「このすば」のアクア様とカズマさんがオーフェンとコギーだった
数多の異世界転生物がヒット作を飛ばしている。中でも「この素晴らしい世界に祝福を!」は特に、
曰く「めぐみんの爆裂魔法はスレイヤーズのリナが使うドラグスレイヴだ」「じゃあめぐみんのライバルであるトモダチいない巨乳のゆんゆんはナーガ?」「めぐゆんはあの日僕らが夢見たリナーガの姿」「直球でファンタジーRPGパロやってるという意味ではフォーチュン・クエストなのでは」「いやグルグルだろう」「クズマさんのクズっぷりはむしろあかほり作品の主人公のそれでしょ」「いやなりきれてないじゃん」云々。
私なんかはアニメだけで言えば、なんだかんだで「
さて。私は「オーフェン」が特に好きだったので、そっちと絡めて話すと(平常運転)、カズマさんとアクア様の関係は
なつかしの異世界転生・召喚もの徒然語り
2月から3月にかけて、書評サイト「シミルボン」で連載書評を書いた。「なつかしの異世界転生・召喚もの」というテーマで全5回。過去に書いた感想を下敷きにさらっと済ませるつもりだったのだけど、思ったより手こずってしまった。
取り上げたのは、
の5記事6作品。で、以下は連載の前に試しに書いてみたラフスケッチ的な文章。一つ一つの作品に焦点を絞ったシミルボンのほうと比べると思うがままに書き連ねてる感じ。連載と重複も結構あるけど、あちらで執筆候補から外したものも載っけてて、埋もれさせるのも惜しいので(あと連載の影響でこのブログの更新頻度が減ってたので)、こっちにあげてみます。
現在、ライトノベル・Web小説を中心に異世界転生・召喚ものが大流行している。でも、このジャンルはもちろん、昨日今日に生まれたものじゃない。Web小説書籍化の最右翼「ソードアート・オンライン」(ゲームの世界を舞台にした物語は別物って人もいるだろうけど)や無数の二次創作を生んだ「ゼロの使い魔」を現在に続く流れの起点と見る人もいれば、歴史物とはいえ「王家の紋章」の影響は無視できない、いやいややっぱファンタジーは海外発だろということで「ナルニア国物語」を挙げる人もいるだろうし、往きて帰ったり帰らなかったりする物語なら「神曲」「ファウスト」忘れんなとか、は? 異界探訪の原型はオルフェウスやイザナギのアレだろ? って人もいるかもしれない。
とはいえ、私にはこの流れを解説できる教養も文章力もないので、ひと昔以上前のやつで、いくつか特に印象に残った作品を挙げてみるだけにする。
続きを読む平和な「のんのんびより」村を支配するベテラン声優・平松晶子
日常系アニメ「のんのんびより」を観たのん。田舎の女の子たちののどかな生活を描いた、「あっと」先生の漫画が原作。2013年に一期、2015年に二期が放映されたアニメなのん。
有名なアニメーション美術制作会社である「
キャラクターでは、OLに間違われるくらいの高身長なのに内面はどこまでも子供っぽいほたるん。お調子者だけどお兄ちゃん大好きっ子ななっつん。この手のきららアニメの男キャラの背負った業として、画面にたまに映るけど一言も喋らないお兄ちゃん。お兄ちゃんをなっつんから奪おうとする*1強キャラ感あふるるこのみ姉。主役のれんちょんに駄々甘のヤンキー・駄菓子屋、なんかがいい味出してましたですのん。
でも、印象に残ってるという意味では、
*1:なお二次創作設定
「寝取られてもいい。幸せになってほしい」理想のNTRを探して
もうすぐ春ですね。春は出会いと別れの季節ですね。ということは寝取られ(NTR)の季節でもありますよね。
NTRは好きだ。好きだと思う。断言できないのは、寝取られる対象が必ずしも彼女や奥さんでなくてもいいし、彼氏が登場しない話でもひげなむち作品とか好きだしそれは果たしてNTRといえるのか、というお定まりの議論があるからなんだけど。
なんにしろ、映画「
以前はこのジャンルって例えばエロ漫画では浮気妻、それも熟女が好きな人が描いてる事が多かった印象なんだけど、ジャンルが認知されることにより裾野が広がって、好みのものが供給されるようになったのはありがたい。中でも、大学生物が人気あるような気がする。高校卒業と同時に人間関係含めた環境がリセットされるのと、今日も一日セックス三昧するだけの時間的余裕があるのがシチュとして好かれる原因かしら。そこは、このジャンルの特異性かなと思う。
思春期の頃、自分が読んでるor読むべきはこういうものだと規定されるのが嫌だった
あの頃、別に早く大人になりたかったわけじゃない。ただ、子供扱いされるのは間違いなく嫌だった。
いわゆる「YA」を含む児童文学と対象年齢がかぶってるライトノベルは、その点、もうちょい居心地が良かった。今読み返すと、「ああこれは年少者向けを意識して書いてる文章だな」っていうのも分かるんだけど、少なくとも狭義の児童文学ほどには露骨に「子供向け」を標榜してなかった。ファンタジアも電撃もスニーカーも「少年向け」「少女向け」の区別すらされてなかったんじゃないかな、公式には。今ほど「ライトノベルとはこういうものだ」っていうのが確立してなかったのも大きい。インターネットも普及してなかったしね。私は、私が読んでるものが世間的にどういったものであるか、しばらくはあまり意識せずに作品世界に没入することができた。「スレイヤーズ」を始めラノベなんて下半分メモ帳ばっかり、という類の揶揄を聞くことになるのはもうちょっと後のことだ。
これらの経験から、思春期以降の子供に本を読ませるためには、いかに「子供でも読みやすいから」「未来ある君たちに読んでほしいから」といったニュアンスを隠蔽するかが重要だと思ってる。
*1:今もか?