周回遅れの諸々

90年代育ちのオタクです

衛藤ヒロユキ「がじぇっと」 クサさ最高潮! あの日夢見た科学の未来を今一度肯定するアーバンファンタジー

電気製品の修理をしていると百件に一回くらい出くわす、理解しがたい状況。自分で勝手に出歩き増殖する、「何のため」という大義を持たない野良キカイ「ビビリアン」。彼らは思春期の子供に伝染して、その願望を叶える姿に成長する。持ち主の役に立つことでキカイとして安定したビビリアンを、人は「がじぇっと」と呼んだ。

キカイはいつも言葉を発している
かすかなノイズ 動作音 グリッチ
そういう音を聞き取れれば故障も防げるさ


魔法陣グルグル」は、ひとえにククリという女の子の物語だった。ストーリーは彼女の出生、というかミグミグ族と「グルグル」の秘密を巡ることで駆動するし、バトルで圧倒的な攻撃力を持ってるのも、勇者ニケのキラキラよりグルグル。全16巻の中で、ニケはあくまでククリの「勇者様」として描かれてきた。


恋愛面でも、当初から勇者様好き好きで好き過ぎて嫉妬で悪魔になったりしたククリとは違い、ニケの気持ちがわからない、というのは続編でも指摘されてるところだ。


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「グルグル」の終盤にコミックブレイド*1で連載を始めた「がじぇっと」(全3巻)は、比べれば「男の子」してる。

数ミリの鉄板の向こうに
ドライバー一本で見られる「キカイの世界」があるのに
ほとんどの人はまったく見ることなく暮らしている
ぼくがキカイの世界を見るのが好きなのは
「ホントの世界」って感じがするからなんだ


街の電気屋さんを父に持つ鳥賀周一は、その背中を見て育ち、機械いじりが好きになった。なのに父は突然電気屋を畳んで、企業の雇われコンサルタントになってしまう。そのことで周一は父のことが少し嫌いになり、会話も減る。しかし、父はその裏で故障した「がじぇっと」を修理する仕事「直し屋」に就いていた。修一は、それを継ぐことになる。


父親をかっこ悪いと思うこと、その仕事を受け継ぐということ。少年主人公の王道である。「グルグル」でギャグにされてた、父親の勇者になるという夢をニケが受け継ぐというシークエンスが、ここでは真面目に描かれてる。「オヤジさん」という、親愛がこもってるようでいて、親に対するには他人行儀な呼び方が絶妙だ。これで父親が威厳があるタイプなら真っ向から反抗できたかも? でも、いつまで経っても自分の好きなことをやり続けてて、年に似合わないクサいことも平気で言う、息子とも友達みたいな関係を築くタイプ――グルグルでもよく見かけた大人の典型だから、気持ちをぶつけにくかったのかもしれない。


サブカルチャーを語る父親って、すげーみっともない」「息子としていたたまれない」というのは石川博品耳刈ネルリ」の主人公レイチの述懐だった。でもレイチにとっては残念なことに、修一の「オヤジさん」は仕事を息子に引き継いだあとも、サブカルクソオヤジ(褒)として強い存在感を発揮し続けるし、他の大人も同様なんだよなあ……


一方では中学生になった周一は色んな経験をして、家の外で少しずつ大人の階段を登っていく。ちょっと先を行ってる友達に勧められて初めて履いた「いい」ジーンズ。インディーズバンドが集うライブハウスに満ちる、電気的なエネルギー。

新しいジーンズをおろした
もっとはき込めば味が出るんだが
今はこのバリバリの真っ青のままでいなければならない
ちょっとじれったいのだが


女の子との付き合いを覚えるのも、大人になるための一歩。周一は、クラスメイトで陸上部の多来真奈美、あだ名はタレちゃんに恋をする。言いたいことをうまく言えない二人の関係はもどかしくて、甘酸っぱい。衛藤が得意とする「クサさ」最高潮なセリフがガンガン飛び出す。

宇宙人も女の子も同じだよ
どうやってつき合うか悩むんだよ

自分ちの階段を昇ってくるガールフレンドほど
感動的な風景はないと思った


甘酸っぱいばかりじゃない。タレちゃんは不思議な力を持っていた。「カワイイ声製造機」としか言いようのないその声に、キカイが反応してしまうのだ。ポータブルCDプレイヤーなのにDVDが観られるようになったり、UFOキャッチャーがぬいぐるみを自分からプレゼントしてくれたり。彼女の特性は、ビビリアンとも深いつながりがあって……。


この作品を読んだ時の自分の第一印象は、ポケモンとかたまごっちとか、あの辺りの電子ペット育成ブームを衛藤が得意とするメルヘン成分たっぷりに振りかけて物語としたもの、という感じだった。不思議で、不気味で、興味はあるけど、触れてみるには少し勇気がいる。「ビビリアン」はそんな風に描かれてる。


子どもたちの内面が具現化したもの、という点で「がじぇっと」はククリにとってのグルグルと同じ意味を持つ。そしてしばしばグルグルにとっては成功も失敗も大して問題ではない、と全肯定されていたように、本作でも「ビビリアン」「がじぇっと」ひいてはキカイは一貫してロマンをもって語られている。

昔1910年頃イタリアで「未来派」って運動があってね
キカイの動きや速さをアートとして認めようっていうようなもんで
このキカイはそれの造形的複合体(コンプレッソ・プラスティコ)ってやつを
思い出させるんだ

あの服はな 70年代「ドイツ科学万博」での
日本ブースの制服なんだ


そう万博!
世界中の企業の最新テクノロジーが展示され
人類は皆来たるべき科学的未来を夢見たのだ


日本ブース制服のデザイナーは世界的に有名なカワダ・カントウ
このデザインは賛否両論だったが彼は言った
「これは斬新かつ日本の伝統美を世界にアピールする未来の服であり
未来にはこれが当たり前になる」と
だから恥ずかしくても着ていたのだが


そう…あの時万博で提示されたような未来は来なかった
超高速道路…ロボットのヘルパー…宇宙旅行……
しかし80年代に入り“ビビリアン”が発見された
そして直し屋がこの制服を再び着ることになったのだ!


ビビリアンが発見されたとき我々はこう思ったんだよ
ついに「一人一台ロボット」の時代が来たってね


ちょっと想像とは違ったが…この服を着てビビリアンを追うとき
我々は確かにあの未来にいるんだよ


一言で言ってみれば、「がじぇっと」は改めて、あの頃夢見た未来を、科学を礼賛する物語なんだと思う。同時に女の子も、ジーンズも、アートも、宇宙人も、エレクトロニカも、舞台となる渋谷も、原宿も。衛藤が好きなもの全部に優しい眼差しが向けられてる。2巻の帯には「ゲームみたいに上手くいかない、そんな僕等の恋と悩みの大冒険」なんてあるけど、そんなゲームとリアルの女の子を比べてどっちが難度高いかみたいな野暮なことは、この作品では言い出さないので安心していい。


連載は、恐らくは打ち切りに終わってる。でも、衛藤の趣味をとにかくぶち込むだけぶち込んだ終盤は、「やり切った」感があった。


*1:マッグガーデン刊。エニックスお家騒動でガンガンから分派して創刊された