周回遅れの諸々

90年代育ちのオタクです

「フレームアームズ・ガール」の女児アニメっぽさと源内あおちゃんの話

フィギュアやプラモを主力とするメーカー・コトブキヤが生んだメカ美少女。それが「フレームアームズ・ガール」だ。同社のロボットプラモデル「フレームアームズ」シリーズを擬人化したものが発端となってる。キャラデザは「ストライク・ウィッチーズ」「ガールズ&パンツァー」などで有名な島田フミカネが担当した。TVアニメでは、AIを搭載した手乗りサイズの美少女ロボットにごっつい武器を装備して、闘わせて遊ぶという設定。立川の女子高生・源内あおとのところに「轟雷」を始めとするFAガールが訪れ、データ収集のためといって何故か住み着いてしまい……というストーリーが展開される。


アニメ「フレームアームズ・ガール」は女児アニメっぽいとゆわれることがある。ちっこくて可愛いお人形さんや妖精さんと人間の女の子との交流を描く。そういう路線だ。FAガールのAIはまだまだ発展途上で、轟雷の精神年齢は人間に換算すると10歳程度。彼女はあおとの生活を通して、おつかいしたりお掃除したり。色んなことを学び、「感情」が何なのか知り、成長していく。シリーズ構成の赤尾でこが女児アニメ方面のキャリアも豊富な人でもあり、制作サイドもその辺りは意識してたらしい。

杉山:人は出さないという話もありましたね。
川口:でも、一応FAガールとは別に人間の主人公がいた方が良いだろうと。それで、小さなペットと女の子が交流する話みたいな方向にまとめていったんですね。
――本編を観ていてなんとなく匂い立つ女児アニメっぽさは、そういうことから来ているんですね?
川口:ええ、そこは割と狙ってやってたところはあると思います。そこに、あおがパーツを組んだりとかFAガールが部屋を作ってみたりというホビーテイストを入れ込んでる感じですね。


http://best-times.jp/articles/-/6284

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TVアニメ「クレヨンしんちゃん」のホメオスタシスとトランジスタシス

ホメオスタシス=今を維持しようとする力はれっきとした生物学用語だけどトランジスタシス=変えようとする力はエヴァンゲリオン作中で使用された造語。これ定番のマメな。


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クレしん」は、20年以上やってるような国民的アニメの中では変化に寛容な方だ。というかいつまでも「昭和」の世界が維持され続ける「サザエさん」だって原作は新聞連載で時事ネタを貪欲に取り込んでいくスタイルだったのだけど、いつしか今の形に収まってしまった*1。比べれば、クレしん世界はまだ動いている。元々しんちゃんは原作からしてテレビで流行ってるネタを真似たりするのが大好きだから、というのはあるだろう。例えばみさえやひろしはすっかりスマホを使いこなしてるし、iOSのアシスタントAI・Siriをもじったキャラクター? 「オシリ」も定着している。コラボレーションを果たしたその時時の人気芸能人やドラマやアニメは数知れない。そうしたゲストへのいじり方も手慣れたもので、一回こっきり登場の芸能人をまるで昔からアニメ世界に存在してたかのようになじませてくる。全然関係ないけどVtuberのキズナアイちゃんにクレしんデビューしてほしい。


若手声優もゲストキャラやモブとして頻繁に起用してくれるのがうれしい。今年に限っても、水瀬いのり伊瀬茉莉也佐倉綾音加隈亜衣桑原由気山下七海といった既に人気を確立した若手から春瀬なつみ鈴木絵理古木のぞみ大野柚布子田中貴子までが新たに入ってきてて、声オタ的には垂涎の現場と言える。

*1:たまに実験的に液晶テレビが登場したりはしている

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秋田禎信「エンジェル・ハウリング」フリウ編連載時次回予告集

月刊ドラゴンマガジン富士見書房)の2000年06月号~2004年03月号にかけて連載されていた小説、秋田禎信「エンジェル・ハウリング」(フリウ編)の次回予告集です。このシリーズは文庫書き下ろしのミズー編と連載のフリウ編が交互に進んでいくというのが特徴で、ミズー編の方には予告はありません。またフリウ編も文庫化された際には予告は未収録となっています。

第1部


生あるすべての存在を拒否する硝化の森で、フリウはさらなる邂逅を果たす。大気さえ息を潜める死の寒さの中で出逢ったもの。それは、彼女を楽園へと導く天使か、それとも煉獄へと誘う悪魔なのか……。鈍色に輝く物体が冷気を切り裂くとき、フリウの運命が大きく動き出す! 次回エンジェル・ハウリング第2話「スクウェア・ダンス(森に踊る)」。
胸の鼓動だけが、ただ熱い――


硝化の森で拾った少女を連れて、家に戻ったフリウとべスポルト。だがほんの数日の内間*1に、そこは以前のような安息の場所ではなくなっていた。村に現れた、黒く冷たい死刑執行人たちと赤く気高い炎の獣。明確な意志を持った危険がフリウたちを包み込もうとしていた……。次回エンジェル・ハウリング第3話「レッド・ライオン(真紅の獣)」。彼女の希望とは無関係に世界は動いている――


スポルトを狙う女の殺し屋。逮捕しようとする警衛兵。父に危機が迫っていることは明白だった。だがフリウの問いかけにべスポルトはなにも答えようとはしてくれない。会話は少なくても理解していたと思っていた義父の態度に苛立ち哀しむフリウの下したある決断とは? 次回エンジェル・ハウリング第4話「サリオン・ピニャータ(出会いと再会)」大切な物ほど一瞬で壊れてしまうから……


炎で焼かれた木や小屋。高熱で飴状に解け固まった地面……。村を探索するフリウとサリオンが見たものは黒衣と女精霊使いの戦いが残した生々しい爪痕だった。それは8年前に起きた事件をフリウに思い出させる。眼帯に隠された左目が見つめ続けてきた哀しい記憶とは? 次回第5話「ディスエンチャンテッド・メモリーズ(その昔、あったこと)」。
忘れたい。でも忘れてはいけない。


黙って娘への手紙を書き続けるべスポルト。静かにそれを観察するマリオ。そして音もなく現れた黒衣。沈黙が支配する部屋に、精霊が発動する音が響き渡るとき、新たなる惨劇の幕があがる。そして家路を急ぐフリウの前には、あの女殺し屋が傷だらけの姿で立ちはだかっていた。次回第6話「オーバートーン(広い世界のせまい一点)」。言葉では伝えられない想いを伝えたい――


「私に関わってはいけない」
やっとの思いで辿り着いた我が家。そこでべスポルトからフリウに発せられたのは冷たい一言だった。思いもしなかった義父からの拒絶にフリウは動揺する。しかし感情を整理する暇もなく、彼女の背後には黒衣の凶刃が迫っていた。次回エンジェル・ハウリング第7話「スピットファイア(破壊の精霊)」。分かり合える相手は、たった一人でよかったのに……。


純粋な破壊。そんなものがありえるのだろうか? しかしそれは間違いなくそこにいた――破壊精霊ウルトプライド。フリウの左目から解放されたそれは、原初の響きにも似た叫びをあげると活動を開始した。ただ殴る。ただ壊す。村が瓦礫と化していく様を、フリウはただ見つめるしかなかった……。次回第8話「ジャンピングオフ・プレイス(最果ての出発点)」。
全てを失った後残る物。それが罪。

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ゆりキャン△の行間と斉藤恵那と後方彼女ヅラ

アニメ「ゆるキャン△」が放映終了してもう2ヶ月以上経つ。今更だけれど、予想を超える素晴らしい最終回だった。いや、ほんとよかった。


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本題とはあんまり関係ないアニメ最終回の話

  

この作品はみんなでやるキャンプもソロのキャンプもどちらも肯定するもので。原作ではクリキャンの後、正月にソロキャンを敢行したリンちゃんが「やっぱりソロキャンも好きだ、私」と吐露するシーンがあるんだけど、アニメはどうもそこまで辿り着かなさそうだ、って途中から薄々感づいてたんですよね。クリキャンで終了となると「ソロキャン一筋だったリンちゃんがみんなでキャンプする楽しさに目覚める」というありきたりなストーリーに回収されてしまわないか、ということが不安だった。だからといって、クリキャンは最大の山場だからそれを削ってまで、というのはどうかと思うし……。


ラス前までは楽しませてくれたから、最終回が多少アレでもしょうがないかな、という諦観めいた気持ちも正直あった。それが、ねえ、奥さん、アレですよ!


リンちゃんはみんなでやるキャンプの、なでしこはソロキャンの楽しさをそれぞれ分かち合う。ホントにテーマを大切にするなら、最後に二人が遭遇せず、五話ラストのように「空で繋がっている」エンドでも、と思わなくもなかったけれど……考えてみればリンちゃん、ソロキャンつーても色んな人と出会ってるんですよね。山ガールのお姉さんとか、キャンプ場の管理人の人とか。ソロキャンは彼らに支えられて成立してる。原作コミックス1巻の描き下ろしで薪を拾ってるリンちゃんを見守る管理人さん、最初は、え、なにそれこわっ!って思ったんだけど、実は、リンちゃんの快適なソロキャンは他の誰かによって支えられている、という描写でもあるんだよなー。リンちゃん、デキる彼氏のように見えて、ソロキャンが基本なのでよく下調べもせず行動して失敗して、それをなでしこにフォローされてたりするし。


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地味にいい味出してる、旅先で出会うor家族の男性陣


旅してて本当に一人になるっていうのは、人跡未踏の地にでも行かない限り不可能なんだと思う。身一つで見知らぬ人と出会うっていうのもソロキャンの魅力で、最終回はたまたまそれがなでしこだったってだけなのかもしれない。

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志村貴子の漫画に影響されたオタクが宝塚「天は赤い河のほとり」を観てきた

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志村貴子と宝塚といえば「淡島百景」が有名だ。宝塚をモデルとする全寮制の歌劇学校を舞台に、演劇に打ち込む少女たちの青春、その今昔を描いたオムニバス……。「演劇」「歌劇」は、それ以前から彼女の作品では頻繁に取り上げられる要素だった。「放浪息子」も「青い花」もそう。日本における舞台の代表的な存在である宝塚にも、何度も言及されてきた。決して全肯定する取り上げられ方ばかりではない。「淡島百景」は志半ばで学校を去らねばならなかった生徒がたくさん出てくるし、「放浪息子」の小学生・高槻さんは、中性的な容姿が災いして父親が事あるごとに宝塚に入ってほしいなんて言ってくるのをうざがっていたりしていた。とはいえ、作者が宝塚ひいては演劇に傾倒してるのは明らかで、私も読んでるうちに興味が湧いていった。


初宝塚に「天は赤い河のほとり」を選んだのは、1年前に原作を読んで面白かったから。行こうと思ったときには前売りが終わってて一般販売の争奪戦に参加することに。なかなかの激戦だったけど、東京公演に限っても期間がそこそこあるので、平日を視野に入れることでなんとか入手することができた。

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