『コバルト文庫で辿る少女小説変遷史』 現在の少女小説の主要読者は少女ではない
そもそも「少女小説」とは。新井素子「星へゆく船」や氷室冴子「なんて素敵にジャパネスク」、小野不由美「十二国記」、今野緒雪「マリア様がみてる」、雪乃紗衣「彩雲国物語」などの、少女に向けて書かれた小説のことだ。大正時代、吉屋信子のエス小説(百合小説)「花物語」の頃から言葉とジャンル自体は存在したのだけど、現在に至るそれは80年代の新井素子や氷室冴子らが確立させたという。
ファンタジー、学園物、BL。時代によって流行の変遷はあったにせよ、主要読者層はあくまで少女たちだった。しかし、2017年現在では読み手のコアは「
嵯峨景子『コバルト文庫で辿る少女小説変遷史』は少女小説の主要読者が「少女」ではない女性たちになるまでの歴史を、ジャンルを代表するレーベルであるコバルト文庫中心に辿っていく。表紙カバーの写真に写っているのは著者自身で、ジュニアモデルとかイラストでなく妙齢の女性が表紙という辺りに本書の肝がある気がする。
*1:そう、俺以外は
アニメ「うる星やつら」感想あるいは森見登美彦がガチの押井守信者だった話
去年の秋から、「うる星やつら」をつまみ食い視聴してた。言わずと知れた高橋留美子原作、「平凡な*1主人公のもとにある日突然美少女が降ってきて……」というハーレムタイプのラブコメのご先祖様となる作品。TVアニメでは2年目、劇場版は2作目まで「パトレイバー」「攻殻機動隊」で有名な押井守が実質的に監督をやってる。押井は結構好きなんだけど、「うる星」は名作と名高い「ビューティフル・ドリーマー」以外未視聴だったのです。
うる星の話
感想としては、80年代のオタクが日陰者とは、どうも信じられなくなってきた……。だって
ラムちゃんは、序盤の電撃電撃電撃押しだった序盤から10話「ときめきの聖夜」を経て、押して駄目なら引いてみろ、を実践するようになって可愛くなってきた。トレードマークである虎縞ビキニの一張羅から、セーラー服を着たりケープを羽織るようになったのもポイント高い。劇場版「完結編」の着替えシーンで、セーラー服脱いだらいつもの格好だったのには、ドキッとした。虎縞ビキニ単体だとなんとも思わないのにね。
*1:あたるが平凡かというと全く平凡じゃないけど
映画「夜は短し歩けよ乙女」 あなたの新生活にも「ご縁」がありますように
森見登美彦原作のアニメ映画「夜は短し歩けよ乙女」を、初日に観てきた。劇場は「極爆上映」「爆音上映」と名付けた音響に対するこだわりが有名な立川シネマシティ、の極爆爆音関係ないシネマワンの方*1。監督は、同作者の「
「黒髪の乙女」にひそかに想いを寄せる「先輩」は、夜の先斗町に、下鴨神社の古本市に、大学の学園祭に、彼女の姿を追い求めた。けれど先輩の想いに気づかない彼女は、頻発する“偶然の出逢い”にも「奇遇ですねえ!」と言うばかり。そんな2人を待ち受けるのは、個性溢れる曲者たちと珍事件の数々だった。山本周五郎賞を受賞し、本屋大賞2位にも選ばれた、キュートでポップな恋愛ファンタジーの傑作!
※あらすじは原作のものです
- 映像として
- 原作からの改変点:みんな異なる時間を生きている
- キャスティングについて
- デートムービー?
- つばさ文庫版、オモチロイ
- 原作と関連商品
映像として
独特の色遣いで表現された世界を、極端にデフォルメされたキャラクターたちが所狭しと走り回る、ジェットコースターのような映画だった。監督がアニメ「クレヨンしんちゃん」(映画・TVA両方)に深く関わってる人なんで、あのキャラクターを360度グリグリ動かして目が回りそうになるところとか似てるかも。
原作は古都・京都を舞台にした摩訶不思議なファンタジーで、それが大学時代の「何でもアリ」な空気に妙にマッチした青春小説。この10年くらいの「
この映画が「原作に忠実」かっていうと必ずしもそうではないんだけど、「四畳半」同様、原作者と監督の強い個性のぶつかり合いが化学反応を起こして、「夜は短し~」でしかない作品になってたと思う。「四畳半」の灰色の雰囲気に比べると本作はポップでカラフルなイメージを増してて、そこがくどいと感じることもあったけど。詭弁踊りとか。あとこの作画の凄さをみろやおらああああとばかりにカメラを正面に固定して踊りをノーカット長尺で見させられるの苦手。
*1:こっちは久々だったけどシネマツーに比べると音響面などで物足りなさは残る。あんまし大迫力! って感じの作品ではなかったのが救い
「リルリルフェアリル~妖精のドア~」を振り返る 最強カワイイ妖精エンターテインメント
昨年の2月から放送されていたキッズアニメ「リルリルフェアリル」の、1年目が終了した。妖精界(リトルフェアリル)と人間界(ビッグヒューマル)。フラワーフェアリルりっぷの、1話での誕生以来、遠く離れていたりっぷと人間の花村望は、24話でようやく再会する。ただし、人間にフェアリルの姿を見られてはならないりっぷは、ヒューマルとして正体を隠したまま。二人が本当の意味で再会するまでのは、50話を越えてから。1年物らしい、贅沢な尺の使い方だった。、フェアリルたちがビッグヒューマルに行くまでにヒューマルについて学んだりしてたのは他のアニメの妖精にも見習ってほしいくらい。
メルヘン、カワイイ、ファンタジー
基本的に「おねがいマイメロディ」以降のサンリオアニメを観てきた人間なので、たくさんのちみっちゃいかわいい妖精たちによるメルヘン、ファンタジーを全面に押し出したオールドサンリオアニメというのは逆に新鮮で、とても心地よかった。妖精が異界からやってきて面倒ごとを押し付けたり人間の成長を助けたりといった存在ではなく、妖精界はそれ単体で成立していて、どっちかというと人間の方がゲスト的な役割であるという、根っからメルヘンの世界観。
第5話a「
第35話はa、b共に絵コンテで参加した井内秀治さんの遺作となってしまった話数。aパートの「
そもそもどこかにある、異世界へとつながる小さな「妖精のドア」っていうのがヨーロッパに実際に伝わる伝承だし、登場人物?の一人オーベロンの名前はシェイクスピアの「夏の夜の夢」から取ってたりするし、設定の根幹からして結構ガチでファンタジーやってるのかも。
道徳を学ぶ番組として
しばしば多くのファンタジーがそうであるように、本作もまた、人生についてわたしたちにたくさんのことを教えてくれる。とはいっても押しつけがましさは全くなくて、視聴者はカワイイカワイイゆってる内に大切な言葉が染み込んでくる。
キッズアニメでは、一緒に見ている親御さんへのメッセージも重要だ。第10話b「
大人、道徳とゆえば第11話「
第44話a「
自分も大概「これお子様は分かんないだろw」というキッズアニメを観てきたけど、群を抜いてこれをお子様に見せてどうしようというんだ……と思ったのが、第25話「
カオス、マジキチはないと思ってた? 残念! サンリオアニメでした!
ワンエピソード丸々ギャグをやる場合、大体イケメンジョフェアリルが関わっている。自分たちをイケてると高らかに叫ぶ、「コジコジ」「おじゃる丸」「グルグル」などの作品世界にもいそうな、珍妙なやつら。その扱いは時々ギリギリアウトで作品の倫理観を崩壊させてるような気もするけど、彼らの存在が世界をより色彩豊かなものにしていることは否めない。
第18話a「
第28話b「
本編に限らず、イケメンジョダンスはメイン4人が歌う「りるりるわんだふるがーる!」のCDのB面に収録されるという、ある意味破格の待遇。裏の主役とすら言えるかもしれない。でもそれならもうちょっと彼ら彼女らが報われる話があっても罰は当たらないと思うよ……
恋
生まれたばかりのフェアリルたちも、恋をする。作中に「恋愛学」という性教育?の授業があり、恋愛感情が高まると変身したりという高河ゆんの「loveless」ばりの設定からしてガチである。
りっぷと花村くんは、お互いまだちゃんと会ったこと、話したことのない段階で、恋をつのらせていく。第12話a「
りっぷやローズちゃんたちの恋を見守る、大人のフェアリル、マージとゴールのカップルも好きだ。幼なじみである二人は、ゴールが虫も殺さないような笑顔と声で昔のことをああだこうだと持ち出し、マージはその度赤くなる。子どもたちをダシに事あるごとにイチャイチャイチャイチャ。(あっこいつら一線超えてるな……)という雰囲気を感じる。マージを演じる豊口めぐみはこの作品の中ではトップクラスのキャリアを誇るベテランだけど、かつてないほどの美人声オーラが出てた。
リルリルフェアリルの番組構成は全て隙を生じぬ二段構え
このアニメは一回の放送につき2話構成で、時折、a,bパートで意図して正反対の作風を織り込んでるフシがある。この傾向は「ジュエルペットサンシャイン」でも見られたけど、本作ではさらに極端さが増している。
前述した第12話a「
第39話「
第40話ではaの「
シリアスか、ギャグか。マジキチか、カワイイか。甘いか、苦いか。そんな二元論にこだわる必要はない。可愛いキャラが毒舌を吐いたからって可愛さが何ら損なわれるわけではなく、むしろより可愛くなる。そんな懐の深さがサンリオアニメの魅力だと思う。2年目の「リルリルフェアリル~魔法の鏡~」は放送時間帯が土曜朝から金曜夕方に変わったことがどんな影響を与えるのか、あるいは何も変わらないのか。どうなることやら。
*1:これはaパートのセリフで直接は繋がってないけど
「かぐや様は告らせたい」石上会計と、愛され非モテキャラブーム
例えば、映画公開間近、森見登美彦「夜は短し歩けよ乙女」の先輩。
例えば、赤塚不二雄の漫画を原作とする「おそ松さん」の六つ子。
例えば、竹宮ゆゆこ「ゴールデンタイム」の二次元くん。
例えば、マドカマチコ「WxY」の横田先生もしくはKY☆ポコニャン先生。
例えば、ドラマでは星野源が演じた、「逃げるは恥だが役に立つ」の津崎平匡。
当人の内心としてはいたって切実な問題なんだけど、非モテを叫ぶその姿が大仰すぎるがゆえにコミカルに映ったり、あるいは自覚して道化を演じてる部分もあったりして―――オタクが大学デビューするにあたりいっそぺらいオタクとしてキャラを作るとコアな部分を隠してオタク以外の人とも案外付き合えるとか、そのくせウェーイなリア充を無意味に見下してたらしっぺ返しを喰らうとか、二次元くんの描写はいちいちクリティカル過ぎる―――そういうところがキャーカワイイーって読者に黄色い悲鳴を浴びるキャラクターたち*1。最近良く見るような気がする彼らを、愛され非モテキャラ、とわたしは勝手に呼んでる。
※つばさ文庫版『夜は短し歩けよ乙女』の表紙はなかなかkawaiiけど、乙女が大学生には見えない……
*1:なお黄色い悲鳴をあげるのは女性に限りません