イリヤの空、UFOの夏:新海誠がブレイクしたので、今一度三大セカイ系について語る 02
「イリヤ」*1は、2000年に電撃hp第7号で連載がスタートした。元々「EGコンバット」「猫の地球儀」などのSFラノベで高い評価を得ていた秋山は、本作で一躍売れっ子となった。
「6月24日は全世界的にUFOの日」*2新聞部部長・水前寺邦博の発言から浅羽直之の「UFOの夏」は始まった。当然のように夏休みはUFOが出るという裏山での張り込みに消費され、その最後の夜、浅羽はせめてもの想い出に学校のプールに忍び込んだ。驚いたことにプールには先客がいて、手首に金属の球体を埋め込んだその少女は「伊里野可奈」と名乗った…。おかしくて切なくて、どこか懐かしい…。ちょっと“変”な現代を舞台に、鬼才・秋山瑞人が描くボーイ・ミーツ・ガールストーリー、登場。
企画段階の仮タイトルは「
文章で読ませるラノベ作家のベストワン
「イリヤ」のヒットには何ら不可解なところがない。小説めっちゃうまい人が、「ひと夏のボーイミーツガール」というとっつきやすい題材に取り組んだから売れた。それだけだ。勿論世の中には同じように上手い人が多くの人に受け入れられる題材を選んだけど売れなかった、という例は幾つもあるので、結果論ではあるのだけれど。そう言わしめるに足るくらいの力は本作にはある。
評論家の大森望が「薀蓄と漢語を多用した、男性的なっていうか、昔の歴史小説っぽい、あるいはミリタリーっぽい文体」「押井守が典型だけど、佐藤大輔、新城カズマ、秋山瑞人もその流れ」と評し。作家の久美沙織にこんなに文章うまいのになんでこんなもの書いてんだ*3とまで言わしめ。全く関係ない日日日のデビュー作の解説で久美がセカイ系をdisる羽目になった秋山を、いまだに文章で読ませるラノベ作家のベストワンに挙げる人は多い。言葉遊びを多用したりネットスラングのパロディを打ち込んだりする変格派としてではなく、登場人物の内面と情景をビビッドに描き出す表現力を持った本格派として、「一般文芸」というメジャーに殴り込むラノベ作家。当時の読者にとって秋山瑞人は、そういう夢を見させてくれる作家だった。それでいて、「おっくれてるぅーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」みたいなラノベラノベした表現も、必要と思えばガンガン使ってくるのも強みではあるだろう。
文章は端正で正統派でものすごく読みやすいし、クスグリぐらいの諧謔があって、いまどきの14歳の精神性の高さというか深さというかを感じさせてくれてものすごくビビッドで。独特のリズムがものすごく気持ちよくて。ステキな文章を読む快感中枢を、ものすごく刺激されました。
これが「一般集計」のダントツ一位なら、“ライトノベル”っていったって、ただ文庫のレーベルの問題でしかないんじゃないのか、こりゃ少なくとも直木賞レベルだろう、そこらの中間小説作家より、ダントツだんぜんうまいじゃないかー! ……と思っていたら……水前寺さんが出てきて、保健室の先生が出てきて、「ははぁなるほど……そうだったのか」。
夜のプールでのヒロインとの出会い、ヒロイン同士の女の意地をかけ、恥も外聞もなく繰り広げられる「鉄人定食」大食い対決、中学生男子のほとばしる性欲からのオナニー、どこか懐かしい学生時代の喧騒、
作家と登場人物の遠さ
ただ、技倆だけで人を泣かす小説である、とは言えて。主人公の浅羽は、ボンクラ読者がこいつは俺だ、と思わず言いたくなるような、セカイ系の典型であるとしばしばゆわれる過剰な自意識、自分語り、ナルシシズム、そういうものには欠ける。作者の内面を忖度するというのが神をも恐れぬ所業だと承知で言えば、秋山瑞人という一個人が登場人物全員から一歩引いているように感じる。
作中で浅羽がオナニーしてる間にホームレスに襲われたイリヤが処女非処女論争の的になったりしてたけど、そういう話題大好きな自分がいまいち乗っかり切れなかったのは、作者がヒロインに対してもそういうベクトルでの思い入れがあるかよくわからなかったからだろうか、なんて今になって思ったりする。というかまあ処女だろうとそうでなかろうと浅羽がそれを信じきれなかったというのがポイントなんだろうけど。何もわかっていないような顔しているイリヤが浅羽の表情から何かを悟って「なにもされてない! なにもされてないから!」って必死になってアピールするのいいよねよくない。
そういうところつっついていくと気になるのが「イリヤ」とその路線を継ごうとした「ミナミノミナミノ」と、それ以外の秋山作品の違い。デビュー作「E.G.コンバット」と「イリヤ」はどちらもヒロインが女性の軍人という点では共通してて、いかにもマッチョなルノアと儚げなイリヤでは全然違うようにも思えるけど、「無銭飲食列伝」読むとそこまでの差はないような気もする。まあ「EGコンバット」の場合原作付きなので比較対象として正しいかどうか分からないけど。
好きなキャラクターは、床屋をやってる浅羽の両親。大人なんて屁にもしない水前寺が二人には年相応の顔を見せるのが微笑ましかった。また本作の日本は「北」と呼ばれる敵対国家と緊張状態にあり、舞台である地方都市・園原市には自衛「軍」と米軍の基地が共に設置されているのだけど、米軍のいかにもアメリカンナイズされた陽気な兵士と市井の冴えないオヤジが和気あいあいとしている様子には和まされる。ガルパンの秋山殿のご両親を見た時は、あの二人ってこんな感じかなあと思ったり。
みんなの妹、浅羽夕子ちゃんは「ほ兄ちゃん」とかないわーと思ってたオタクが読んでる内に「ほ兄ちゃんいい……」となる。これが秋山の文章。
イラストと文章の関係
イラストは「ぱんつはいてない」で有名な駒都えーじ(こつえー)。3巻の表紙には、メカと少女を絡めたイラストの第一人者たる所以が垣間見える。
連載時は普通に本文挿絵としてイラストが挿入される形だったのを、単行本では口絵・扉絵オンリーにして本文の流れを極力阻害しない形にしたのは英断だったと思う。
(第1回の雑誌掲載時のイラスト)
本作は連載時に枚数制限がなかったとか。雑誌でそういうことってあるのだろうか。当時の電撃では一貫した姿勢だったのか、秋山の文才を見込んで故のことか。いずれ、どんな文才でも作品が発表されなければ意味はない。盟友・古橋秀之とのシェアード・ワールド武侠小説「龍盤七朝」シリーズは多くの読者にラノベ史上に残る傑作となる予感を抱かせたが、2012年に2巻が発表されてから、約5年の間、音沙汰なし。
わざわざいつまでも続きを待っている、なんて言わない。待ってる間、読者は何ができるわけでもないから。ただ、発売されたら買う。それだけだ。