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周回遅れの諸々

90年代にオタクとしての青春を過ごした人のブログです

猫に説教される底辺ラノベ作家(33)~心にしみる私小説「先生とそのお布団」、カクヨムで公開中

角川が小説投稿サイト「カクヨム」を立ち上げて、約二ヶ月が経過した。オープン初日にプロ作家であるろくごまるにが、角川(富士見書房)の編集上の不手際を糾弾する文章をあげてから*1、一時はすっかりそういった作品の発表の場として人気を得てしまった感がある。つまり自己言及的というか内部暴露というかそんなような。

 

kakuyomu.jp

 

その辺りを意識したわけではないだろうけど、これもプロである石川博品が発表した「先生とそのお布団」は、デビュー3年目の売れないラノベ作家・石川布団と、彼の小説の師匠である「先生」と呼ばれる猫の日常を綴った私小説(フェイク)だ。

 

ラノベ作家残酷物語という虚像

 

主人公の「オフトン」は33歳。「ピコピコ文庫」の新人賞を受賞して世に出るも、デビュー作「猛毒ピロリ」は3巻打ち切り。

 

 

スーパーでバイトしながら1年かけて企画を練ってきた新作は、奇抜すぎるという理由で編集会議を通らず、とうとう版元と袂を分かつことに。「女相撲」を題材にした「国学園乙女場所」を複数の出版社に持ち込みし、散々駄目だしされながらも、ようやくゴーサインを出してくれるところを見つけたものの、いざ書いてみると筆が進まなかったり、家族が入院したりで、うまくいかず……。

 

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世知辛い。とても世知辛い。サブタイトルを眺めているだけでウッ……ってなる。けれどこの作品には、絵に描いたような自分の欲望だけを追い求める読者も、無能で強圧的な編集者も、怠惰な作家も、子供に自分の理想を押しつけようとする親もいない。かといってよくできた奴ばかりでもない。みんな社会人として当たり前に仕事ができるし、出来ないことは出来ない。親兄弟は押しつけがましくならないよう配慮しながら、経済的に不安定なオフトンに優しさを向けている*2。文章もそれに歩調を合わせたように、やわらかい言葉で綴られている。それなのに、というかだからこそ、作家活動がままならないのが辛い。

 

 他のレーベルに行くことに対しては不安しかなかった。

 新人賞を獲り、担当編集者がつくということは、その担当が選考の場で彼の応募作を強く推してくれたということを意味する。
 彼とピコピコ文庫とは担当の齋藤を介してのみつながっていた。

 ピコピコ文庫への帰属意識は彼の中になく、ただ齋藤との信頼関係だけがあった。
 そこから離れてしまえば、彼は孤立無援である。

(結局、あの人には何がおもしろいのかわからないのだ)

(だからジャンルに当てはめて判断しようとする)

(でも……それは当然のことだ。なぜって自分にもこの企画がおもしろいのかどうかわからないのだから)

(たった五枚でおもしろさを十全に表現できるのなら、苦労して300ページも書くことはない)

 「じゃあピコピコ文庫から移籍するってことですね」

「移籍……?」

 美良が眉間に皺しわを寄せた。「布団さん、出版社やレーベルに籍があると思ってんの? 独占契約を結んでるわけでもないのに。私たちの生活やキャリアを保証してくれる人や組織はどこにもないよ。それってけっこう辛いけど、私はどこにも属さず自由でいることに誇りを持っている。布団さんは心のどこかにレーベルが自分のことを守ってくれるっていう甘えがあるんじゃないかな」

 

絵に描いたように~と言ったけれど、引用したような台詞は、わたしたち一般読者があとがきやインターネットで見聞きするそれに比べて、特に目新しいものじゃない。なのにこれぞ真実だと錯覚してしまうのは、例えば「本業」が他にある人が、バイト先では自分はあくまで金を稼ぐ機械であろうとする心情だったり。労働から帰宅してすぐスーパーのパックの刺し身を皿にも移さずどっぷりと醤油につけて食べる侘びしさだったり。兄が自販機でコーヒーを買ってるのに弟は水筒に入れた水道水を口にしているという落差だったり。そういうさりげない、けれど細やかな描写によって、作品世界全体に説得力が生まれているからだと思う。

 

作家は何故猫を飼いたがるのか

 

わたしが20年間ラノベを読んできた中でも、ないものをあるように見せかけることに関しては石川博品の文章は群を抜いている。その技術が余すところなく注ぎ込まれているのが、「先生」という飼い猫の挙動だ。石川の言葉を信じるなら、猫との生活を書くことこそがこの小説の肝で、ラノベ作家云々は後から付け足されたものだという。本人は猫を飼ったことはないそうだ。

 

石川博品のおしゃべりブログ: 短編「先生とそのお布団」カクヨムにて公開中

 

この猫は、元々ラノベの大家・尾崎クリムゾンに飼われていたのを、オフトンのところに引き取られてきた。尾崎の弟子である和泉美良も可愛がる「先生」は文学全般に通じており、何かというと独りよがりな思考に陥るオフトンを諌めている。

 

「稚気愛すべし、というやつだ。だがオフトンは稚気の使い方をまちがっている。力を抜いて読むべきところにも遊び心のある文章を置くから読者は力を入れて読まねばならなくなる。結果、読みにくい文章ができあがるのだ。遊び心はここぞというときのために取っておくがいい。シークエンスの最後で力の入った、フックのある文章を見せてやればシークエンス全体が読者にとって印象的なものになるだろう」

「引くことをおぼえろ、オフトンよ。1行目で読者は、何事が起こっているのかと疑問に思う。その答えを知りたくてすかさず2行目以降に目を移すだろう。そこで物語の舞台を描写して読者にそれを呑みこませるのだ。そして1ページののち、1行目のシーンが何だったのか、じれている読者に明示してやる。ここまで来れば読者は物語のとりこだ」 

 「もの作りの大半は地道な作業だ。やる仕事のすべてがクリエイティブなのは行きあたりばったりの詐欺師だけだぞ」

 先生は音もなく机に跳びのる。

「それでも僕はひとつひとつのことば、ひとつひとつの文に深い意味とバックグラウンドストーリーを忍ばせたいんですよ」

「そんなものが書きたければ歴史の年表でも書いていろ」

 

「先生」の言葉がオフトンの指針になっていることは間違いない。けれどそれよりもオフトンを勇気づけているのは、彼の背中に乗る肉球の感覚だったり、豆腐をアイスのように舐める意地汚さだったり、amazonの段ボール箱に身を潜める可笑しさといった、小説とは無関係の姿だったりするんだろう。「先生」の暖かい感触に励まされ執筆する彼は、ほんのひと時だけ世間のしがらみから解放され、書くことの法悦を味わう。

 

 彼はペンを執った。

 ――土俵の中央で裸の胸と胸がぶつかりあい、汗が弾けた。

「ふむ」

 先生が原稿用紙をのぞきこんだ。「これでは男どうしでやるふつうの相撲に見える」

「あ、そうですね」

「それに、土俵と裸の少女をいきなり登場させるのは突飛すぎて読者が面食らう。その結びつきを理解しようと頭をはたらかせてしまうので、かえって印象が薄れるのではないか」

「なるほど。ということは、ここは裸だけでいい」

 ――裸の乳房がぶつかりあうと、汗が弾けた。

「いや、もっと攻める!」

 ――ぶつかりあう裸の乳房は、大きい方に分があった。

 

 

私小説ライトノベルのあわいで

 

著者=主人公の内面を誇張せず描く「私小説」は、一般的にラノベからは縁遠いものとされている。大塚英志の言うところの「まんが・アニメ的リアリズム」によって描かれる、非現実そのものの小説は、私小説がその代表であるところの自然主義文学とは対極にあるから、だろうか*3。また、ラノベではそもそも作家にファンがつかないと噂されてるのも、関係があるのだかないのだか……。

 

 

ただしラノベにおいて、全面的に作家の影が薄いというわけじゃない。彼の業界では、あとがきがほぼ必須という鉄の掟がある。作家は自ら作り上げた物語から地続きのそこで、言葉によってアバターを作り上げ、読者に親しみを持ってもらえるよう、面白おかしく、あるいは可愛く自分の似姿を演出する。読者はそれがフィクションだと半ば分かっていて、面白がる。古くは新井素子、近年では渡航など*4、セルフイメージの構築に長けた作家のあとがきは多くのファンを魅了した。

 

石川はことさらにあとがきで名を売った作家ではないものの、嘘をつくことに関しては彼らにも負けない力があり、あとがきやブログでもそれは発揮されている。本人は今回の連載に当たって「内容については真に受けないでください」と言っているけれど、ファンが読めばあああれはこれのことなんだなと分かる書き方しといていけしゃあしゃあと吹かしやがって……! と*5思わざるをえない。一方では自然主義っぽい描写を挟みつつ、もう一方ではいかにもファンタジーな要素をぶちこんでくる。現実と作り物の境界線が分からない次元の狭間をふわふわと漂い、著者の気まぐれに翻弄される。身につまされる話も多かったけれど、この楽しさを2週間味わえただけでも、自分にとってカクヨムが生まれた意味はあったと思う。

 

ありがとうKADOKAWA。ありがとう石川博品(布団)。……エピローグで博品のほうのリアル商業新作がばばーんと発表されたりしたら、もっと幸せでした。「映画化決定!」のノリで。

 

kakuyomu.jp

 

 

*1:電子出版契約の問題で、それ自体はカクヨムとは直接関係ない

*2:そもそも彼が作家を志したきっかけも、父親との繋がりによるものだ

*3:全く自然主義ではないけど、滝本竜彦の小説は例外的にそういったものとして読まれていた節はある

*4:この人はどちらかというとあとがきよりブログがそのキャラの発端だが

*5:超笑顔で

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