「エヴァ」の話しようぜ2021
同世代多数と同じく、エヴァに触れてオタクになった。それまでもアニメや漫画は好きだったけど、関連グッズを買ったり副読本で背景事情を掘り下げたり、いかにもオタクらしい楽しみ方を教えてくれたのが「エヴァ」だった。
旧劇
旧劇については「グロい」「なんかすごいものを観た」「でもよく分からん」が初見の感想。とはいえさして批判的でもなかったと思う。
……というか、世間でよく言われる「オタクは現実に還れ」なるメッセージにピンと来てなかったんだな。TVシリーズ全話をちゃんと観たのは「EOE」合わせテレ東全話再放送というにわかファンだった*1から数日後に「EOE」を観た時点で当然そこまで思い入れてなかったし、いまだオタクの自覚も皆無。「せっかくアニメを好きになってくれたのに(あんな風に突き放されて)可哀相じゃねえか」元スタチャの大月Pは「ナデシコ」佐藤竜雄にそう語ったけど、こっちは当事者意識に欠けるので、どんなエグい内容でも「裏切られた」的な感覚は希薄だった。主人公のシンちゃんも「理不尽な目に合ってるなあ」と同情しながらあまり感情移入できず、どこか他人事のような気持ちで見ていた。
そういう意味では私はリアルタイム世代とは言えない。むしろ「EOE」上映後世間の熱がスーッと引いていく一、二年くらいが最も「エヴァ」に触れてた時期だったかも。
TVシリーズ読解の友こと公式フィルムブックも「EOE」では欄外に注釈をつけてくれず、語り合うような友達もいない。どこまでも個人的な作業だった。でも楽しかった。その間にあの幕切れも【前向きに他人と生きていこうとしてもやっぱり色々大変なんだけどそれでもやっぱり生きていく】んだという、どっちかというとグッドエンド寄りのものとして受け入れた。
受け入れてその数年後、完結したはずだった「エヴァ」の【リビルド】こと新劇場版が始まった。
これまでのヱヴァンゲリオン新劇場版
旧作派と新劇派に分けるなら自分は前者だろう。「序」から「Q」までは、私が旧作のどこが好きか再確認する過程だったと言っていい。それまで見たことのなかったアバンギャルドな映像表現やメリハリのききすぎた圧倒的なテンポ。そういったものを新劇に見出すことはできなかった*2。どっちかというと「シン・ゴジラ」の方に「エ」ヴァみを感じていた。
またエヴァを監督の私小説と見る向きには賛同しないけれど、庵野秀明個人にフォーカスした作品では「監督不行届」がメチャクチャ面白かった。
閑話休題。「自分が楽しんだ映像表現とやらは時間と予算がないのを誤魔化す演出に過ぎない」「思い出補正じゃないか?」 そうかもしれない。25、26話は流石に擁護できない。それでも私は旧作の映像が好きだった。省力化が目的であっても、それは別に面白さと両立しないとは限らない。どちらか一方しかないのがおかしい。
新劇にも「序」の滅多矢鱈と変形するラミエルや「破」序盤の水飲み鳥こと第七の使徒戦、「Q」ラストで真っ赤な大地を歩き出す三人など、見どころは少なくない。でも、根っこの部分でnot for meな気分は拭えなかった。
シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇
そんなだから今回の「シン」も期待してなかった。初日に観に行ったのは、これを逃すとしばらく「もういいや」ってなりそうだったからだ。
はたして、新宿TOHOシネマズで観たフィルムはQまで同様驚きやワクワクとは無縁だった。アバンのパリ戦とラストの突入戦では空中グルグルバトルがかぶってて退屈だったし、言いたいことを直接キャラクターに語らせる脚本にも首をかしげた。
にも関わらず私はこのぶきっちょな映画を憎めない。碇シンジの死と再生のため、第三村パートに沢山のものが費やされたからだ。
傷ついた少年が再び立ち上がるのに画期的な何かが提示されたわけではない。タメになる人生訓とか他者との触れ合いはもはやシンちゃんの心に響かない。時間をかければ解決する? その前に野垂れ死ぬ奴だっているだろう。ただみんなが――製作者も含めて――寄ってたかって自分なりにシンちゃんのことを考え、時間をかけて行動した。もしくは行動しなかった。
自分が一番自分を許せないシンちゃんはそういった優しさの一つ一つが逆に辛かったりするんだけど、でも彼らの「まごころ」は伝わり、回復していく。
「EOE」について、「るろうに剣心」和月伸宏は「作った人が作品もキャラクターも愛していないことが伝わってきて、少し不快」と書いている*3。私はそうは思わない。思わないがしかし観客がみんな和月のような感想を持ったのだったら、やり方を変えて伝え直そうという……新劇はそういうシリーズだったと思っている。
「EOE」当時、私にとって碇シンジは赤の他人だった。オタクの自覚もない、あと多分思春期以前の「何も知らない子供」でもある私は作品世界の蚊帳の外に置かれていた。
それが二十年経って知識や行動量はともかく気質だけはいっちょまえのオタクになって、人生の中で凹んだり凸ったり何もしなかったりを繰り返して、周囲の優しさに生かされてることに気づいて……。大人になった、成長したとは全く思わない。でも当時よりはほんのちょっとだけ色んなことを知って、ようやく、本当にようやく! あのアニメで描かれることを身近で切実な問題として受け止めることができた気がする。
だからこそシンちゃんが優しくされて立ち上がって、魚が釣れなくて不貞腐れてる屈託ない様子を見られたのがこんなにもうれしいんだろう。
「ミュークルドリーミー」一年目から好きなエピソード九選
激動の二〇二〇年度を共に駆け抜けてくれたアニメ「ミュークルドリーミー」の一年目が無事に終わったので、印象に残った回を挙げていきます。一〇選にしようかと思ってたんだけど絞りきれませんでした……
- 第2話「ユメシンクロで仮入部」
- 第6話「はじめての中間テスト」
- 第10話「雨ふりねぶそくゆめちゃん」
- 第12話「オレっちが先に見つけるにゅい」
- 第16話「私はやっぱりチアっちゃお!」
- 第17話「恐怖のプチトマトマン」
- 第19話「お誕生日ゆめちゃん合宿中」
- 第28話「まいらマイラブ♥」
- 第41話「バレンタイン和菓子配っちゃお!」
- あとは……
第2話「ユメシンクロで仮入部」
序盤にお約束の主要キャラ顔見せ回。なんだけど、とにかく台詞が途切れない。一人が喋ってる後ろでまた別の誰かが喋ってる。ツッコもうと思っても画面は既に先に進んでる。脇道に逸れたら戻らない……。
桜井弘明監督が二十年前の「赤ずきんチャチャ」で発揮した【早さ】を、御年六十を超えても維持し続けるどころかむしろ加速してるように感じる麻薬的テンポ。「ミュークル」がどういうアニメか、二話目にして知らしめた。
綾波レイ可愛さランキング令和最新版
「シン・エヴァンゲリオン」のネタバレ含む。順位付けは「シン」を観て一週間経った俺基準。綾波は好きだったと思うしシンちゃんも嫌いではないけどLRSは興味ないのでくっついたとかくっつかなかったとかはどうでもいい人です。4位から6位辺りは結構真面目に悩んだしなんなら今も悩んでる。
9位:一人目
TVシリーズ第弐拾壱話「ネルフ、誕生」などに登場。赤木博士(母)を煽って首を絞め殺された以外あまり印象にない。自分の中で綾波ってクラスのちょっと大人びた女の子というイメージが強いので、ロリは別に……ってなってしまったかもしれない。
8位:ぽか波
新劇場版「序」「破」「シン」に登場。この記事のネタ考えた時は最下位にするつもりでした。妙に可愛く高い声を出そうとしてる芝居が受け入れがたい。もっとミステリアスであれ。ぽかぽかすんな。味噌汁作るな。こんなのは私のレイではない。……と言いたいところだけど、「シン」のぼさ波には意表を突かれたのでドベ2。髪を伸ばした綾波という新機軸。どうして今までこの発想に至らなかったのか。実際にぽか波とぼさ波が同一人物かは謎。
7位:碇ユイ
一人目と同じく「ネルフ、誕生」などに登場。碇シンジの母にして綾波レイを構成するいち要素。TVシリーズでは男の趣味がちょっとおかしいだけの普通のお母さんだったのが旧劇場版「Air/まごころを、君に」で一転「エヴァで一番ヤベえ奴」の称号を得た。「学園エヴァ」でゲンドウと夫婦漫才やってる姿は嫌いではない。
6位:リナレイ
TVシリーズ最終話「世界の中心でアイを叫んだけもの」で語られた「エヴァ」のもう一つの可能性通称「学園エヴァ」に登場。ギャル波。喜べ男子! 今日は噂の転校生を紹介する~。端的に言って造形の勝利。第壱中学校の膝丈ジャンパースカートもいいけどミニスカも悪くないですね。とはいえ、あのきゃぴるんっ(死語)っとした綾波から林原めぐみ繋がりで「スレイヤーズ」のリナを連想した当時の名付け親には「スレイヤーズ」読者として物申したくはある。あのレイとリナ=インバースでは惣流と式波以上に違うんだよな。
5位:巨大綾波
旧劇場版や新劇場版「シン」に登場。リリスとも。私の少年の日の心の中にいた青春の幻影。なんか変! 真面目な話、旧劇のあのリリスを見せた後に綾波で商売し続けようとする側もそれについていこうとした側もすごいとは思った当時。
4位:霧島マナ
ゲーム「鋼鉄のガールフレンド」にオリジナルヒロインとして登場。綾波レイではない。何故かCVが林原めぐみだったのはリナレイの反響を聞いた製作者がその人気に乗っかろうとしたからなんてまことしやかに囁かれたこともありました。でも俺は那須正幹の「ズッコケマル秘大作戦」に登場する北里真知子が好きなのでこの子も結構好き。「鋼鉄のGF」は綾波本人も可愛いところを見せてくれます。
3位:アヤナミレイ(仮称)
新劇場版「Q」「シン」に登場。またの名をそっくりさん。もしくは黒波。「シン」のあの一連の流れ、無垢さを強調するキャラ立ては必ずしも好きではないんだけど、汗をかくアヤナミというこれまでにないインパクトにやられた。血を流さない女が汗を流した!
2位:三人目
TVシリーズ第弐拾参話~旧劇場版に登場。【二人目】が自爆特攻して代替わり。記憶の連続性は認められずシンちゃんのことも最早なんとも思ってないかと思いきや、「ダメ、碇くんが呼んでる」ですよ。他にドラマ的な見せ場はあまりないけど作画には恵まれていた気がする。第弐拾四話「最後のシ者」でカヲルくんと邂逅するシーンのこの子が可愛すぎて「君は僕と同じだね」「あなた、誰?」という言葉のやり取りにNTRを感じてしまったよね。
1位:二人目
TVシリーズ第壱話~第弐拾参話に登場。スタンダード綾波。病的なまでの腰のくびれと、与えられた任務を愚直に完遂せんとする強い意志。多分きっと、あの日の屋上で「非常招集。先、行くから」と彼女が言って去っていった瞬間から何かが始まった。行く先を同じくする同僚でも一緒には行こうとしない。「ミサトさん」「リツコさん」「アスカ」とは呼んでも「レイ」と呼び捨てにはしない。そういう距離感いいですよね。名シーンとして知られる第六話「決戦、第三新東京市」の笑顔は、TV版はちょっと顔色悪すぎ、さりとて総集編の「DEATH」では気合い入りすぎてキラキラしすぎというジレンマ。「序」が一番自然かも。
終わりに
貞本版はちゃんと最後まで読んでないので申し訳ない。でも「シン」観たらもう一度読みたいと思った。その時の気持は本当だと思うから。
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本当は〇〇な70-80年代サンリオ映画感想
2020年はサンリオの昔のアニメ映画を意識的に観ていた。ハローキティやマイメロディを主役とする牧歌的な作風でも、「おねがいマイメロディ」に代表される「カオス」路線でもない、サンリオの知らなかった側面がそこにあった。
チリンの鈴(1978)
チリンの鈴・ちいさなジャンボ・バラの花とジョー【やなせ・たかし原作】 [DVD]
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やなせたかし原作。母親を狼に喰い殺された子羊が復讐のためにその狼に弟子入りし、やがて自分が狼のようになってしまう……。「ガンバの冒険」ばりにハードな動物物語とそれに見合ったかっちょいい絵作り、そして何より
「泣くがいい。その悔しさがやがてお前の牙になる」
「生きることは悲しみを知ること。その悲しみで心の牙を研ぐのだ」
「僕はもう弱い羊ではない。牙の代わりに研ぎ澄まされた角がある。蹄は岩よりも硬くなった。そして何よりも、死を恐れぬ野生を身に着けた」
など台詞回しがめちゃ痺れる作品。
同じやなせ原作の「小さなジャンボ」(1975)は東西二大国の戦争に巻き込まれて食糧事情が悪化⇒友達の象を食べるか決断を迫られたり、「バラの花とジョー」(1977)では一輪の薔薇に恋した犬のジョーが彼女を守ろうとして盲目になったりと、これらはあくまで可愛らしい絵柄ながらハードな展開が続くギャップがすごい。
70、80年代のサンリオ映画一覧
黄色はドキュメンタリー、緑色は人形劇アニメーション、青は劇映画(つまり普通のストーリー映画)、無色はアニメ映画です。
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