周回遅れの諸々

90年代育ちのオタクです

志村貴子の漫画に影響されたオタクが宝塚「天は赤い河のほとり」を観てきた

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志村貴子と宝塚といえば「淡島百景」が有名だ。宝塚をモデルとする全寮制の歌劇学校を舞台に、演劇に打ち込む少女たちの青春、その今昔を描いたオムニバス……。「演劇」「歌劇」は、それ以前から彼女の作品では頻繁に取り上げられる要素だった。「放浪息子」も「青い花」もそう。日本における舞台の代表的な存在である宝塚にも、何度も言及されてきた。決して全肯定する取り上げられ方ばかりではない。「淡島百景」は志半ばで学校を去らねばならなかった生徒がたくさん出てくるし、「放浪息子」の小学生・高槻さんは、中性的な容姿が災いして父親が事あるごとに宝塚に入ってほしいなんて言ってくるのをうざがっていたりしていた。とはいえ、作者が宝塚ひいては演劇に傾倒してるのは明らかで、私も読んでるうちに興味が湧いていった。


初宝塚に「天は赤い河のほとり」を選んだのは、1年前に原作を読んで面白かったから。行こうと思ったときには前売りが終わってて一般販売の争奪戦に参加することに。なかなかの激戦だったけど、東京公演に限っても期間がそこそこあるので、平日を視野に入れることでなんとか入手することができた。


当日、東京宝塚劇場に着いてみると、お客さんの九割五分が女性だった。平日ということで、平均年齢も高い。会場前では、推しごとにアフターのお茶会参加を募るボードがずらりと並んでた。入場して、パンフとオペラグラスをレンタルして*1、席に着く。前振りというほどの前振りもなく、ほどなく開演となった。


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天は赤い河のほとり」は篠原千絵の少女漫画。古代ヒッタイトにトリップした女子高生ユーリが、カイル皇子とオリエント全体を股にかけた恋と戦争を繰り広げる。全28巻に及ぶ大作である。当然、その全てを90分という短い時間で舞台化できるはずもなく、物語はかなりダイジェスト気味。この作品の魅力は戦の女神イシュタルの名を冠されたユーリがその名に相応しく、刃を振るい振るわれ、血と泥に塗れ、獅子奮迅の活躍を見せるまでになっていく……というところにあると思ってたので、そこのところが薄かったのは残念。


役者の人は、ダイジェスト感をはねのけるほどに光っていた。カイルがユーリをお姫様抱っこして一旦退場していくところでは、「腐女子のつづ井さん」で男装女性のガイドにぽーってなるつづ井さんみたいな顔をしてたと思う。そういえばお姫様抱っこってリアルで見たの初めてかも……。また大仰な身振り手振りもよかったんだけど、主役が物語を進めているその後ろ、スポットライトが当たらないところで、じっと静止しているのを観て、ああ、人間ってこんなずっと微動だにせずいられるんだって感心した。誰か一人MVPを選ぶなら、原作では物語序盤に死んでしまう不遇なティトがくるくる動いてて可愛かった。まあ今回も死ぬんだけど……せっかく原作での死亡フラグを逃れたのに原作とは別の死に方で……


二階席で結構傾斜がきつかったので、舞台の前段、凹部分のボックスに詰めているオーケストラの皆さんもチラホラ見えた。暗い中、譜面だけを照らして演奏する彼らは、アーティストというより、仕事一筋の工房の職人という風。


ある意味でキャスト、オケ以上に印象深かったのが観客の皆さんの方。隅から隅まで統制が取れてて、拍手を鳴らすタイミング止めるタイミングまで完璧だった。同じ演目を継続してやってるので慣れるっていうのはあるんだろうけど、長年の歴史は観客の方もここまで鍛えるのだな、と感じた。宝塚の歴史は100年以上。今や親子どころか三代で宝塚ファン、という方も珍しくないという。志村貴子が「淡島百景」で描こうとしているのも、宝塚という劇団の中で、あるいは外で生きる人々に均等に流れる時間――それが積み重なった結果としての歴史、であるように思う。私が普段足を運ぶ声優やアニメ関係のライブは、比べればまだまだ途上にある。いま推してる響木アオちゃんなんかはまだデビューして三ヶ月だし。当然、新しいものには新しいものなりの楽しみ方があるのだけど――ファンの統制が取れたイベントっていうのは、どうしようもなく憧れてしまうなあやっぱり。


*1:レンタル料500円保証金5000円。保証金は返却した時にもどってくる

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