周回遅れの諸々

90年代育ちのオタクです

思春期の頃、自分が読んでるor読むべきはこういうものだと規定されるのが嫌だった

あの頃、別に早く大人になりたかったわけじゃない。ただ、子供扱いされるのは間違いなく嫌だった。


児童文学は親が子供に買い与えるもの、ライトノベルは子供が自発的に買うものだ、とよくゆわれる。だからだろうか、児童文学として売られるものには「この本は小学校高学年向けです」「この本は中学生向けです」とラベルが貼られているものが多い。また狭義の児童文学でなくとも、大人が、版元が子供にすすめたいと思う場合、「年少者にすすめたい」という意識が宣伝文句の言い回しや語彙に如実に表れていたような気がする。自意識過剰だった*1当時の自分には、それが気恥ずかしかった。「朝日中高生新聞」とかこんなダサい名前の新聞、読んでる同世代っているのか? 「週刊こどもニュース」? は? なにそのあざとい平仮名の「こども」表記。とか思っていた。私が児童文学の名作と呼ばれる類の作品を読んでないのは、そんな売り方のせいだ! までいくと完全にお門違いの批判ですねハイ。



いわゆる「YA」を含む児童文学と対象年齢がかぶってるライトノベルは、その点、もうちょい居心地が良かった。今読み返すと、「ああこれは年少者向けを意識して書いてる文章だな」っていうのも分かるんだけど、少なくとも狭義の児童文学ほどには露骨に「子供向け」を標榜してなかった。ファンタジアも電撃もスニーカーも「少年向け」「少女向け」の区別すらされてなかったんじゃないかな、公式には。今ほど「ライトノベルとはこういうものだ」っていうのが確立してなかったのも大きい。インターネットも普及してなかったしね。私は、私が読んでるものが世間的にどういったものであるか、しばらくはあまり意識せずに作品世界に没入することができた。「スレイヤーズ」を始めラノベなんて下半分メモ帳ばっかり、という類の揶揄を聞くことになるのはもうちょっと後のことだ。


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これらの経験から、思春期以降の子供に本を読ませるためには、いかに「子供でも読みやすいから」「未来ある君たちに読んでほしいから」といったニュアンスを隠蔽するかが重要だと思ってる。


時は経て、2017年現在。毎クール何十本も新作が放映されるTVアニメには、必ずライトノベル原作が含まれている。で、その中には結構な確率でラノベの枠を超えてる」「売れ線じゃない」「王道から外れてる」とファンが称する作品が紛れ込んでる。


今期では「幼女戦記」。2016年は「ガーリッシュナンバー」「Re:ゼロから始める異世界生活」「灰と幻想のグリムガル」。2015年は「落第騎士の英雄譚」「六花の勇者」「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続」。2014年は「魔弾の王と戦姫」「魔法科高校の劣等生」などなど。今後放映が控えてるものでは、「されど罪人は竜と踊る」も既にそういったムーヴが見られる。



これらを現在のラノベの文脈から外れてると主張するファンの言い分は、「ハードな展開」「設定が凝ってる」「主人公がセックスする」「萌えキャラがいない」といった定番から、「ページ数が多くて分厚いのでライトじゃない」なんてのも。これだけ「例外」とゆわれるものが存在し、それがアニメ化されるほど人気があるってことは、今のラノベって結構豊穣な文化と言えなくもないのでは? と思わなくもないのだけど、ファンにとっては自分の好きなものはあくまで「例外」であってほしいらしい。


でも、そういうこと言いたくなる気持ちも分からなくはないんですよね。秋田禎信は一般文芸ならもっと評価されるはず、とかゆってた私もきっと大して変わらない。今は世間一般の「ラノベ」に対するこれこれこういうものだというイメージが凝り固まってて、インターネットを通して否応なくそれを知ることになる。思春期の私が「お前の読んでる/読むべきはこういうものだ」と外側から規定されるのを嫌ったように、自分の読んでるものはそういうのとは違う、と言いたくなるのかもしれない*2ラノベ、に限った話ではなく、フィクションって「私は人と違う特別な体験をした」という気持ちをくすぐってナンボみたいなところもあるし。逆に「私は暇潰しで読んでるだけでこれらに愛着があるとか凄いとか思ってるわけではない」とゆわれるのもそれはそれでだし。だからといって自分の好きなもの以外を踏み台にするのはやっぱり見てて気持ちのいいもんではないけど。

*1:今もか?

*2:この論法って「お前たちが今進んでるのは私が既に通り過ぎた道だ」的マウント取りだよな……