇バイオレンスの分野で人気作家となった。1986年には、徳間書店「SFアドベンチャー」の増刊号として両者を特集した「夢枕獏VS菊地秀行ジョイントマガジン」が発売されている。
 

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両者とも今現在に至るまで多数の未完作を抱えているが、菊地先生はシリーズの大部分が1巻完結なのに対して、獏先生のそれは大河的に何巻もかけてひとつの筋を追うものが多い。心情も殴り合いもとにかく書き込む獏先生と、限界までそぎ落とすひどゆき先生の文体の違いもあるだろう。続けようと思えばいつまで続けられる作品と、終わりは見えているけど遅々として進まない作品。どちらが読者にとって幸せなんだろうか。
 
面白いな、と思うのは、両者とも作品にエロがたっぷり含まれているけれど、ぶく先生の場合、愛しあう男女の営みとしてSEXが描かれることもあるのに対して、ひどゆき先生は快楽の追求といった側面が強いということだ。ひどゆき作品にまっとうに? 愛しあう男女がいないわけではないものの、彼らはベッドを共にするまでは描かれない、といった印象がある。しかし「魔界都市ブルース」のエロシーンとかまるっきりおっさん向けなのに、あれで女性ファン多いんだからすごいよな……
 
現在、獏先生は「陰陽師」が大ヒットしたのを筆頭に「上弦の月を喰べる獅子」「神々の山嶺」「大江戸釣客伝」などで数々の文学賞を受賞するなど、80年代とは違った方向を開拓している。これに対して、ひどゆき先生はあくまで当時からほとんどブレずにエンタメの第一線で闘い続けている。
 


氷室冴子新井素子

 

少女小説の中興の祖である氷室冴子(1957-2008)と新井素子(1960-)を評して、前者は「ヒマラヤの高地に咲くという、伝説の青いケシ」、後者は「タンポポ」と言ったのは久美沙織だった。

 

 

氷室の作風は高嶺の花で、新井は身近で、という喩えだけれど、わたしにとって身近なのはむしろ氷室先生のほうだった。なんとなれば氷室作品は理知的で、抑制が利いていて、得体のしれないところ、というのが全くない。それは「男子にとって女子は理解不能な生き物」という例のテーゼの下に描かれた「海が聞こえる」ですらそうだ。全てが論理的で、精緻に組み立てられた作品世界。

 

一方で新井作品は、きゃぴきゃぴ*1してるというイメージとは裏腹に、底知れない闇を感じる。「ひとめあなたに…」はその典型だけれど、「星へ行く船」でも自身の身体欠損にまるで動じない主人公にぞっとした。前述した「男子にとって女子は理解不能な生き物」というのを実感させられる。だから、新井素子少女小説家でもライトノベル作家でもSF作家でもなくホラー小説家、というのがわたしの認識だったりする。

 

神坂一秋田禎信

神坂一(1964-)と秋田禎信(1973-)は、90年代のファンタジア文庫の二枚看板だ。年齢や、代表作の刊行開始時期に4年以上の開きがあることから、秋田は先輩後輩という間柄として認識しているが、同世代の作家と見る読者は多い。「スレイヤーズVSオーフェン」に始まり、何回かコラボ小説も発表している。神坂センセとは、どちらかというと冴木忍のほうが比較対象としてちょうどよさそうだけれど……。
 
ファンタジー世界の神話を我々の身近なところまで引きずり下ろした神坂と、分かりにくさを売りとする秋田。文章をとことんそぎ落とす神坂と、肉付け大好き秋田。秋田は自身と神坂を比較して、秋田は神坂の文章が大人っぽい、自身のそれは子供っぽいと評した。
 
 
また自作のアニメでも脚本家として活躍した神坂と、あくまで小説オンリーだった秋田。とか色々思いつくけど、ドライな神坂にウェットな秋田、というのはあまり語られてないよな、と。
 
基本的に神坂作品の登場人物はみんな個人主義を貫き通している。だから「スレイヤーズ」長編8巻の「仲間というのがこれほどありがたいものだとは思わなかった」というリナの述懐がぐっとくるのだけれど、だからといって旅の途中で別れることにためらったりはしない。アニメですっかり「仲良し四人組」のイメージがついたリナガウゼルアメの4人にしても、4人揃って行動してるのは原作では6巻と7巻だけ。第二部のルークとミリーナはストーリーの上ではゼルアメ以上のキーパーソンだけれど、リナガウにとっては「旅先でよく会う二人」の域を出ない。
 
対して秋田作品では身内はどこまでも身内で、そのしがらみに一生振り回される。逃れようと思っても決して逃れられない。「オーフェン」第4部ではわざわざ別の大陸に来たのに周囲は見知った面子ばかりという状況を、登場人物の口から皮肉らせている。主人公は作中で「裏切るのがうまい」人と言われているけど、それはドライだからというより、自身を顧みて言った「親切から仇が始まる」という評の通りな気も……。

古橋秀行と秋山瑞人

1971年生まれのこの二人は、法政大学で共に児童文学者・金原瑞人に創作の手ほどきを受け、共に電撃文庫からSF小説でデビューした。「龍盤七朝」というシェアワールド作品を発表したこともある。
 
二人とも技巧派の作家だけれど、秋山がいつでも圧倒的な質量を叩きつけてくる、ある意味で凄さが分かりやすい文章を書くのに対して、古橋は作品ごとに違う顔を見せていて、その凄さを一言でうまく言い表せないところはある。だからノベライズのお仕事で各所から引っ張りだこなんだろう。決して器用なんていう言葉に収まる作家ではないのだけれど……。あの、どんな作風にでもするりと馴染んでしまう文章は、一体どんな技術を用いているんだろうか。「バスタード」のガラ外伝とか、バスタード以外の何物でもなかった。

ヤマグチノボル桑島由一

 
ヤマグチノボル(1972-2013)と桑島由一(1977-)は、共に2000年代前半にテキストサイト管理人として有名になり、フロントウィングGROOVER)でエロゲライターとして「グリーングリーン」などのシナリオを担当した後、小説家デビューした。その関係から、ヤマグチの没後に発表された「ゼロの使い魔」続刊も、名前は明かされていないものの桑島が執筆しているのでは、と思っている人は多い。
 
両者の作風は、明るく楽しいエンタメ全開のノボルに比べて、桑島はオバカなコメディも織り交ぜながらも、繊細な自意識がどうこうという、わりと「THEゼロ年代」という感じが強かった気も……。でも、「遠く6マイルの彼女」とか読むとノボルもそゆとこないわけではないんだよなあ。テキストサイト時代は、ときメモヒロインとの妄想を爆発させるノボルに対して、桑島はサイトデザインなどからもオシャレな印象をが強かったかな。
 

HERE COMES A NEW CHALLENGER!

 
ラノベ作家を対戦形式で紹介してったら面白いのでは? という、わりと苦し紛れの思いつきだけで書き始めたこのネタ。終えてみると、ある作家単体で彼/彼女について思考を巡らせているだけでは出てこなかった言葉が浮かんできて、自分としては思ったより有意義な時間を過ごせました(それっぽいまとめ
 
あとは安井謙太郎吉田直とか、平坂読渡航とか、佐島勤と川原轢とか、入間人間西尾維新とかの組み合わせもちょっと考えたけど、いまいち広がりきらなかったのでやめ。みんなも自分の好きな対戦カードを組んでみてね! ただし対立煽りにならないように注意。
 

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「もういちど読みたい山川日本史」で対立煽りを食らう紫の字と清の字

 

*1:死語