周回遅れの諸々

90年代育ちのオタクです

俺が「げんしけん」世代のオタクだ

  • 例えば、大学に入って、アニ研とか漫研とか、明らかにオタクなサークルに入る覚悟がなくて。名前からはそうと分かりづらい、オタ活もそんなに本格的じゃないじゃないサークルをついつい選んでしまったり。
  • 例えば、男所帯のオタサークルに新歓でせっかく女の子が来てくれたのに、女慣れしてないので、内輪の自虐芸に走るなどしてうまく対応できなかったり。
  • 例えば、それまで楽しくうるさくオタク会話してたのに、向こうからやってくるDQNに気づいて、意気消沈して静まり返ったり。


ぬるオタサークル「現代視聴覚文化研究会」通称「げんしけん」のボンクラな青春を綴ったこの漫画の、そういうところが好きだった。オタクの感情の細かい機微をうまくすくいあげてる、と感じた。作者の、人間をこういう風に見てるんだなっていう視座とか、それをキャラクターとして落とし込む時の手つきとか、話し言葉とかが性に合うんですよね。とゆって「リアル」路線一辺倒じゃなくて、ファンタジーな部分とのさじ加減がちょうどよい。


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サークル会室の雑然とした書き込みに加え、学生時代、ちょうど舞台のモデルとなった辺りに住んでいたこともあって、彼らの一挙手一投足が、まるで我が事のように感じた。


PCは専らエロゲのための道具で、インターネットがほとんど話に絡んでこないのは、時代的に違和感があったけれど。逆に初期の主要キャラほとんどに格ゲーの持ちキャラが設定されてるのとかは、この頃って既にブーム去ってたように思うけど、みんなそんなに格ゲーやってるの? と思ってしまったり。


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作者の前作である「四年生」――将来を嘱望される弁護士志望の彼女と、対照的に全く就職活動してない駄目彼氏を描いた――を読んで、「あ、これ好きなやつだ」って思いはますます強くなった。続編である、なんとか内定を取れたのに単位計算間違えてて留年してしまった彼氏と、その彼女の話「五年生」は……ドロドロ過ぎてちょっと……。



好きなキャラは、自称理論派で早口の斑目さん。正確には咲ちゃんのことが好きな斑目さん。オタクじゃないけど彼氏のコーサカがいるからサークルの溜まり場にいる、ギャル系美女の咲ちゃん。


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ノー根拠に自分より頭悪いと思ってた咲ちゃんが将来の夢のために語学の勉強してて凹まされる斑目さん。二次元一筋のはずだったのに相性最悪のはずの咲ちゃんに惹かれてく斑目さん。咲ちゃんが「一般人」の友達といる時は話しかけられない斑目さん。咲ちゃんが褒めてくれた服を一張羅にしてる斑目さん。ボヤ騒ぎで冗談半分で責めすぎちゃったら泣き出しちゃって、コーサカが慰めるのを見てるしかなかったマララメさん……。それまで咲ちゃんのほうが一方的にコーサカにベタ惚れでコーサカは執着とか全然見せなかったんで、あのちゃんと「彼氏」してるシーンがすごい来るんすよ……。


余談だけど、イケメンオタクの彼氏とそれに苦労する彼女だと、「なぎさちゃんのカレシ」っていうイチャラブ4コマが好きだった。



作者もお気に入りだったのか、続編「げんしけん二代目」では既に卒業したのに斑目が主人公になり、しまいには咲ちゃんとくっついたIF漫画「Spotted flower」を始めてしまう。まあこれはアリかなとは思うんだけど、1巻では妊娠してて2巻では赤ちゃん産まれて。(性的な意味で)構ってくれない旦那+ちらつく元カレの影という合わせ技で最終的に寝取られつうかヨリを戻す結末が頭から離れなくて、まともに見られないところはあった。それと、妊娠中の咲ちゃん(cv.佐藤利奈)がマララメさんに超電磁砲のビリビリのエロ薄い本プレゼントするっていう声優ネタが大アウト。



サークルとしての「げんしけん」はオタクの理想郷だ、あるいはあの世代のリアルだ、とする主張を見たことがある。


私は、フィクションにおけるコミュニティをずっと見てたいと思うことはあっても、自分がその中に入りたいということはほとんどなくて。それは、自分という現実的な存在が入っていくことによって、心地いい空間が壊れることが分かりきってるから。


なんか、オタクとしての自分を確立する時に「エヴァ」やら「リヴァイアス」やらにハマり過ぎてたことが原因かもしれないけど、フィクションをフィクションとして楽しもうとしても、「こいつら、今はこんなに仲良さそうだけど、一皮剥けば腹の底でどんなこと考えてるか分かったもんじゃないよなあ」という思考が頭から離れないんですよね。仲のいい者同士でじゃれあっている光景なんか見ても、これはフィクションだから許されてるけど、現実だとこうはいかないよなあ、という考えを拭い去れない*1。「よつばと!」とか、そこらへんの不安を滅茶苦茶煽られる作品ですね。あれは、あずまきよひこが意識的にやってるような気もするけど、確信は持てません。


だから、「げんしけん」に出てくる登場人物たちの関係を、必ずしも理想の人間関係、理想のオタサークル、ある世代のリアルな姿だとは思ってないけど。一皮剥く必要すらなく作者によってキャラクターの内面が事細かに描かれてて、ああこいつらお互いのこと好きなばかりじゃないんだって把握できて、それでいて仲良くやっていけてる。そんなところが、自分にとってフィクションの人間関係を安心して楽しむための担保にはなってたかもしれない。同じアフタヌーンの「おおきく振りかぶって」なんかもそんなところあるかもね。


*1:いや別に現実に人間関係で嫌なことがあったとかではなくて