周回遅れの諸々

90年代育ちのオタクです

高野和「七姫物語」新装版発売 <東和>の戦場にはいつも清涼な風が吹いて……

広い空と羽ばたく鳥と稜線を背に、オリエンタルな衣装を着た少女が佇んでいる。その瞳には何が写っているのだろうか。


少女の名は空澄あるいはカラカラ。彼女が主人公を務める物語の名を「七姫物語」という。第一巻は作者のデビュー作で、第九回電撃小説大賞において金賞を受賞した。シリーズとしては電撃文庫で六巻まで出て一度完結。今回、メディアワークス文庫から加筆修正された新装版が発売されることになった


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左が電撃文庫版、右がMW文庫版。新装版はイラストがA・Sさんに変更。本文挿絵はなし


やわらかい色彩で表現された装画が目を惹く、第一作の旧版に出会ったのは2003年。ちょうどライトノベルのイラストでもCG彩色が当たり前になってきた頃だ。本作の尾谷おさむのように、落ち着いた色合いを得意とするイラストレーターが活躍し始めていた。

七姫が織りなすストーリー


この物語は「国盗り物」である。舞台となる<東和>では、各都市がそれぞれに象徴となる宮姫を擁立し、睨み合っていた。先王の子を自称する姫はそれぞれ

  • 一宮シンセン黒曜姫
  • 二宮スズマ翡翠
  • 三宮ナツメ常磐
  • 四宮ツヅミ琥珀
  • 五宮クラセ浅黄姫
  • 六宮マキセ萌葱姫
  • 七宮カセン空澄姫


の七人*1。お話の中心となる空澄(カラカラ)は戦災孤児だった。彼女は東征将軍テン・フオウ、軍師トエル・タウという二人の山師に担ぎ上げられ、七番目のお姫様として即位することになる。

空澄と二人の嘘つきの出会い


国盗り物であるこの小説では、当然戦争が描かれる。怪物や魔法は登場しない、人と人との殺し合いだ。ただし戦争はあくまで最後の手段。平和を尊ぶ宮姫を祭り上げる各都市はできるだけ争いを避ける。少なくともそういうふうに見せかけようとする。その代わり、というのか、各勢力は政治、経済、宗教とありとあらゆるところに権謀術数を張り巡らせ、隙あらば天下を取ろうとする。


一歩間違えれば陰惨なものになりかねない物語の視点となるのはしかし、なんの力もない十三才の女の子だった。


空澄は好奇心が服を着て歩いているような女の子である。孤児院から一歩も外に出ない生活を送っていた幼い頃、山師たちと初めて会い、お飾りのお姫様に誘われた。二人は彼女に声をかけたものの、脈がないと見て取ったか、一度謝ってから去ろうとする。その、少年のような野心を持ったまま大人になった背中に何を見たのか。カラカラは小さな手を伸ばし、空澄姫としての第一歩を自ら踏み出すことになる。


以来、彼女は上を、より上を目指してやってきた。彼女がお姫様の仕事を務めるのは、最も身近な二人に追いつきたい、世界中を見てみたいという想いから……。

空澄姫が見る世界、カラカラが見る世界

争いは望まないけれど、上を目指せば競い合いは避けられない。競い合わなければ、多分、高みへは行けない。競い合わずに高いところに辿り着けるのは、きっと、初めから高い場所を知っている人だけだと思う。
私は知らない。見上げただけ。そして、私が手を伸ばした先は、きっと、ずっと遠い。


彼女は別に出世欲にとりつかれているわけではない。この作品の言う世界には、国家の政体、地理、歴史、といった大きなものから市井の人々の営みや、四季折々の自然の風景や、焚き火で炙った獣肉の野趣あふれるな味わい、サトウキビの甘さ。そういったものまでが含まれる。お姫様のままで見に行って支障がある場合は、「空澄姫」の付き人の「カラカラ」として町に繰り出す。悪い大人二人も、できるだけ色んな経験をさせてやろうとする。


カラカラさんが見る世界と空澄姫が見る世界。鉄の剣と華やかな衣装。政治のきなくささと自然の美しさ。日常と非日常。戦争と平和。生と死。この物語では一見相反する要素が共存し、時に絡み合う。カラカラが肉の旨さに感動していると、山師たちはそれを大々的に売り出し、他国へ輸出し外貨を稼ぐことで経済面からの天下盗りを考えてたりする。「水差すようなこと言い出しやがって」という気分にはならない。「七姫」のキャラクターは客観的に見たらひどいことをしてても、なぜか憎めないやつばっかりだ。


旧シリーズ刊行当時、本作はしばしばジブリっぽいと評されていた。そのイメージはまずイラストの印象によるところが大きかったが、血湧き肉躍る戦争のかっこよさと美味しそうな食べ物や自然の美しさに代表されるほっこり要素という二面性が同居してる辺りもらしいかな、なんて思っている。

七姫の集結とカラカラさんの後退


ジブリっぽいというと、設定上この作品には強く気高いお姫様が多い。三巻以降は七姫が本格的に勢揃いし、小説全体が群像劇としての体を成していく。


空澄の憧れであるミステリアスな黒曜や、宗教国家じみたところがある二宮を率いる翡翠は宮姫の分を超え、積極的に民を率いている。常磐姫は武人であり、自らも剣を持って戦う。琥珀は誰よりも象徴としての宮姫の責務を全うしようとした。浅黄と萌葱の双子姫は争い合う宮姫たちが姉妹として一つの卓を囲むことを望んでいる。


それまで世界を見つめる側だった空澄姫は、彼女たちを始めとした世界に注視される。主人公はどういった存在かがクローズアップされていく。<東和>の情勢が大きく動き、他の姫の出番が増えた分、カラカラさん視点の日常描写は減る。ページをめくってみると前半と後半では漢字の比率、改行の頻度がはっきり違うのが分かるはずだ。バランスは悪い。残念がる読者の存在を、作者も世に出す前から分かっていた。ずーっと続く政治経済外交戦争の描写に、私も少々息が詰まる思いがした。


しかし、状況がシリアスになっても人間がいきなり変わるわけではない。宮姫も軍人も役人も市井の人々も、一貫して強く、弱く、頑迷で、しなやかで、かっこよく、時には泣き言を言って――。彼らは空澄姫=カラカラがそれまで見てきた世界と全く地続きの大地で生きている。シリアスに振れようとギャグに振れようと「このキャラはこんなことしない」という点さえ守れば読者はついていくもので、だから後半に入っても安心して読めた。


一貫した生き様を持つ人々が、どんな状況にあっても活き活きと描かれる。空澄姫=カラカラの視点を借りてはいるが、それは本作が提示したい世界観そのもので。だからこそ、この物語は爽快なのだろう。


*1:都市の名称は、新装版ではそれぞれに漢字が振られている