周回遅れの諸々

90年代育ちのオタクです

「本好きの下剋上」第一部(書籍版)を読んだ

ビブリオマニアの女子大生が本のない異世界に転生したことで絶望し、自分で本を生み出そうとする。この物語の面白さの一つはもちろん、紙を作るところからスタートする本作りの描写だ。この小説を読んでいると、日頃何気なく手に取っている本が途方も無い技術の結晶であることを実感できる。


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しかしそれだけではない。異世界に転生した主人公マインが最初にしたことは何だったか。紙の原料となる木の選定? 違う。彼女が最初に直面せざるをえなかった問題は、現代日本では考えられない現地の衛生観念の欠如だった。一体、一巻だけでどれだけ「臭い」という言葉が連呼されただろうか。この世界の一般市民は風呂にも滅多に入らない。転生先の家族は悪い人ではないが、これでは端的に言って近寄り難い。だから彼女はシャンプーを発明するなどして、せめて自分の周囲の住環境だけでも整えようとする。それがいつしか莫大な商業的価値を産むことに気づき、手作りの髪飾りやお菓子などにも手を広げることで、彼女の糧となっていく。これもまた第一部の主軸ではある。

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アニメ化記念公式グッズ・ダイキャスト武器「オーフェンの魔剣」の謎

二〇年ぶりの再アニメ化に、ラノベ魔術士オーフェン」が盛り上がっている。……少なくとも盛り上げようという気概は感じられる。放送開始は二〇二〇年一月だが、池袋となんばでは、公式グッズを扱う期間限定ショップがいち早くオープン。アニメ名物「絵の中の状況がいまいち掴めない謎版権イラスト」を使ったグッズが発売されて、「本当にアニメ化するんだなあ」という実感がようやく湧いてくるなどした。中でも注目すべきは、ショップ公式アカウントが「オーフェンの魔剣」と呼ぶ「ダイキャスト武器」¥5,500(税別)。なにせこのグッズ、原作読者の誰一人としてその由来が分からず、「オーフェンの魔剣ってなんだ……?」と困惑している代物なのだ。


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寸法はW40mm×H140mm。せっかくだからと思ってアニメ試写会の物販で購入してみたが、やはりその正体は謎のまま。刀身に彫られた文字列は魔術文字かと思ったらただの版権表記だった。放送に先んじて*1商品化されたアニメオリジナルの魔剣、というのが無難な落とし所だろうが、サクッと無視して色んな可能性を考えてみたい。

*1:というかアニメの放送が遅れたために本来同時進行だったはずの周辺展開が核のアニメに先行してるともっぱらの噂。私の中で

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TVA「魔術士オーフェンはぐれ旅」1-3話先行上映会メモ(ネタバレしかない)

神保町の一ツ橋ホールで行われた「魔術士オーフェンはぐれ旅」先行上映会に参加してきましたので、原作既読者視点から覚えてる限りで内容をメモ。当然ですがネタバレしかありません。同上映会に参加した方は間違いを見つけましたらご指摘ください。


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  • 3話までで第一巻『我が呼び声に応えよ獣」消化。
  • OPに旧アニメOPアクションシーンのオマージュらしきカットあり 。
  • 1話に無謀編のメインヒロイン:コンスタンス・マギーが登場。声優は「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」で主役を演じた小山百代。オーフェンから逃げる地人たちにフェルテ・ベルナールをかます。エピソードこそ違うものの、一話は「無謀編」挿入してみてはというこの文章はわりといい線行ってたのではないかと。あくまで通りすがりの派遣警察官という感じで、オーフェンと知り合っている感じはしないので、一話限りのファンサービスだと思うけど。 OPのトトカンタの街並みにもしれっと登場。
  • 今回は原作に忠実に、ということで基本的な流れは原作「獣」と同じで、でもちょこちょこ改変が加わっている。大体は円滑なシリーズ進行のためと納得いくのだけど、アザリーとチャイルドマンがアザリー事件以降意識を失っていて、本編開始直前に目覚めたという点はそうした理由が分からなかった。。またバルトアンデルスの実験を焦ったのはチャイルドマンのようなことも。何らかの伏線?
  • クリーオウ役の大久保瑠美が「今回はプレ編もあるよ!」というだけあってアザリーがハーモニカ吹いてたりティッシが週番になったりハーティアがキャロル・スターシアに失恋したりコルチゾンくんがグッバイアーチされたりといったくだりが挿入される。
  • ブラックタイガー登場せずエバーラスティン家へのチャイルドマンとの襲撃、クリーオウとの真昼の決闘を丸々カット。尺がないというのもあるだろうが、旧アニメでは原作から完全に独立したコメディリリーフとして活躍したが、ああいう路線には行かないという意思表示か?
  • その代わりというか、バルトアンデルスの剣を奪ったオーフェンを追うハーティアとの戦闘は、どこのスーパーアニメーター呼んできた、という感じの超絶作画。別のアニメが始まったかと思った。
  • 毎回冒頭で浪川大輔=チャイルドマンによるナレーション……というか原作地の文を一文読む朗読が入る。一話だと「だが彼は見ていた――というより、身体がマヒしてしまったように身動きが取れない。部屋の入口に立ち尽くして、彼はただぼうぜんと彼女を見下ろしていた――」
  • チャイルドマンたちを出し抜こうとバルトアンデルスの剣を狙ったオーフェンが使ったのは疑似空間転移。
  • ウオール教室の面々がアザリー討伐隊として一話から登場。
  • 「暗殺者」冒頭の、《塔》でのティッシとフォルテの会話「その二つ名ってやつ、やめられない?」が一話で前倒しで交わされる。
  • 指輪のことについて話すシーンでキリランシェロが「僕はアザリーの手もきれいだと思う」と言うのは舞台版でもあったけど、どっちが先なんだろう。
  • あーんコミクロンがまた死んだー! わざわざアザリー(チャイルドマン)の魔術で傷を負ったオーフェンを治癒して「俺は治癒の魔術が得意なんだ。忘れたわけじゃないだろう?」とかゆってオーフェンと一瞬だけ昔に戻ったような雰囲気を見せてからまた死んだ。しかしプレ編の戦闘訓練でアザリーがコミクロンをふざけて吹っ飛ばす描写を入れてからのアレはそれだなあ。つらいなあ。
  • かつて刊行された「魔術士オーフェンファンブック」の全員集合表紙イラストを始め、原作イラストをトレースした一枚絵が流れていくED。
  • 魔術カラーデザインという謎の役職にニトロプラス中央東口氏。
  • 魔術を唱える度に変身ヒーローばりにポーズを取るオーフェン
  • 原作の文章の味を残しつつ耳で聞いても分かりやすいようにしてる台詞回しはさすがベテラン吉田玲子って感じ。
  • 絶対に笑ってはいけないアザリーの葬式。やや澄ました顔の遺影を抱くティッシはズルいって!
  • 原作読者が誰一人として由来を知らない公式グッズ「オーフェンの魔剣」については3話まで観ても正体が分かりませんでした。


2019年台風19号一日避難所生活記 in 東京都某市小学校体育館

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10月12日10時から翌5時30分くらいまで、一人で避難所にいた記録です。備忘録代わりに。避難所によって状況はいくらでも変わってくると思います。

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ラブコメ漫画の二極化 恋のシーソーゲームとヒロインレースの競技性


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男性向けラブコメ漫画の楽しみ方って、ここ数年で二極化してると思うんですよね。自分の中で。

 

一対一のレクリエーションラブコメ

 

一つは「からかい上手の高木さん」や「僕の心のヤバいやつ」「かぐや様は告らせたい(初期」「保安官エヴァンスの嘘」など、付き合ってない男女が、日常に溢れるちょっとした遊びやらなんやらの中で恋のシーソーゲームを繰り広げるやつ。主導権をどっちが握ってるのか、両想いなのかなどは作品にもよる。勝ち負けはさして重要ではない。レクリエーションラブコメ、シチュエーションラブコメとでも言おうか。これにSF (すこしふしぎ)要素を足すと「上野さんは不器用」になる。なるか? なるんだよ。

 

上野さんは不器用 1 (ヤングアニマルコミックス)

上野さんは不器用 1 (ヤングアニマルコミックス)

 

 

登場人物が増えても、メインの男女cpが対称関係であることは変わらず。二人の間に余人が入り込む余地はない。それは読者も同じだ。私達は延々続く遊びと書いてイチャイチャと読むやつを見せつけられ、最終的には砂糖の柱になって死ぬ。

 

私がこの手の作品を最初に意識したのは、入間人間ラノベ多摩湖さんと黄鶏くん」だった。これが2010年なんで、もう随分長いブームだなと感じてる。

 

多摩湖さんと黄鶏くん (電撃文庫)

多摩湖さんと黄鶏くん (電撃文庫)

 

 

女の子たちが主人公をめぐって切磋琢磨するヒロインレース

 

そしてもう一つは、ルール無用のヒロインレースを楽しむハーレムラブコメ。「ぼくたちは勉強ができない」の中盤くらいまでは、一、二週替わりで各ヒロインの渾身のエピソードが続く。読者はどのヒロインにベットするかで毎週掌を返してると言われるくらい、予測不能のヒロインレースだった。

 

 

今は人気投票で桐須先生がぶっちぎりだったこともあり誰が一着か分からない混線模様からは抜け出してる(と思う)けど、途中参戦の教師ヒロインが勝てるのか? といった懸念も根強く、状況はまだまだ予断を許さない。私の一推しは妹の水希ちゃんです。

 

五等分の花嫁」は、五人のヒロインの内誰かとは結婚する未来が、プロローグで既に提示されている。読者はゴールとその時々の展開を結びつける筋道を想像することで誰とくっつくか予想し、見守る。ヒロインは見た目そっくりの五つ子で、しばしば他の姉妹に入れ替わりキスしてくるなどといったミステリー要素が魅力ともなっている。

 

五等分の花嫁(1) (週刊少年マガジンコミックス)

五等分の花嫁(1) (週刊少年マガジンコミックス)

 

 

ハームラブコメというと、冴えない男が美少女に囲まれウハウハというイメージがいまだ支配的だ。受け手もまた非モテ男性ばかりで、自分に近しい主人公に感情移入して楽しむ。そんな風に揶揄される。でも、こういった読み方はどこまで一般的なんだろうか。

 

「ぼく勉」や「五等分」における恋愛は一種の競技のようなもので、ハーレムの主であるはずの男主人公は、勝利者のトロフィーとして存在する。読者は自分の推しが勝てるよう応援する、あえて敗北者を愛でる、あるいはヒロインレースの行く末を予想して楽しむ……周囲ではこういった読みが多数派であるように感じる。

 

では男主人公に魅力がないか? 逆だ。ヒロインたちが凌を削ることに読者が納得できるだけの何かを、彼らは持っていなければならない。

 

上に挙げた作品を読むと、努力して得た勉学の能力というのは一つのトレンドのようだ。この手のラブコメの読者はどっちかというと勉強はできるとゆわれて育った人の方が多いんじゃないか、「できる」のレベルは人によるが、少なくとも運動も勉強もダメだけどひたすらに優しいみたいな主人公像よりは共感しやすいんじゃないか。昔からそう思ってたので、この傾向は納得できるところだ。

 

その上で、彼らは私たちに欠けている何らかの人間的魅力を発揮する。こいつらヒロインにこの主人公はもったいないと言われるほどに。

 

この手の作品では、序盤でまず主人公がヒロインたちを惚れさせる。この時点では男側に恋愛感情はない。ヒロインたちが主人公に魅入られてようやく、彼女たちが我先に主人公を攻略しようとするレースが開幕する。

 

ヒロインレースにルールは無用。しかし長年続いてきたジャンルなので、それらしいジンクスは存在する。たとえば、

 

  • 最初から好感度が高い幼馴染はドラマが作りにくいので勝てない
  • 主人公の何気ない一言でわーきゃー騒いで赤くなったりする燃費のよさは、それだけで満足してしまうことに繋がり恋愛成就のモチベーション維持に良くない
  • 中盤で一度くっついてしまうと最後の直線で力を使い果たして追い抜かれる
  • お色気担当はそれだけで不利

 

など。これらは敗北者ムーヴとも呼ばれる。真偽は不明だしジンクスを知ってて裏をかく漫画もある。「五等分」なんかは特にそうした傾向が強い。しかし、とにかく読者側はジンクスを前提に予想を立て、推しの状況に一喜一憂し、他推しのオタクを野次ったり野次られたりする。

 

ハーレムラブコメをヒロインレースとして読むという楽しみは、昔からある。「魔法先生ネギま!」(「五等分」の作者春場ねぎはこの作品が大好きで、PNもこのネギから取られている)ではキャラクター人気投票の結果を出番に反映すると明言してて、こうした楽しみを公式がダイレクトに採り入れた形となった。

 

 

私はというと、昔からこういった楽しみ方には今ひとつピンと来てなかった。綾波とアスカで言えば間違いなく綾波派だったけど、どっちがシンちゃんとくっつくかのがお似合いなのかとか、派閥争いみたいなのは別にどうでもよかったと思う。

 

考え方が変わったのは「ウマ娘」に出会ってから。このアニメは競走馬を美少女擬人化したレースもので、ラブコメとかでは全くない。しかし、女の子たちが駆けっこで相手より一秒でも早くゴールしようとする姿を見て、ああ、これってまさにヒロイン「レース」そのものだなあ女の子たちが男というトロフィー目指して競い合いクソデカ感情をぶつけ合うという意味ではラブコメもスポ根みたいな目線でも楽しめるなって気づいたのだった。

 

 

例えば麻雀。例えばアイドル活動。例えば野球。AKBブームが一つの契機ではあっただろうか。たくさんの女の子が何らかの競技性の元に切磋琢磨する作品群は、現代では一大ジャンルと化している(彼女たちの関係性に百合を見出す人もいる。キャプテン翼が801のお姉さんたちに愛されたことを思えば随分遅かったかもしれない)。ハーレムラブコメも、一部読者にとってはそういうジャンルとして楽しむもの。中心に男がいるかどうかもさして重要ではないのだ

 

まとまらない

 

ひとつがいの男女の遊びに擬した恋の駆け引きを見守るレクリエーションラブコメ型。ハーレムラブコメに読者が勝手に競技性を見い出すヒロインレース型。

 

この二つはラブコメの両極でありつつも、読者が自分を完全に作品の外に置いてるという共通点もある。これが主人公を自分の分身として読むやつ楽しみ方より上等かっていうと、まあ他人の恋路にアレコレ言ってる時点でかえって下品というか俗っぽいという誹りは免れないと思うのだけど、こういう切り口のラブコメ語りもあるよねということで。

 

書き残したかもしれないこと

 

あとは近年のラブコメについてだと、一般人がオタクを名乗るようになったっていうけどそれが本当ならフィクションの中で描かれる恋愛になんか影響はあるのかとか、エロゲギャルゲなどの基本的に主人公視点で読むラブコメと漫画やアニメでは違うよなとか、青春群像劇っぽいやつも人気あるなとか、「かぐや様」は会長とかぐや様がレクリエーションラブコメやってる横で石上は誰とくっつくか分からないハーレムラブコメっぽいことやってる二面作戦が面白いなあとか、そんなことを考えつつ、言いたいことは言ったので終わりです。