「シン・ゴジラ」は「ヱヴァ」よりも「エヴァ」だったのか
公開から一週間経った8月6日、池袋HUMAXで「シン・ゴジラ」を観てきた。元々、「ゴジラ」シリーズは子供の頃に「VSモスラ」「VSメカゴジラ」辺りを観た記憶が朧気ながら残ってるのと、最近ようやくテレビで第一作に触れた、というくらいの初心者なんだけど。「ヱヴァQ」と同時上映された「
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さて。上で述べたように、一本の映画として、「シン・ゴジラ」が読者の事前知識や注釈などなくても成立するエンタメ作品だったことは間違いない。ではあるけれど、エンドロールが流れ切った後、まず脳裏に浮かんだのは、「
エヴァとヱヴァとシン・ゴジラ
「新世紀エヴァンゲリオン」。その最終作「THE END OF EVANGELION」が1997年に劇場公開されてから何年かかけて、わたしはこれを消化した。いまだインターネット環境を構築できておらず、議論を交わす知り合いもいなかったため、その作業は完全にプライベートなものだった。最終的に出した結論は顧みるにさして独創的なものではなかったけれど、今もわたしの中にしっかりと根付いている。つまりは「
同時に、オタクの習い性として、庵野秀明やガイナックスが制作に関与した他作品にも触れた。「トップをねらえ!」「トップをねらえ2!」「ふしぎの海のナディア」「オネアミスの翼」「フリクリ」「彼氏彼女の事情」「ラブ&ポップ」「おるちゅばんエビちゅ」「まほろまてぃっく」「忘却の旋律」「放課後のプレアデス」「Re:キューティーハニー」 「式日」……あ、最後のは観てなかったか。さておき、この中でも「フリクリ」「プレアデス」などは特に、自分の中で大切な位置を占める作品となった。しかしこれらを好む感情は、あくまで「エヴァ」とは無関係のものだ。というか最後の方は「エヴァのガイナックス」だから手を出したわけですらない。そしてそれは、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズも今のところ同様である。「序」も「破」も「Q」も初日に観に行ったけれど、わたしの中のエヴァ厨は心動かされなかった。
然るに、「シン・ゴジラ」だけが何故こうも20年前の感情を喚起させるのか。何らかの要素が「エヴァ」を連想させるから、いうのが真っ先に思いつく理由だけれど、「シン・ゴジラ」と「エヴァ」は似ているのか?
*1:子供は台詞を理解できない? 大人も初見ではそんなに理解できてないから大丈夫