周回遅れの諸々

90年代育ちのオタクです

エンタメ寄り長谷敏司の魅力 「円環少女」「ストライクフォール」他

長谷敏司が久々にラノベレーベルで新作を発表! ってことで、エンタメ寄りの長谷作品の魅力とか特徴とかについてつらつらと語る。

 

今も連なるエモさを感じる「楽園」「フリーダの世界」

長谷敏司という作家は、2001年にスニーカー大賞金賞を受賞して世に出た。

 

デビュー作の「楽園」は、一千年の間、二大陣営が戦争を続けている時代。敵がひた隠しにしている惑星へ、調査のために一人の兵士が降り立つ。しかしそこには敵の兵士と幼い女の子がいるだけで……。というのがあらすじ。

 

最初に読んでから暫く経過してから知ったのだけど、本作は、アニメーション映画「ウインダリア」(1986)の主題歌である、新居昭乃「美しい星」が重要なモチーフとなっているとか*1。こういったサブカル的なものもそうだけど、冷戦構造とか学生運動とか、80年代まではまだ辛うじて残っていた要素とか雰囲気とかいったものが長谷作品には多く含まれている。

 

 

「楽園」の1500年前の世界を舞台にしたのが、2002年に発表された「天になき星々の群れ フリーダの世界」だ。突然の占領に混乱する中で市民の群集心理が浮き彫りになっていき、何不自由なく育ったどこまでも楽観的な少女と、暗殺者の少女、友人として出会った二人の倫理が対立する。

 

仮タイトルが「女子校スナイパー」で、著者は「これからは百合が来る」との思いから執筆したそうで。当時は「マリみて」が一大ムーブメントを起こしていたしまあ分かるのだけど、今読んでみるとサツバツキルミーベイベーという印象を抱いてしまい、時間というものの残酷さを感じた。あとヒロインがメガネ。少女暗殺者。ク、クラエス

 

この2作から今に至るまで氏の小説に共通しているのは、文章からほとばしるエモさだ。広大でゆるぎない世界と、どこまでも一個人にしか過ぎないもろい人間。この二者が衝突した時のきしみを描くことが青春物の要件なら、長谷作品は全て青春小説だとも言える。男も女も老いも若きもみんな人間味に溢れていて、感傷を隠そうとしない。そんな彼らの生き様は、読者の情感を直球で揺さぶってくる。

 


ラノベofラノベ円環少女

2005年から始まった始まった「円環少女」シリーズは全13巻、長谷のラノベ作家としての代表作だ。

 

無数の魔法世界のひとつから、魔法を自由に使えない「地獄」である地球に堕とされてきた魔導師鴉木メイゼル(「せんせ」のことが大好きなどS小学生)と、彼女を監視する専任係官武原仁(仮の姿は小学校教師)の戦いを描く。

 

まず、登場する魔導師たちがおおむねそれぞれひとつの魔法体系=ひとつの世界を背負っていることから生まれる膨大な設定の数々が厨二マインドを刺激する。地球ではその魔法が現地人によって観測されると意図せず消去されるため役に立たない/主人公だけは消去能力を自分の意志で操ることが出来る、というのも燃える。

 

奇人変人によるギャグもキレッキレである。好感を抱いたのはコメディをあからさまにシリアスの踏み台にしないし逆もまた然り、ということ。皮膚を起点に魔法を使うため常に全裸で空を飛ぶエアダイバーって魔導師ってのがいるんだけど、彼みたいなぶっとんだのがゴロゴロ存在していて、作中の雰囲気などお構いなしに縦横無尽に活躍する。というかシリアスだギャグだというのはあくまでお話の都合であって、そのキャラクターがどっち寄りか、というのがそもそもおかしな話なんだろう。ベトナム帰還兵問題を取り扱ったフルメタみたいに(軍曹はベトナム帰りでも米国人でもないけど)、同じ題材から泣きも笑いも生み出せる、というのが一流のラノベ作家の条件だとしたら、長谷はまず超一流と言って差し支えない。

 

 

……ところで、視点人物としての仁は、隙あらば女体にいやらしい視線を向ける。どんなにシリアスな場面でも、ちちしりふとももに目が吸い寄せられてしまっている*2。20代の精力旺盛な青年としては仕方のないこととはいえ、作中人物にすら度々ツッコまれる彼の眼差しのいやらしさは、もちろんエンタメとしての読者へのサービスであると同時に*3、決して立ち止まらず常に行動しているけどやっぱり状況に振り回されている仁の情けなさそのものではあった。それらはコメディタッチに処理されるばかりではなく、一旦シリアスに振るとこんなどきっとする台詞も飛び出してくる。

 


おまえは、武原仁に、育ての父を殺した手で、そのでかい乳を揉みしだかれるのだと想像して、嫌悪したのだ。だから、頭では理不尽だと理解できても、肉体が拒絶するのだ

 

心がなくとも人の形をしてさえいれば「BEATLESS

BEATLESS」はそういった他人への*4への眼差しを、人を模したロボットが自在に誘導することができ、それによって心を操ることが可能になった――作中用語では「アナログハック」という――世界を描いている。



月刊ニュータイプで連載され2012年に単行本が発売された本作は、人型のロボットが社会に普及し、その開発すらAIが担う時代。AIに心は生まれるのか、ではなく、心はなくとも同じ形で、同じように振る舞うことができればそこに愛情は成立するのではないか、という命題を、美少女ロボットと少年のボーイミーツガールという形をとって我々に問いかけた。

 

連載の初期から漫画化、フィギュア化などのメディアミックス展開が行われていて、内容もビジュアルを強く意識したと思しき作品でてっきりアニメ化されると思っていたのだけれど、残念ながら現在のところその予定はないようだ。

 

 

超有名ステルスゲームの小説化「メタルギアソリッド スネークイーター」

2014年の「メタルギアソリッド スネークイーター」は同名ゲームのノベライズ。冷戦下のソ連で、第三次世界大戦の危機を防ぐため、スネークはかつての師と対決する。

 

わたしは恥ずかしながらゲームのシリーズは全く履修してこなかったのだけど、登場人物の内面を原作より掘り下げるノベライズは常に「内面を描くことでキャラクターを矮小化しやがって」という批判の的となる危険があり、特に氏の作品はセンチメントな面を強調するのでどうかな、と思っていたのだけど、シリーズの中でも時系列的に最初のほうで主人公がまだ年若い頃の物語だったというのが功を奏したのか、原作ファンにもおおむね好評のようだ。

 

……でも、どうだろう、他の原作タイトルとこの「スネークイーター」でスネークの性格って結構違うんでしょうか。スネークってもうちょいハードボイルド!って印象があったんですけど。

 

 

最新作「ストライクフォール」

そして、最新作の「ストライクフォール」は、宇宙を舞台にパワードスーツ的な物を装着した選手が戦うスポーツを題材にした青春SFとなっている。

 

円環少女」には、浅利ケイツというキャラクターがいた。いい年して英雄である兄へのコンプレックスが捨てきれず、そのダメ人間っぷりがシリアスに振ってもコメディに振ってもおいしいキャラとして、読者からは人気だった*5。本作の主人公は兄のほうで、ケイツとは違って真っ直ぐな少年だが、「円環」とは異なった形で兄弟の絆を描いている。

 

その展開から「タッチ」を連想する読者も多いし、著者も多分意識はしてるんだろう。けれど、「タッチ」ではあってもあだち充ではないかな、というのがわたしの受けた象だ。例えば、和也が死んだ原因が交通事故じゃなくて犯罪に巻き込まれたとかだったら全く別の話になっちゃうよね、とか……。とはいえ、浅倉南ヒロイン性論争には深く切り込んでくれそうな気がする。

 

本作はどうやらこの後も続くようだ。シリーズ物なりの味と言っても様々だけれど、状況が二転三転していくのは勿論、同じ命題にしつこくしつこく手を変え品を変え一歩進んで二歩下がる感じで迫っていくというのもその一つではあるだろう*6。1巻だけでもそれなりにまとまってはいるが、はたして2巻以降は兄弟の絆を、幼なじみを、宇宙を、どれだけ突き詰めて描いてくれるのだろうか。

 

*1:http://lanopa.sakura.ne.jp/kyoto_sf/taidan_2.html

*2:メイゼルが作中で唯一見せた最初で最後のおぱんつは果たしてしまぱんであるべきだったのか。あれは自分で買ったのか、せんせが用意したのか、そこんところどうなんでしょう。普段あれだけいやらしい視線を四方八方に向けてるせんせではなく、同性であるきずながあの時の視点人物だったというのが、つまりしまぱんという「隙」「子供っぽいアイテム」に繋がってるとかなんとか

*3:でもこれだけ長くやっててパンチラは1巻で1度だけ、それ以上の露出となると即全裸になっちゃうのが両極端。バイオレンスはド派手なのにエロはひたすら秘すれば花で一貫してた。ベッドシーンのひとつもない。それを匂わせる描写は大量に

*4:とは限らないけど

*5:仁×ケイツがコミケの島ひとつくらい独占してないのは不思議なことである。だって年がら年中糸で繋がってるんだぜあの血気盛んな25歳(♂)とヘタレ次男の35歳(♂)。これほど壁ドンが似合うカップルも珍しい

*6:「円環」ではメイゼルとケイツに天丼やらせた2、3巻が特に顕著で、そのせいか今自分が物語のどの辺りにいるか分からなくて、ジリジリした