周回遅れの諸々

90年代にオタクとしての青春を過ごした人のブログです

「泣き虫弱虫諸葛孔明」完結! 虚実を自在に行き来する作家、酒見賢一

この小説ともエッセイともつかない本に興味が湧いたのは、おすすめのライトノベルを語る企画で、複数人がタイトルを挙げてたから。孔明を始めとする奇想天外な登場人物、アニメやプロレスなどのパロディを無造作にぶっこんでくる作風。別冊文藝春秋連載で、出自から言えばラノベとはなかなか縁遠い作品だけど、ラノベ読みとも親和性が高いので是非読んでほしい、と唱える人たちがいたのだった。


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三国志」には、いくつかのレイヤーが存在する。史実としての「三国志」。劉備らが築き上げた蜀漢の官僚・陳寿が綴った歴史書としての「三国志」。これに裴松之が注釈を加えた「三国志」。後の時代、羅貫中が執筆したエンタメ小説としての「三国志演義」。この「演技」に連なる吉川英治横山光輝などの「三国志」……。「三国志」を題材にする作者の多くは、その人なりの歴史観なり作品の狙いなりから、陳寿寄りか羅漢中寄りかといった基本姿勢を決めた上で、自分だけの作品世界を作り上げていこうとする*1


酒見三国志諸葛孔明を稀代の変人として描くというのがウリではあるものの、確固たる「三国志」観のようなものは感じられない。「赤壁」や「三顧の礼」などの見せ場に当たると作者自らが頻繁に出てきて無数の「三国志」のこちらではこうなってるがあちらではこうなってると取り上げ、本土中国の関羽の異常な人気、日本のBL同人などその受容史まで語り、ツッコミを入れ、茶化し、史実と虚構を何度も行き来し、最終的には「まあじゃあこの場では裴松之の説に従ってみましょうか。面白そうだから」てな感じで話を進めてしまう。


関羽に付き従う【周倉】は正史にはいない、存在自体が創作だと云われている登場人物だけど、本書ではどうしたかというと、「関羽にしか見えない特殊武将」に設定してしまった。


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「演技」と比べ正当な歴史書とされる陳寿三国志も、一人の人間の視点から書いてる時点で、全くの史実とは言い難い、という姿勢が貫かれてる。陳寿が書いたものに裴松之が「@chinjuさんのSSは解釈違い過ぎて地雷です。原作はこれこれこういうものです」と注釈を入れ、それを読んだ酒見が「FF外から失礼します。それは違うのではないでしょうか」とリプしてくる。そんな地獄が文章中で展開される。でもまあこういう地獄って見てる分には*2楽しいんだよね。一作で色んな三国志を知ることができるので初心者にもおすすめか? でも一度に膨大な量の情報が流れてきて、下地がないと混乱しそうな気もする。した。


歴史的な読み物に注釈を入れつつ話を進める。こういった「講談」調の小説は本邦においては司馬遼太郎が有名だけど、酒見の場合歴史を語るにしても「呉(ご)」の連中をを「呉(くれ)」繋がりで広島ヤクザに仕立て上げたり、南方侵攻の際に孔明が使用した虎戦車をトランスフォーマーに喩えたり、皇帝を名乗った曹操の息子・曹丕を「味皇みたいなもので何の権威もない」とゆってみたり、「三国志」需要の一端として「神聖モテモテ王国」のページを唐突に引用してみたり。孔明がなんかやらかすと、周囲は当然「げぇっ」と悲鳴を上げる。


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多分に自分が「史実」と見ているものすら虚構だという意識が強いというか、ゆってみればオタク趣味、ボンクラ色が強い。もちろん、中国史について著者の知識は膨大で、なのに虚実関係なくネタをぶっこんでくるので、読者は自分が一体何を読んでるのかわからなくなる。


分厚い教養、オタク趣味、フィクションに対する態度。そこから生まれる、稚気を感じさせる壮大なホラ話。これらは皆、デビュー当時からの酒見の特徴である。1989年、第1回日本ファンタジーノベル大賞*3を受賞した『後宮小説』は、中国史の中に架空の王朝がまるで実在したかのようにぶちあげる小説だった。主人公の皇妃について書かれた様々な文献が存在していて、著者=視点人物はそれらを元に文章を書いている、という体裁に騙された読者は多いだろう。



『童貞』は現代人から見た荒唐無稽さを恐らく意図して再現したお話で、女性の象徴である「河」を主人公がレイプしたりする。生意気にも氾濫を起こし俺様がせっかく作った堤を壊す豚女はレイプしてくれるわ~! とかそんなクラウザーさんみたいなノリ。いやほんとに。『語り手の事情』は、ヴィクトリア朝時代のイギリスで、父親のエロ本をこっそり読んでその手の「お約束」に通じてるおぼっちゃんが「語り手」のメイドとくんずほぐれつしたりしなかったりする内、虚実の境目が曖昧になっていく。著者は別の本のあとがきで「YU-NO」の素晴らしさを語ってたけど、この小説もあるいは「籠の中の小鳥」辺りから始まるメイドブームに連なる作品だったりするのだろうか。



こういう趣味を考えると、「三国志」を描くに当たって一番フィクション性が高い孔明を主人公に選んだというのは必然だったんだと思う。


最後に、タイトルについて。確かに劇中の孔明はすぐ弱音を吐いては黄氏に慰められているし、涙を流す。しかし、序盤からのそれは、あからさまに策略のための芝居、嘘泣きとして描かれてきた。ところが、終盤、劉備たちが孔明より先に次々と逝き、年を取り、周囲に気の合う? 仲間がいなくなってくると、虚飾の仮面を脱ぎ捨て、ガチ泣きするようになる*4。さしもの孔明も年月には勝てなかったか……



……などと、思わずしたり顔で語ってしまいそうになるが、さにあらず。作者は、孔明の虚の部分も実の部分も、序盤から両方ともに描いてきた。それを、ある時期を境にすっかり人間が変わってしまったかのように捉えがちなのは、後世の人間の悪い癖である。孔明の実像などといったものはこの小説には描かれていない。しかし、創作だ与太話だと一顧だにせず切って捨てることもできない。これは、そういう小説だ。

*1:と思う

*2:そしてこっちの精神状態が悪くなければ

*3:鈴木光司畠中恵森見登美彦などを輩出

*4:合わせてパロディなどの類が減りパワーダウンしたって人もいるけど、酒見賢一って人はパロがなくともデフォでユーモラスな文章を書く人なので、自分にはこれくらいがちょうどいいかも

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