周回遅れの諸々

90年代育ちのオタクです

「バーナード嬢曰く。」と「俺ガイル」 自意識あるあるの幻

アニメ化に乗って、以前から気になっていた「バーナード嬢曰く。」を読んでいた。kindle unlimitedのラインナップに入ってたし。そしたらなんだか「俺ガイル」を連想してしまっていた。

読書家の自意識

読むとなんだか読書欲が高まる“名著礼賛”ギャグ! 本を読まずに読んだコトにしたいグータラ読書家“バーナード嬢”と、読書好きな友人たちが図書室で過ごすブンガクな日々──。 『聖書』『平家物語』『銃・病原菌・鉄』『夏への扉』『舟を編む』『フェルマーの最終定理』……古今東西あらゆる本への愛と、「読書家あるある」に満ちた“名著礼賛”ギャグがここに誕生!!


「ド嬢」こと町田さわ子は、かっこいい頭良さそうという理由で読書家キャラに憧れているけど、本を読むこと自体はめんどくさい。読書家として相応にこじらせてる友人・神林にオススメしてもらって色々読んではいる。この「オススメされたものはとりあえず読んでみる」というのは重要で、だから神林みたいなキャラが寄ってくるわけではある。けれど、それ以上に読書家キャラとしての「仕草」「自意識」のほうを先回りして勉強する日々だ。


やたら著名な作家の名言を引用したりとか。昔の小説を読んで「これラノベじゃね?」「この小説家中二病じゃね?」って大発見したような気分になってはしゃいだりとか。未読の人に「この傑作をこれから読めるのは羨ましい」っていう奴に上から目線を感じたりとか。こじらせ度の浅いやつから深いものまで読書家キャラの自意識あるあるが登場し、ド嬢はその都度それを吸収したりしなかったりする。


十中八九作者の人は意識してないだろうけど、同じくさわしおの当て馬読書家の友人である遠藤くんは「周富徳なつかしー」とかゆってて、あれ、あの人がバラエティ番組出まくってた頃、遠藤くんいくつ……? と思ってしまい。これも自分が生まれてない時代をなつかしーとかゆっちゃうアレゲな自意識なのかなあとか感じたりもした。あるいは、登場人物たちは実はみんなアラサーの読書会仲間なんだけど「学校の図書室で読書仲間と語り合う」という長年の夢を実現するため高校生のコスプレしてる、というような脳内設定。



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閑話休題。自意識あるある先行型、ということで連想したのが、「やはり俺の青春ラブコメが間違っている。」の主人公、比企谷八幡だ。「ド嬢」が自意識あるあるを笑いに昇華してそれでもふとした瞬間こっちを刺してくるのに対し、「俺ガイル」はわりと真っ向から刺してくるようなところがある。

社畜(高校生)の自意識


「俺ガイル」は、冴えないサラリーマンが高校時代に戻って将来の自分を養ってくれる嫁を探したりうまいことやろうとするんだけど、なかなかねえ、という感じの転生ファンタジーである。……と言いたくなるほどに、八幡は社会人としての自意識を先回りして身につけている。

孤独に負けず。友達もなく、彼女もなく。青春を謳歌するクラスメイトを見れば「あいつらは嘘つきだ。欺瞞だ。爆発しろ」とつぶやき、将来の夢はと聞かれれば「働かないこと」とのたまう―そんなひねくれ高校生・八幡が生活指導の先生に連れてこられたのは、学校一の美少女・雪乃が所属する「奉仕部」。さえない俺がひょんなことから美少女と出会い…どう考えてもラブコメ展開!?と思いきや、雪乃と八幡の残念な性格がどうしてもそれを許さない!繰り広げられる間違いだらけの青春模様―俺の青春、どうしてこうなった。


スクールカーストから弾かれてるような人間が、それゆえに集団全体を俯瞰することができるため、普段から人間観察を欠かさず、いざという時には驚異のネゴシエーション能力を発揮し、自己犠牲を厭わない反則技で問題解決に当たる。一部ボンクラ男子にとっての痛快さと隣り合わせの苦さ。時々八幡に自己投影する「若者」に冷笑的な態度を取る自称おっさんいるけど、そういう人のほうがよほど八幡っぽいんじゃねえかな……。ただ、「中途半端に整った顔立ちが嫌い」っていうヒッキーの自己評価は本気かどうか判断つかない。vipで恋愛系スレ立てて自分では中の上だと思ってるってスペック説明したりするやつなんだろうか。


文章はリーダビリティーが高く、ユーモアがあり、ここぞというところでは既成のあるいは普遍的な「文学」の匂いすらさせていて。「西尾維新以降」をうまく料理してソフトランディングさせた感じで、そりゃ人気出るわって思う。「はがない」の平坂読レベルまで枝葉末節削ると抜き身の刃すぎてとっつきづらいんだよな。


なんか褒め殺しじみてるけどそれは書いてる人がデフォで嫌味だからそう見えるだけで*1「既成概念を疑ってかかる」という、私が読んできたラノベの王道ど真ん中の内容だと感じた。10年以上前に「オーフェン」が占めてたようなポジションに今だと「俺ガイル。」がいるんだろうな、まである。マイナーメジャーっぽいところとか似てるし。「オーフェン」が「このラノ」刊行中に出てたらその売上と評価のバランスの絶妙さで3連覇してたに違いない(いつもの病気



……「俺ガイル」で描かれる学園生活、すなわち八幡の世界観は基本的にサラリーマン川柳のそれだ。休日にメシに誘ってくる上司、職場の雰囲気を支配してるウェーイ系、内実が伴わない意識高い系、仕事に恋愛を持ち込む無能。そんな社員たち=生徒の中で、八幡が社畜としての悲哀、社畜の自意識あるあるを謳う。年がら年中ネガティブなわけではなく、10巻の

「まぁ、高校受験は確かに大事だ。ここでやらかすと結構差がつくし、なんだか中学の友達にも顔は合わせづらい」「でも、大学受験はもっと大事だし、就活はたぶんもっともっと大事だ。そして、たぶんそのたびに友達は減るし、なによりここでやらかすと大変なことになる」
「でも、大丈夫だ」
「逆に言やぁ、最後の帳尻さえ合わせればいいんだからな。野球のプレーオフと一緒だ。高校や大学でいいとこ行くのはシーズンで一位だった時にもらえるアドバンテージと似たようなもんだ。有利に働くがそれですべてが決まるわけじゃない」


とか希望があって好きなんだけど、それにしても基本的には将来に対して諦観とペシミズムしかない。八幡は、父親が社畜で、自分も彼に似ていて「社畜」向きの性格だからこそ、「社畜」になりたくないという。実際、八幡はバイトをよくバックレたりしてるくせに実際仕事するとなると意外とデキる奴ではある。問題解決のため自分を一顧だにしないのも「社畜」向きなのだろう。しかしそれにしても、彼の「社畜」の、というか社会人のイメージはインターネットで見聞きしたようなそれに毒されすぎじゃねえのって思ってしまうことがある。


多分、著者は分かっていて、読者に伝わりやすい言葉を選んでいる。あとがきにおけるセルフイメージの構築、というのはラノベ作家にとってとても大切な問題だけれど、渡航はこの手の技術にも長けていて、ちゃんと読者の望む社会人の姿を演じている。といっても別に積極的に嘘をついているわけではない。それ以外の姿を見せていないだけだ。


……そして、八幡もまたきっと、学校の先にある社会へと先行した自意識が偏狭なものであることには気づいている。だからこそかえってタチが悪い。秋田禎信は「おっさんのたまご」という、「おっさんはとても楽しい職業だぞ」という趣旨のエッセイを30代の入り口で書いてるけど、みんながみんなそう言えるわけでもないし。大人は嘘をつかないけど話を盛ることはある。それは苦労自慢についても同様で、社会人で人生楽しんでる人なんてたくさんいる*2、とかゆったところでこういうのってそれこそ当人の自意識の問題だし。


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わたしは、この小説の中だと戸部っちが一番好きで。なんでかっていうと、クラスの上位カーストなのにぼっち主人公に何の底意もなく*3フラットに接触してきてくれる、メインヒロインもかくや、というキャラだから。趣味:人間観察系ラノベ主人公がああいう内心小馬鹿にしてたお調子者キャラにどんどんATフィールド侵食されて変わっていくのが大好きなので、戸部ヒキ展開ねえかなあと思ったりする。ド嬢との出会いが神林にとって大切なものであったように。最初は剣豪将軍がそのポジションかとも思ったんだけど……


内心小馬鹿にしてたお調子者キャラにどんどんATフィールド侵食されて云々、の具体例


戸塚? 天使ポジションであるが故にヒッキーが踏み込んでいかないので9巻まで掘り下げられなかったのは可哀想だと思いました。あと姉のんは、神出鬼没っぷりが逆にラスボス感を薄れさせてる気がする。というかそもそも強キャラとして描こうとしてないのかな。

再び、読書家の自意識


ところで。八幡が夏休みに一気読みをオススメしたい小説が十二国記」「デル戦」「精霊の守り人になってるの、自意識の化物というキャラ的にどうなの。ひねくれ度足りなくない? 内心では王道の教養小説とかエンタメが好きなの? おかげで相模さんが一部読者の贄になってる現状に鈴や祥瓊を思い出してしまったよ。


*1:……多分

*2:もちろん、そういう人たちにもストレスとか悩みはあるだろうけど

*3:単に描かれてないだけでは?