周回遅れの諸々

90年代育ちのオタクです

岩倉玲音が(レインが)(れいんが)(lainが)好き

インターネットがようやく普及しだした頃。常時接続すらまだまだまだおぼつかない時代に、今日のWebの――特にSNSのあり方を予言したアニメが「serial experiments lain」だ。物語は、「ワイヤード」と呼ばれるネットワークに覆われた近未来社会で、人々の繋がりのありかたを問う。ホラー風の演出にサイケな映像、突然宇宙人がどうこうといった方向に突然話が飛ぶ濃ゆ~い内容*1は多分にカルト的。ではあるものの、高い評価を受け、名作として語り継がれてきた。


今年は放送20周年! ということで、有志によるクラブイベント*2やインターネット同時視聴会、脚本担当小中千昭による当時の回顧録など、大いに盛り上がった。


yamaki-nyx.hatenablog.com


かく言う私も同時試聴会に参加し、数年ぶりに全13話を観返した。「lain」という作品の魅力はいくつか挙げられる。

  • ガチギークなスタッフによる、ツボを心得たハードウェア(作中では「NAVI」)やネットワークの描写。
  • 登場人物はいずれも妙に実在感が強く、キャラが立ちまくっている。
  • 生々しさを追求した音響が、登場人物の痛みや恐怖、不快感をダイレクトにこちらに伝えてくる。バーチャルYoutuberの鳩羽つぐちゃんがしばしばlainっぽいと言われるのは、同じ音響へのこだわりを感じられるからっていうのはあると思う。
  • 番組終了後には、その後放送される天気予報「ウェザーブレイク」と絡めた提供イラスト「お天気こわれてる?」が映される。こういったものに象徴されるような遊び心は、難解な内容にどっと疲れた視聴者をほっとさせてくれた。
  • lain」は現実が善で虚構が悪だなどという単純な二項対立を描かない。既に両者は混じり合っていて境界線など存在しないのではないか、という視点が全編を貫いている。
  • にしてもネットワークに神様が潜んでる、というのはいかにもまだ「アングラ」が存在してそうだった当時の発想だよなあ。今、私の見てるネットで「神」といったらエロ画像をアップしてくれる人のことだ*3。でも、普及率ということに関して言えばあの世界のWIREDのが、現実のインターネットよりずっと高そうなのに、そういう部分がまだ残ってるってのが不思議と言えば不思議。余談。


などなど。魅力も多いが、情報量も豊富……豊富すぎるとも言えるのが「lain」という作品である。1クールとは思えない濃密かつゼンエイテキでジッケンテキな内容は、初視聴者を「あ、これ俺向きじゃないわ」と思わせるに十分だろう。ストーリーは混み入っていて、私自身理解できてるとは言い難い。それでも最初に視聴した時、挫折することなく最後まで辿り着けたのは、ひとえに主人公・岩倉玲音に魅了されたからだ。

*1:ちゃんと本筋とつながって入る

*2:作中に登場するクラブ「サイベリア」を模したもの

*3:いやそれももう古いか

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星野源と「スレイヤーズ」と宮崎勤についてのメモ

ダ・ヴィンチ」最新号の星野源特集に、乙一が寄稿している。氏は星野のことを自分とは遠い文化圏の人間だと思っていたが、エッセイで「スレイヤーズ」や「ドラゴンマガジン」について触れているのを読んで、親近感を持つようになったという。



そのエッセイ「蘇る変態」にはこう書かれている。

小学校低学年の頃は『コロコロコミック』や『コミックボンボン』に夢中だったが、90年代に突入し小学校高学年になると、ふと本屋で手に取った富士見ファンタジア文庫から出ていた『スレイヤーズ!』という作品に夢中になった。小説だが可愛いアニメ調の挿絵が数点あり、その時はまだライトノベルと呼ぶとは知らなかったが、つまりそういう類いの中高生向けの軽小説だった。
文章を読むのは変わらず苦手だが、性の目覚めが早かったためにその挿絵のエロ可愛さに読む気にさせられた。多少乳首なども描写されていたが、小説だしページさえ開かせなければ親にもバレないだろうという作戦もあった(後に友達が遊びにきている前でそのエロページを親に見せびらかされ、酷く恥をかいて作戦は失敗に終わった)。そして何よりストーリーが面白かった。
その後富士見ファンタジア文庫の母体となるライトノベル雑誌『月刊ドラゴンマガジン』を読み始め、後に同じ系列のコミック誌である『月刊コミックドラゴン』の読者になった。周りの同級生が『週刊少年ジャンプ』に夢中になっている頃、ひとり『月刊コミックドラゴン』に夢中になっていた。その頃はまだ「萌え」という言葉がなく、自分の中からわき上がる「わけがわからない感情に振り回された。当時の星野少年に言ってやりたい。それはただの「萌え」だ。別に変じゃない。オタク的というだけで普通の感情なのだと。

 

作家以外で「スレイヤーズ」が好きという著名人は、大抵リナに憧れている女性だ。男性は珍しいし、こういう物の見方を披露する有名人というのはもっと珍しい。でも、何度か書いた通り、イラストを担当するあらいずみ先生のイラストはごく自然にエロティックなものが散見されるし、局部は強調されてたし、今もそれはあまり変わらない。一般男性ファンとしては、総意とまでは言わないけど、特筆すべきところのない見解だとは思う。しかしこの人、林原めぐみを自分のラジオに呼んだことがあるそうだけど、どんな顔して会ったのだろうか……

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キッズアニメを愛する「大きなお友達」はいかに在るべきか

キッズアニメは誰のもの?


キッズアニメは子供に向けて作られている。これは大前提として納得できる。中には、これは「キッズアニメ」に当てはまるのか、放送時間などでは定義できない何かがあるのではないか――「ちっちゃな雪使いシュガー」とかね――という事例もなくはないけど、まあ例外と言っていい。オタクは本来の視聴者層のおこぼれに預かっているだけだ、というと言葉は悪いけど、そんなもんかもしれない。



キッズアニメは子供に向けて作られているから、「大きなお友達」は映画館や家電量販店のゲームコーナーなど、色んなところで本来のファン層「先輩」に、遠慮しなければならない。これも分かる。オタクがどうこう以前に社会的なマナーではあるだろう。


しかし、キッズアニメは子供のためのものだから、大きなお友達に受けたところで何の意味もない。このアニメにお子様人気がないことは関連商品の売上が証明している。現にウチの子は見てない。プラモデルは「大爆死」してるじゃないか……と、ここまで来ると、まあお引取りくださいお帰りはあちらですって感じかなとは思っている。


オタクが該当作品について語ってるところにやってきて、子供の評価を唯一無二のものとばかりぶつけてくる人をたまに見る。果たしてその子供というのは本当にその人の子供なのか。自分の主張のために子供をダシにしてるだけじゃないか……? 断っておくと、子供がこれこれこういう感想を持った、こんな反応をした、と聞くこと自体は面白いんですよ。でもそれは本来の視聴対象者だからオタクの意見より「正しい」というものではない。作品は子供のために作られる。作品を観た感想はしかし、あくまで視聴者一人ひとりのものだ。私というオタクは、別に子供の意見に追従したくてアニメを観てるわけじゃない。

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満18歳になったら、国立国会図書館を利用しよう

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夏コミ合わせで「秋田禎信1992-2018」という同人誌を制作するため、資料集めのために永田町の国会図書館に通いました。およそ日本で出版されたものでここに所蔵されてないものはない*1というくらいの所蔵数を誇る、日本最大の図書館です。公共図書館と違って漫画の類の蔵書も豊富です。


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国会とかついてますが、満18歳以上なら誰でも無料で入場可能です*2。何回か行く内、ここは抑えときたいなと思うポイントに気づいたのでメモしときます。最初に言っとくと、館外への持ち出しは不可。館内で閲覧もしくはコピーを申請する形になります。手続きにかかる時間などはあくまで私の経験によるもの。夏休み中や土日は混雑する分、時間もかかるようです。


国立国会図書館―National Diet Library


  • 現地に行く前に蔵書を確認しよう
  • 入館には登録利用者カードが必要です
  • 荷物は入り口近くのコインロッカーに預ける
  • 書籍と雑誌では受け取りカウンターが違う
  • 資料のコピーについて
  • 食事
  • Wi-Fi・PC・インターネットについて
  • 国会図書館は表紙カバーを保存していない

*1:ないとは言ってない

*2:特例として国会図書館にしかない資料を利用したい場合、入館が認められることもある

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「スレイヤーズ」おさらい7 同時代以降の作家たち 縄手冴木深沢中村あかほり秋田ろくご橘

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今回は、神坂一と同時代もしくはそれ以降にデビューした作家・作品について語る。

縄手秀幸「リュカオーン」



神坂一と共に第1回ファンタジア長編小説大賞で準入選。〝軽"のスレイヤーズ!と並んで"重"のリュカオーンと称されたのが、縄手秀幸の『リュカオーン』だ。『セルフ・デストラクティブ・シンドローム』なる現象とそこから派生したある計画により、人類の大部分が異形の存在と化してしまった奇妙な未来を描く。神坂先生は後に「『あ、この人には絶対勝てんわ』と思った」「でもその方はどうも次の作品が書けなかったらしくて」と語っている*1


まず、現存する人類とはかけ離れた異形の者たちがごく普通に闊歩する街、ひいては世界そのものに魅入られた。その妖しい雰囲気に、当時ソノラマで菊地秀行の著作等を中心にばりばり仕事をしていた天野喜孝のイラストが、あつらえたように馴染んでいる。


既存の小説やゲームの世界設定をうまく取り込むことで説明を削り、軽快なテンポを実現していた『スレイヤーズ』と違い、やれ水晶髑髏だフィラデルフィア実験だダークマターバイオハザードだ事象の地平線だ……とオカルト要素ぎゅうぎゅう詰め。これでもか!これでもかっ!と作者のやりたいことをつぎ込んでいて、凄い密度。300P程度じゃ俺は収まり切らないぜ、という熱気が伝わってくる。正直、二十年以上前の初読時ですら一つ一つのネタはそう目新しくは映らなかったけど、それを一つの独特な世界としてねじふせ、結末までぐいぐい引っ張っていくパワーに圧倒された。


前述した解説もあって、『スレイヤーズ』と比してやたら重厚なイメージを持ち続けていたけど、意外にユーモラスなところもあり。型破りな個性はないにしろ主人公コンビであるサイボーグの大男と天真爛漫な少女のキャラクターも魅力的で、つくづくこの1作で消えたのが惜しまれることよ。


あと、当時は分からなかったけど、登場人物の一人の名前が「カトゥルフ・クゥ・リトル」というもので笑った。何がおかしいかっていうと、「スレイヤーズ」の魔王の名前もクトゥルー経由の「シャブラニグドゥ」なんだよね。意外なところで共通点が。みんなそんなに邪神様が好きか!

*1:FC製同人誌「BLASTER! vol.11」より

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