※以下の文章は当サークルの同人誌『秋田禎信1992-2018』に書いたものです。
「プルートー教師の凄いのは、アタシも知ってるんです。《塔》の教師はみーんな先生のことハブにしてるくせに、本音じゃあ怖がってるんですよ。うちの両親なんかもそう」
「あの世代の魔術士にとって、彼は悪夢のようなものなのさ。仕方ないよ」
「ンー、じゃあ校長先生にとっても?」
「もちろん。でも悪夢ってのがどんなものかというと……そうだな。チャイルドマン・パウダーフィールド教師という人物を知ってるか?」
「? 誰ですかー、それ」
「そう。こんなもんだ」
TOブックスから刊行されている、「オーフェン」のいわゆる「新シリーズ」は全部で一〇冊。
- 『キエサルヒマの終端』は旧シリーズ第二部のエピローグ
- 『約束の地で』はそれから約二十年後、舞台を「原大陸」に移した第四部の序章
- 以下『原大陸開戦』『解放者の戦場』『魔術学校攻防』『鋏の託宣』『女神未来 上下』が第四部本編で、その後の『魔王編』『手下編』は本編を補う短編集
となっている。「第三部」は空白の二十年間を描くものだが、構想のみが存在し、形になっていない。……
「オーフェン」は最初からシリーズ化を意図して書き始められた物語ではない。『我が呼び声に応えよ獣』第一稿を担当編集者に渡した時、初めて「【次】があるかもしれないから準備しといてね」と言われたという。それを知っていて読むと、「獣」のエピローグは続編への伏線として、後から付け足されたようにも思える。第二部が始まったばかりの頃のインタビューでは、「続けられる限り続けたい」と今の秋田からは絶対に出ない*1発言が飛び出している。少なくとも「終わる」ことだけは最初から決まっていた他の作品とはそこが違う。
「オーフェン」世界はボルヘスの「幻獣辞典」や北欧神話などからモチーフを拝借しつつ、独自の設定でもって構築されている。

- 作者:ホルヘ・ルイス・ボルヘス
- 発売日: 2018/04/20
- メディア: Kindle版
神々の行使する万能たる魔法と、彼らからドラゴン種族が盗み自分たちでも使えるようにした、不完全な魔術。ドラゴン種族が魔術を使うのではなく、魔術を操る者こそがドラゴン種族なのだという定義の反転。ドラゴン種族との混血によってもたらされた人間の魔術は、声が届く範囲のみに効力を発揮する。音声を媒介としているが、発する言葉に意味はなく、呪文はなんでもいい……。ドラゴンとか魔法とかいったもののパブリックイメージを少しだけ裏切る設定群は、多くの読者を魅了した。
だが、それらのほとんどは、『獣』の時点では存在しなかった。第二巻の『機械』で初めて、我々が知る、キエサルヒマ大陸の教科書に載っているような歴史や神話は整備され……そして、その巻でいきなりドラゴン種族と人間の確執、歴史的経緯については覆される。「誰もが誰かを裏切っている」。このシリーズを言い表す言葉だ。事実はいつも積み重なった嘘の下に埋まっている。この世界の歴史や世界の成り立ちについて、私たちの認識は何度も更新を余儀なくされる。
第一部完結編では、この作品における神々は、元々は全知全能にして零知零能、世界の運行を司る物理法則そのものだったのが、ドラゴン種族によって擬人化させられたただのバケモノであることが明かされる。神々は自分たちを【現出】させたドラゴン種族を許さず、今もこの大陸に襲来しようとしている。第二部終盤では、彼らを防ぐため大陸に張られた【キエサルヒマ結界】を巡る、大昔からの暗闘に決着が着く。
*1:と思っていたら今回のアニメ化で「終わらせようとしても終わらせられない」といった趣旨の発言が