周回遅れの諸々

90年代育ちのオタクです

ろくごまるに「食前絶後!!」「封仙娘娘宝録」が電子化 心理戦・頭脳戦ラノベの傑作

カドカワの小説投稿サイト「カクヨム」。そのオープン初日に、プロ作家であるろくごまるにが、カドカワ=富士見書房電子書籍契約に関する杜撰さ*1を糾弾する文章を投下して、大きな話題を呼んだ。その後紆余曲折を経たものの、発端となった作品「食前絶後!!」「封仙娘娘追宝録」はこの度無事に電子化されたようだ。ので、作家と作品を紹介しておく。 

 

そもそも「ろくごまるに」というPNは、昔々APPLEⅡというPCに搭載された8ビットCPU「MOS 6502から取っているという。PNの語感そのままの、どこか人を喰ったような、落語みたいな軽妙な語り口と、論理を突き詰めた展開が持ち味の作家だ。嘘か真か、COBOLプログラミングから小説の書き方を学んだとか。

 

関西ローカルノリの学園異能「食前絶後!!」

 

デビュー作の「食前絶後!!」(1994)は、ファンタジア大賞にて審査員特別賞を受賞したものの書籍化には至らなかった、「喪中の戦士」の設定を一部流用したものだ。なんでも彼の作品は、SF作家・火浦功が選考会の場で絶賛したとか。

 

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また、米澤穂信が「本棚に唯一残っているライトノベル」として挙げていたことでも有名だったりする。


 


 「雄一、愛しているわ」くれなずむ放課後の教室。幼なじみの徳湖から受けた突然の告白に、もちろん俺はイエスと答えた。そして徳湖を抱きしめよう…と思ったその時、「雄一のためにお弁当作ってきたの。食べてね」徳湖が差し出した弁当を俺はなんのためらいもなく食べた。ところが、弁当の肉ソボロを口にした瞬間広がったのは、「さっぱりとしたアスファルト」味だった。い、一体この弁当はなんなんだー。どうやら、俺は自分の助平根性のせいで、調味魔導継承者争いに巻き込まれてしまったらしい。そんな俺たちの前におそるべき敵が現われた…。第四回ファンタジア大賞から飛び出した、異色の学園ファンタジー登場。

 

それまでなんとも思っていなかった幼なじみに告白されて、「好きでもない女から告白されて、男はそれを受け止められるか? 答えは、もちろんイエス。嫌いな女ではない限りは絶対にイエス。ここでのモラルとは『少なくとも嫌いな女にはノーと言う』である」「ともかく手付としてキスはいいだろう。しかし舌はまずかろう」などとのたまうナイスガイの主人公。アサヒ芸能を読むのが趣味の、主人公曰く「愛想が悪い淡白な顔」のヒロインの二人が、珍妙な事態に巻き込まれていく。

 

大阪・梅田の古書街で見つけた魔導書で、枚方市藤井寺市*2が大変なことに! という関西ローカルなノリは結構お気に入り。作者曰く「南河内パンク小説の最高峰」。

 

一風変わった小説として評価を受けているけれど、今読むとなんだか2000年代前半のメフィストファウスト系と狭義のラノベの距離が近くなっていた頃の臭いを感じる。奇想や破格への意識、主人公たちの自意識過剰なところとか。「二人以上を救うためには、たとえそれが親友であっても一人を殺すことを躊躇わない」主人公というのはでも、自分の大切にしたい情を活かすためには他の情を全部殺すみたいのが多いあの頃の作品とは対極か?

 

 

スレイヤーズ」の後継者としての「封仙娘娘追宝録

 

80-90年代のファンタジーブーム時、主流は剣と魔法の西洋風FTだったけれど、中華風のそれも決して少なくはなかった。少年漫画では「封神演義」、少女漫画から「ふしぎ遊戯」、少女小説の「十二国記」……。「封仙娘娘追宝録」(1995-2009)も、その一つだ。さすがに前述した作品ほどの知名度はないものの、ドラマガ誌上での人気は高く、過去にアニメ化の話もあったらしい。

 



   ※確か2001年とかその辺りだったはず 

 

仙人界で修行中の和穂は、師匠・龍華が製作した、自我を持つ神秘の道具「宝貝*3を、誤って人間界に落っことしてしまう。いずれも絶大な力を持ちながら、何らかの欠陥を抱えていたため封印されていた宝貝のその数、実に七百二十七個。和穂は、これら全てを回収する旅に出ることになる。唯一その場に残っていた刀の宝貝・殷雷――皮肉屋だが「情にもろい」という、武器としてはあまりに致命的な欠点を持つ――と共に。仙人としての能力は封じられて。

 

当時、同じファンタジア文庫の看板として人気だった「スレイヤーズ」というシリーズがある。アニメの「竜破斬」やリナの強烈なキャラクターのせいか、無闇なパワーゲームとしての印象を抱きがちな作品だけれど、原作はプロットで勝負するタイプで、意外に頭脳戦の色が濃い。それ以上変化の余地がない個々のステータス、巻毎の状況により提示されたルールの枠内で戦い、偶然やイヤボーンが状況に介入することは許されない。また時にこのルールというやつは世界の成り立ちに深く結びついていて……

 

  

あのレーベルの「スレイヤーズ」の後輩の中で、わたしが知る限りそういった戦術的な駆け引きの要素を受け継ぎ、とことん突き詰めたのが「封仙娘娘追放録」という作品だった*4。「食前絶後!!」でもそういった要素はあったんだけど、あちらほどごちゃごちゃしてないが故により強調されてる感じ。登場キャラクターの多くがワンオフ宝貝であるというのも、まるで将棋のようなゲーム性に寄与している。中には、めっちゃ美味しいけど二日酔いがひどい酒を作る徳利の宝貝*5なんてトンキチな代物もあるけど……

 


ジョジョ的な「戦闘はゲームである」という信念をもとに話を展開してゆく方法論において封仙娘娘とスパイラル等は世代を超えて共鳴していると言えるだろうが、あいにく前者は90年代の産物だったので、戦闘ゲームを大真面目につきつめてしまったのである。

 

たとえば作中世界のゲームルールにおけるプレイヤー倫理の限界(どこまでやっていいのか)を明示したのが第三巻『泥を操るいくじなし』なのだが、あれは本当に酷かった。精神抵抗不能の完全他者操作を受けた仲間をまじめに書くとか冨樫義博でもやらんぞ。

 

90年代らしいパワーインフレを大真面目にゲームルールで表現するので、2巻の万波鐘の点配置攻撃とか天呼筆の雷撃連打とかも相当アレだったが、途中から「ルール上斬れないものはない矛」とか「ルール上違反できない契約書」とかが出てくるので、なんというかプレ・ゼロ年代という感じがして面白い。

 

http://togetter.com/li/56451

 

 「スレイヤーズ」との違いは、ひとつには、和穂は何ら特別なものを持たない普通人だということだ。リナ、オーフェン、南雲慶一郎、宗介、ヨーコ……と、90年代のファンタジア文庫を席巻していたのがFTというジャンルではなく、物語開始時点で既に歴戦の兵である、アクの濃い主人公だ、というのは周知の事実だけれど、そう考えると、人格は*6ほぼ完成していても、1巻冒頭で仙人の力を失う和穂は異端だと感じる。代わりに相棒の殷雷は武器の宝貝として、人間の姿でも武芸の達人として戦うことが出来る。しかし道具なので成長の余地はない。最初から人格もステータスもほぼ完成されているというのが当時のスタンダードな主人公像であるなら、或いはろくごは、和穂と殷雷にそれらを分担させたかったのだろうか。宝貝は全て、人間に使われたいという道具としての業を背負っていて、様々な人間と宝貝のコンビが、キャラクター小説としての楽しみを補強している。

 

和穂の人格はほぼ完成されていて、目的を果たすための度胸も覚悟もある。だがそれと情を解さないかどうかは別だ。仙人見習いと言っても15歳の素直で優しい女の子で、感情豊かによく泣き、よく笑う。殷雷がそこをサポートしなければいけないのだが、前述した「情にもろい」という欠陥からその点ではあまり当てにならない*7。主人公コンビと、世界=著者の、「論理」という人間の情動ではどうにもならないものをとことん突き詰める姿勢。この両者の生む軋みも、基本的にドライな「スレイヤーズ」、そして「食前絶後!!」にはない本作の読みどころのひとつだろう。

 

スレイヤーズというかファンタジア文庫全体の立ち位置ということでゆえば、このシリーズにも、90年代富士見のお約束であった「奮闘編」という外伝短編集が存在する。構成がカッチリしてる作者なので、短編のほうが好き、未読者はまず短編から、というファンも多いけど、立ち位置としては長編の合間合間をコメディ寄りに描いたもの、くらいの印象しかなかった。それが最終的にあんなことになるとは。……流石にネタバレが過ぎるので、以前書いた最終巻の感想に誘導しておきます。

 

d.hatena.ne.jp

 

……ここまで語っておいてなんだけど、著者は執筆にあたって恐らく「スレイヤーズ」を意識なんてしていない。むしろ時々垣間見えるSF・ミステリ方面からの影響が大きそうだ。最終巻あとがきでは、藤子・F・不二雄「T.P.ぼん」の影響大だと語っていた。言われてみれば本作の宝貝の物語上の役割は、同作者の漫画の、あの魅惑のひみつ道具にも近い。

 

green-leaves.at.webry.info

 

……んだけれど、一方で、作家・ろくごまるが世に出るには神坂一が大きく関わっていたというのは本人が明言していたりするから面白いものだ。

 

大始末記-ろくごまるにブログ 喪中の戦士から食前絶後!! への道のり

 

イラストを担当したひさいちよしき氏が、云わずと知れた「スレイヤーズ」のイラストレーター、あらいずみるい先生のアシスタントだったというのも、因縁を感じさせた。初期の絵柄が似ていると感じたのは勘違いじゃなかったのか。ってまあこれは完全なこじつけだけど。

 

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そして、一応商業最新作(ただし5年以上前)「桐咲キセキのキセキ」

 

……では、戦闘とはゲームでしかない、というのを突き詰めすぎて、世界とは、厳密なルールによって骨組みされたバトルフィールドでしかない。キャラクター?情景描写?なにそれおいしいの? みたいな状態になっていた。アオリの「非世界ファンタジー」は、SF小説「非Aの世界」のもじりでは? という話も。

 


 月光の下、どこまでも続くラベンダー畑。白いワンピース姿の幼い少女。その少女を抱きしめたとき、僕はようやく世界と噛み合った―。桐咲キセキ。やっと出会えた翠色の瞳の美少女。彼女は今、僕の前にチェーンソーを持って佇んでいる。桐咲一族の次の当主を決めるための、不可解かつ複紙怪奇な闘い―メデュース―に勝ち残り、アルカナムの秘密を知るために。病院に幽閉された母の病いの原因を知るために。そして僕―遊撃部長K―は、メデュースにおけるキセキのパートナーになることを選択した。謎に満ちた世界をひもとけ!“非”世界ファンタジー遂に開幕。

 

……けれど本作は、明らかに続きものなのに1巻が出たところで止まってるので、今はまだ言うべきことはほとんどない。電子化もされてないしな。

 


最後に、少しだけカクヨムでの件について言及するなら、あれが事実かどうかすら、わたしにはわからない。よって、手段としての正当性なんてのも判定できない。

 

ただ、多くのラノベ作家がそうであるように、ろくごまるにもまた、編集者との漫才をあとがきで披露するタイプであった。もちろんあれはあれでフィクションとして楽しんでいたのだけど、それでも今回ああいうシャレにならないものを見てしまい、水を差された感はある。全ての作家と担当編集者はわたしがあとがき漫才を楽しむため、せめて目に見える範囲では仲良くしてもらいたい。ワガママだと分かっていてもそう言いたい。また、氏の現状が心配だ。今はただひたすら、この2点に尽きる。

 

てなところで紙数も尽きた。ではまた。

 

 

*1:本人曰く

*2:作中では「H市」になってるけど、多分/twitter藤井寺市じゃない?とご指摘が

*3:お約束として人間の姿にもなれる

*4:スレイヤーズ」におけるルールの運用はそこまで厳密ではないけど、20年以上一定のルールに従ったゲーム=バトルを書き続けたのは驚嘆に値する

*5:人間としての姿は酒呑みの駄目男を世話するのが好きな姐さん

*6:15歳とは思えないほど

*7:また殷雷は道具である故に食事する必要はないのに、意外にグルメだ。それは和穂に一人きりで食事をさせないためでもあるけれど、食べることへの男性的な……趣味としてのこだわりみたいなものを持っていて、なんというか池波正太郎キャラっぽい。無生物が美食を語るというのは、「グルメ」の嫌味な感じが脱臭されてうまい設定だと思う