周回遅れの諸々

90年代育ちのオタクです

真面目系クズの心をえぐる甘々学生夫婦生活 石川博品『アクマノツマ』

この「アクマノツマ」は、恐らくは太宰の「ヴィヨンの妻」のオマージュでもあろう*1、駄目人間主人公と天使のような悪魔兼女子高生という夫婦の、8割方甘々な日常を描いた小説だ。商業作家である石川博品が同人作品として発表したものだが、現在はkindleでも配信されている。

 

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傑作と名高い同作者の「百合物帳」と比べても、ファンの間での本作の評価はあまり高くない。起伏の乏しいストーリーやいまいち意味が掴めない悪魔という設定もそうだが、主人公カズマの好感度の低さも一つの要因だろう。

 

ヒロインのハギコ愛称オハギは、おおむね申し分なく理想の妻として描かれている。料理上手で、男好きのするむちむちな体つきをしていて、夜の営みにもわりと積極的。同居している姑/小姑ともうまく付き合っている。一応悪魔という設定なので、 尻尾も付属。姉さん女房っぽさ(同い年だけど)を加速させる山口弁も魅力だ。主人公ならずとも、「うちの妻ってどうでしょう?」と自慢したくなる。

 

 

まじめ底辺*2のカズマは完璧な妻にベタ惚れな一方、コンプレックスを抱いてもいる。

 


 学業では底辺高校に通い、一日三時間は机に向かうものの要領が悪いため、それでもようやく普通か普通よりやや下の成績の自分。対してハギコはバカっぽく見えるが地頭がいいので、少ない時間でも効率的に成果を挙げてくる。

 

……真面目であることは美点かもしれないが、それは倫理観からというよりも何かあれば敷かれたレールから容易く外れてしまうことを自覚しているからだ。未成年の飲酒を咎めたりして場を白けさせ、そういうことでは遵法精神など欠片も持ち合わせていない奔放な妻に一蹴される。また自らと同じように何の取り柄もないにも関わらず愚直に生きている人たちや、妻の友人である低偏差値DQNの同窓生を内心小馬鹿にし、そんな自分を再発見して嫌悪したりもする。親は金銭的にも心情的にも子どもに愛情を注いでいるが、行動がいまいち伴わず、ややネグレクト気味である。

 

同著者の「ネルリ」にしても主人公はコンプレックスを抱えていたし「カマタリさん」でもなかなかのクズっぷりを見せていたが、ここまで生々しくネガティブに描かれているのは初めてだ。

 

妻とのイチャイチャの合間合間に、彼のユーモラスでありながら鬱屈した思いが綴られる。その一文一文が、身に覚えのあるダメ人間の柔らかい部分を刺激する。単に愚痴っぽいだけでつまらないと感じる人も多いだろうが、うっかり共感してしまう者にはたまらない。ハギコが可愛ければ可愛いほどカズマのだめんずっぽさは強調され、その度にかさぶたを剥ぐような倒錯した気持ちよさを覚える。夫婦間では亭主関白を演じようとしているのに、地の文の語りではやや慇懃無礼な感じの敬体を用いている辺りもそれっぽい。

 

だが倒錯も長くは続かない。カズマもただ愚痴っているばかりではない。予備校に通い、実践的な勉強法を身につけ始める。また妻がいるという余裕?が功を奏してか、馬鹿にしていた同窓の女子とも仲良くなり始めた。ハギコと会う前はもっとひどかったそうだし、なんだかんだ言って妻に救われたと言っていいだろう。「まじめ底辺」の人生も向上させられるという当たり前のことを、カズマは我々に教えてくれる。……ただ、スタート地点から自分を引っ張りあげてくれるハギコが隣りにいる読者は、そう多くはないのではないか。

 

自分も含めダメなオタクは、よく「どうして俺の隣にはこのヒロインがいないんだ」と口にする。勿論、大半は冗談で言っているのだろう。しかし、現実というものが分かっていてもなお半ば本気で思ってしまうことがある。この小説を読み終わった後抱いたのも間違いなくそういった感情だった。そしてそんな感傷を催させる小説のことを、「自分にとって大切な作品」だとみんないうのだろう。

 

 石川博品のおしゃべりブログ: 『アクマノツマ』サンプル公開

 

※この文章は2015年11月に書いた感想を加筆修正したものです

*1:実書籍版の黒い装丁も新潮文庫のそれを意識していると思われる

*2:記事タイトルには「真面目系クズ」と書いたけど本文中ではこちら