『コバルト文庫で辿る少女小説変遷史』 現在の少女小説の主要読者は少女ではない
そもそも「少女小説」とは。新井素子「星へゆく船」や氷室冴子「なんて素敵にジャパネスク」、小野不由美「十二国記」、今野緒雪「マリア様がみてる」、雪乃紗衣「彩雲国物語」などの、少女に向けて書かれた小説のことだ。大正時代、吉屋信子のエス小説(百合小説)「花物語」の頃から言葉とジャンル自体は存在したのだけど、現在に至るそれは80年代の新井素子や氷室冴子らが確立させたという。
ファンタジー、学園物、BL。時代によって流行の変遷はあったにせよ、主要読者層はあくまで少女たちだった。しかし、2017年現在では読み手のコアは「
嵯峨景子『コバルト文庫で辿る少女小説変遷史』は少女小説の主要読者が「少女」ではない女性たちになるまでの歴史を、ジャンルを代表するレーベルであるコバルト文庫中心に辿っていく。表紙カバーの写真に写っているのは著者自身で、ジュニアモデルとかイラストでなく妙齢の女性が表紙という辺りに本書の肝がある気がする。
その著者は、最近ライトノベル評論界隈でぶいぶいゆわせてる「ライトノベル研究会」のメンバー。商業媒体でライトノベル研究会の人らの仕事が増えて、彼らがその仕事の中で相互に言及し合って、そうすると参照できる先行研究が増えるのでますます言及し合ってくみたいなサイクルが出来上がってるなあ。
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本書は、全体の歴史の流れ、事実関係のみを追うにはいい本だと思う。雑感としては
- コバルトの作家ファンクラブについては、文庫読んでても全然追えないので勉強になった。しかし誌面に作家の3サイズまで載せてたってのはどうなのだろう……。
- 藤本ひとみを「平凡な少女が美形の男性キャラクターに愛される、少女小説の元祖逆ハーレム型作家の一人」と評してるけど、そんな彼女が今度は名義を変えて少年向けで逆じゃないハーレム*2を書くことになるとは。
- 少年向け少女向け両方で書いてる人って言うと、本書でも少女小説におけるBLの開拓者として名前が挙がってるあさぎり夕は、私にとって「ミッドナイトパンサー」の原作の人っていう認識です
- 小林深雪や花井愛子について「ライター出身だからマーケティングを意識して書いてた」ってゆってて私の実感としても新人賞出身作家との比較から理解できなくはないんだけど、この10年くらいはあんまし大差ないかなという印象
- 2001年の雑誌「cobalt」で行われたアンケートで「あなたはBLが好きですか?」という質問に対し、好きが79%、嫌いが19%、読んだことがないが2%。「好き」多いな! って感じだけど、この時点で大分誌面のBL化傾向が進んでたようなので嫌いな人の結構な数は既に離れてたのかも
- 「本邦で青春小説をやろうとするとどうしても明るく楽しくみたいな感じにはいかない」ということをある作家の発言として引用してるんだけど、してみれば「ほろ苦い青春小説」というのは全くもって王道なのだなあって思いました
- 「BLは女の子があんまり出てこなくて寂しいので女の子をたくさん出そうと思ってマリみてを書いた」というのはそういえばそうではあった
などなど。
不満は大きく3点。まず、タイトルに「コバルト」を冠してる割に、同文庫の総発行部数トップである赤川次郎の「吸血鬼」シリーズはどのように受容されていたのか、他の作家と何か違いはあったのか。この長年の疑問には答えてくれなかった。累計869万部って普通に少年向け少女向け含めたラノベの総発行部数ランキングとかに名前を連ねるレベルなんだけど、赤川次郎の著作全体で3億部とかなんで、その30分の1にも満たないのが怖いですよね。
次に、マリみての男性受容について、まんが王の特集ページの冒頭の文を持ってくるのは何らかの底意があったのでは? と邪推してしまう。まあ実際まんが王の影響は大きかったと思うので痛し痒しというところなんだけど、男性マリみて読者の気持ち悪さはリンク先のようなステロタイプなものばかりでなく、作品世界のハイソな雰囲気にならう形でいい年こいた男が「ごきげんよう」「ごきげんよう」と挨拶を交わし合う淑女たらんとしていたという点にあることはお見知りおき願いたいところですわ。
最後に、いじめが社会問題になったからいじめを題材にした作品が増えたとか、ファンタジーは年少の読者にはとっつきにくく分かりやすいラブコメが受けるとか、
この手の新書・教養書の感想を読んでると、「この世界のことはよく分からないけど、この本を読んでよくわかりました」的なものが目立つ。でも、よく分からない世界のことならなおのこと、新しい知識に対してはそれが正しいのかどうか、眉に唾つけて摂取する必要があると思う。……と、色々言ったけど、あとがきで著者が谷山由紀の「天夢航海」を今もお守りのように手元に置いていると記してあって、あやうく何もかもを肯定しそうになった自分もいたっすよ。