周回遅れの諸々

90年代育ちのオタクです

秋田禎信とSUBARU、五つのハートフルな物語 『Your story with あなたとクルマの物語』


というわけで、ノベライズ大好きおじさんと化した近年の秋田禎信作品の中でもぶっちぎりに謎な仕事、SUBARUの同名CMシリーズの小説版です。ほんと、SUBARU車どころか普通自動車免許も多分持ってない秋田になんでこんな仕事が来たのか……*1


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どうやら金曜ロードショーで流れてるこのCM自体が、「泣ける」と評判の様子。し、知らなかった。CMのノベライズ、という企画がそもそも謎なんですが、まあCM自体のコンテンツ化っていうのはわりと定番なのかなとも思います。大成建設Z会新海誠製作CMとか。それこそ、金ローで放映される映画の内容に合わせたコラボCMとか。「君の名は。」金ロー版の怒涛のコラボCMは記憶に新しいところです。


この作品は、元のシリーズCMから五つの物語を小説化しています。

  • 「父の足音」篇
  • 「以心伝心」篇
  • 「路」篇
  • 「新天地」篇
  • 「助手席」篇


の五篇です。大まかな筋は原作と同じでありつつも、秋田先生により登場人物の過去や内面描写が肉付けされています。


車のCMだけあって、登場人物の年齢層は高め。彼らはそれぞれが自動車にまつわる、苦い記憶を抱えています。高校まで送ってくれる父との二人っきりの空間が苦手だった受験生、撮影旅行で現地に向かう際、進路のことについて相棒と口論になり途中で降りていってしまい以降長いこと会ってない中年編集者、友人とのドライブで乱暴な運転をされ車酔いでもどしてしまった女性……。誰もが日常的に遭遇する可能性のある出来事たち。


秋田禎信には、「誰しもそうだけど、俺たちは就職しないとならない」という著作が存在します。就活とその先にある社会人生活の理不尽をネタにした、ナンセンスコメディーです。「Your Story with」は多くの社会人が登場しますが、彼らからは当事者としての切実さが赤裸々に伝わってきます。それは、学生が主人公の「就職」にはなかったものです。



「以心伝心」篇の若手社員は、発注ミスにより数千万の損害を出してしまう。ラインがもう動いてしまっているので、ミス自体は帳消しにはできない。彼は取引先への謝罪行脚の中、「誠意」というものについて考えさせられます。

ダメージコントロールというのがある。昨日、家で何度も「許される方法」で検索した。スキャンダルを起こしたアイドルの話を見かけた。言抜けしようとしたり、嘘をついたり、逆に本当の事実関係を公表して潔白を訴えたとしても悪くしかならない。世間の怒りが収まる役に立たないからだ。
だから一番ましな対応は、しょっぱなに最大の罰をタレントに与えることだそうだ。そこまでやらなくても、と思わせて初めて許される。武士の切腹と同じだ。
読んで、嫌になった。この話自体が、じゃない。こんな「誠意の見せ方」がすっかり解説されてしまっていることだ。これでは丸坊主と同じで、その通りにやっても見透かされるだけなんじゃないか。
この世から誠意なるものは、どんどん少なくなってる。性根のせいじゃない。ルールがチキンレースだからだ。

社用車で乗り付けるより電車で行ったほうが誠意が伝わるだろう、なんていうのは他所事ならいかにも非合理的と笑われそうだ。
俺も学生だった頃はそう言ったろう。大いに馬鹿にしたに違いない。
でも今は、なんにだって縋りたい。丸坊主になって許されるならそうしたい。でもさすがにそれは火に油を注ぐだけだろう。


「新天地」篇の主人公は管理職。本社から地方支社の若手ばかりの部署に、課長として配属される。部下は優秀で、いつもやれ企画だ競争だプレゼンだと忙しかった本社と比べると、雰囲気も柔らかく感じられます。


しかし、初日からボタンを掛け違えたばかりにうまくなじめません。他の社員が帰った後に思いついて残業すれば、「上司が残業してるのに部下は何やってるんだ」と外部から言われる。和菓子を持っていけば、上司に気を遣わせたと部下が恐縮して、次から当番制で茶菓子を持ってくるなんて話になる。昼休みにバレーボールをやらないかと誘っても球技経験のある者はおらずやんわりと断られ、それを聞いた総務部の若い子に声をかけられ、自分の課を差し置いて他の社員を遊ぶことになる始末……。

さすがにもうこれ以上悪いことはないだろう、と思っていたら、雑談中に我知らず口が滑った。前の組織でどんな仕事をしていたのか、どういう付き合い方をしていたのか、長々と語っていた。自慢たらしい、嫌みな親父としか言いようがない。わたしだって常々、そんな奴にだけはなりたくないと思ってきたのに。なんでそんな馬鹿なことを話し出しのか、自分が恐ろしい。なにかが掛け違うと、常識的な判断もできなくなるというのを知った。逆に、今まで軽蔑してきたそんな老人たちに少し同情を覚えた。


フィクションでは、子供の転校の大変さばかり取り上げられます。でも、同じ会社で職種も業種も変わらなくとも、大人だって新しい環境に慣れるのは大変ですよね。まして平ではなく管理職の場合はなおさら。

いっそタクシーで帰ることにして、みんなと同じように飲むべきだったか。わたしが飲まずにいたせいで盛り上がらなかったんじゃないか。
たった数千円のタクシー代をためらって、大事な判断を間違ったのか。


先に、登場人物たちは車にまつわる苦い記憶を抱えている、と書きました。実はそれは車に「まつわる」ことではあっても、車が「原因」ではなかったりします。一つの要因であったとしても、それはとても些細なものです。上に引用した「タクシー代をケチって自家用車で帰るため飲酒しなかったので場が盛り上がらなかった」というのも、元を正せば人間関係の問題です。とはいっても、人間関係っていうのはそうした些細なことが降り積もって変化していくのも否定できなくて……。


でも、それは逆に些細なことが問題解決の糸口になりうる、ということでもあります。自動車はそんな時、少しだけ彼らを後押ししてくれます。誰かと一緒にいるための居場所として。どこかに連れていってくれる手段として。この物語が特徴的なのは、この居場所や手段というやつが時と人によって振り子のように喜びとなったり、苦痛となったりするということを描いている点でしょう。


それでも、どんな扱いを受けても、人生という物語を生きる人達に、自動車はそっと寄り添っていてくれる。それを綴る作者の筆致はとてもあたたかいものでした。


*1:1999年のインタビューや、最新では2015年時点で車に限らず運転免許の類を持ってないとtwitterで本人が述べています。以前「おっさんのたまご」というエッセイ企画で取得した小型船舶免許も既に失効したようです